第18話 神が与えた、たったひとりのヒト


 月明かりの下、無言。

 城下町の灯りを見ながら、バルコニーの手摺りに置いたターシャの左手と、パースの右手が重なる。


(こんな雰囲気まで作って、――少し、期待しても良いのかしら)


(言う、ちゃんと言うぞ。みっともなくても、全部……知って欲しいんだ)


 ぎゅ、とパースの手が強ばる。

 すぅ、はぁ、すぅ、はぁ、と深呼吸していざ。


「――――あー…………どこから話せば良いかな? 君に伝えた事がありすぎて、言葉が出てこなくなっちゃった」


「ちょっとパース? そこは物語に出てくる王子様の様に、格好良く台詞を出す所ではなくて?」


「それを言えたら、僕は愛する君に三日間どころかずっと会わない決断はしてないよ」


「…………呆れた、貴男はわたしが強引に捕まえなければ一生会わないつもりだったの?」


「そうさ」


「そうさって、パース貴男何を考え――――っ」


 軽く睨もうとして、彼の青い瞳に息を飲んだ。

 口調こそ軽快だったが、パースは真剣にターシャを見つめていて。

 何か重大な事を、話そうとしていうのが理解できた。


「……僕はね、怖かったんだ」


「何を」


「死ぬのが、だから……君と一緒に居るのが辛くなったんだ」


「どうして、辛くなったの? わたしが好きじゃなくなった? 一目惚れは気の迷いだったって、そう言うの?」


「違う、違うんだよターシャ、逆だ、逆なんだよ…………、君が好きで愛おし過ぎて、僕は耐えきれない、耐えきれないんだっ!!」


 悲しそうに顔を歪めるパースに、ターシャは微笑んだ。

 それはいつもの様に、偽りの仮面ではなく。

 嬉しさと、寂しさが混じったそれ。


「聞かせてパース、もっと、貴男の気持ちを聞かせてください」


「怖い、怖いんだターシャ、君を遺して死ぬのが怖いっ、君ともっとずっと一緒に居たいのに、なんで僕は死ななきゃいけないんだっ!! 僕が何かしたか? 死にたくない、死にたくないんだターシャ……――!!」


 それは悲痛な叫びだった、衝動的に彼女の左手を両手で強く握りしめ。

 だが直ぐにずるずると力なく両膝を着く、そしてパースはターシャの腰に縋りつき。

 泣き出しそうな顔で、思いの丈を叫ぶ。


「愛してる、愛してるターシャ、君と離れたくない、君とずっと一緒に居たい、こうしてる今も愛おしさが止まらないんだ、嗚呼、嗚呼、嗚呼、ターシャが僕が以外の誰かと話すのが嫌だ、ターシャの瞳に僕以外が写るのが嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、君は僕の女なんだっ!! 誰にも渡すものかっ!! でもさっ、もう体が保たないんだよっ!! 二ヶ月? 日に日に僕の体は弱まってる、自分の体こそ分かるんだ、もう一ヶ月も…………だからっ!!」


「……」


「本当に一目惚れだったんだ、復讐なんて必死に考え出した口実だっ! 君以外考えられないんだっ、嗚呼、どうしてあの時出逢ったんだよっ! なんであの時だったんだよっ! もっと早く、早く君と出会えてれば僕はっ、僕は――――っ!!」


 それは死にゆく者の、未練だった。

 どうしても叶えたい、でも決して叶えられない感情の発露。

 だからこそ、ターシャは迂闊に言えなかった。


(絶対に救うから、なんて。命を諦めないで、なんて)


 今のパースには響かない、空虚に通り過ぎるだけだ。

 ――ターシャは強い、最強と言っても過言ではない。

 でもそれは、物理的に解決できる範疇だけだ。


(悔しい……)


 どんな強い力を持っていても、解決できない事がある。


「何処にも行かないでくれターシャっ、僕が死んでも僕だけの事を考えて生きてくれっ! いや違うっ!! 違う違うっ!! 僕と一緒に死んでくれターシャ、違うよっ!! それも違うっ!! 僕は君を悲しませたくないっ、笑顔をみたいっ、一緒に死んで欲しい訳じゃないんだっ!! でもっ、でもさっ!! 僕はどうしたら良い? この気持ちを抱えて、僕はどうしたら良いんだよ~~~~~~~っ!!」


 半狂乱になって心の底からの叫びをあげるパースに、ターシャは問いかける。

 ひとつだけ、確認したい事があったからだ。


「どうして……」


「ターシャ?」


「どうして、わたしを抱かなかったのですか? そんなに愛しいと思うなら、無理矢理押し倒しても良かったですのに」


 きっと驚いて、抵抗するだろう。

 でもパースが想いを告げるのなら、きっと受け入れた。

 ターシャは女として、パースという男を受け入れる。


「駄目だよターシャ……、それは違うんだ、僕は同情で君が欲しい訳じゃない、君は今すぐにでも受け入れるだろう。でもさ、それは君からの愛じゃない」


 ぽろぽろと涙を流して出された言葉は、一見、パースの我が儘の様に思えた。

 だが違う、ターシャには理解できた。

 これは。


「パース……貴男は本当に、わたしを愛しているのですね」


「そうだ、僕は君を愛してる。だから今すぐ君の服を全部脱がして犯したい、でも君はそうじゃないだろう? だから出来ない、愛してるからこそ、僕は君を抱けない」


「…………ああ――――そう、ですか」


 ふぅ、とため息をひとつターシャは笑った。

 それはパースが滑稽であった訳でも、貞操の危険がない事に安堵している訳でも無い。


(嗚呼、嗚呼、嗚呼、――――嬉しい、こんなに嬉しいのは初めてっ!!)


 呼吸が荒くなりそうで、口元が愉悦で歪みそうだ。

 ターシャは手に入れてしまった、愛を、唯一無二の愛を手にしている事を理解してしまったからだ。

 ――彼女の異変に気づき、パースが顔を上げる。


(神様……、祝福を与える神なんてまやかしの存在じゃない、運命、そう、運命という名の神よ。――嗚呼、わたしは初めて貴方に祈ります…………!)


 自覚した途端、体が目覚めた様に熱くなる。

 否、目覚めたのだ。

 下腹が熱く煮えたぎる、全身が快楽に震えてくる。

 きっと世界の誰もが、こんな気持ちに一度はなって。


(どこかで諦めてしまっていたけれど、そんな事になるなんて無いって思っていましたけれど)


 その時が、とうとう自分にも来たのだ。

 ターシャは、熱の籠もった感嘆をひとつ。 

 立ち上がったパースを、しっかりと見据えて。


「――――恋に落ちるって、こういう事を言うのね」


「ターシャ? 今なんて……」


「ふふっ、あはははっ! 理解したわパースっ、わたしは今、人生の意味をっ、生きる理由を理解したわっ!!」


 その狂喜の姿に、パースの涙が止まる。

 彼女に何の変化が訪れたのか、理解できない。


「ご、ごめん。そんなに重荷だったかな、僕の気持ち。……君が嫌なら、聞かなかった事にしてくれてもいいんだ」


「そんな事は言わないでくださいましパースっ、パースリィ! わたしのたった一人の男っ!! 嗚呼、そうなのねっ、そうなのですねっ!! これが運命っ、何よりも望んでいたわたしだけのヒトっ!!」


「……君は、僕を愛してくれるのか?」


「貴方と一緒に居られるなら。わたしは絶対に愛を覚えるでしょう、でもそれは先の話ですわ」


「じゃあ、何で……」


 戸惑うパースに、ターシャは心からの笑みで告げた。

 これは愛ではない、そこまで己の気持ちは育っていない、仮に育っていても確信出来ない。

 だからこれは。


「好きです、貴方を異性として好きなんですパース……、嗚呼、これを恋と言うのね? この貴方への執着を恋と呼ぶのねっ」


「…………僕は、喜ぶべきなのかな」


「ふふっ、喜びなさいパース。わたしは貴方が好きなのです、貴方こそがわたしの夫、たった一人の運命、――何よりも渇望していたものをくれた唯一のヒト」


「――――そうか、もしかして僕らは似たもの同士だったのかな?」


「ええ、ええっ、そうですわパースっ、きっとわたし達は最初から似ていたっ、だからこんなにも――心が熱いっ、貴方を思うだけでわたしの心は灼熱に燃え上がるっ!!」


「でも、愛じゃない」


「まだ、好意ですわ」


 腑に落ちた、とすっきりした顔をするパース。

 でもこれで終わりじゃない、ターシャにはまだ、彼に言わなきゃいけない事がある。


「聞いて、聞いてくださいましパース。……わたしは決意致しました」


「何をだい?」


「必ず、全てを敵に回してでも、この世界の全てを道連れにしてでも、貴方の命を救います。パースとこれから先も一緒に居る為に、その為なら全てを滅ぼしましょう」


「神の様に? それとも魔王の様に?」


「神の様に、悪魔の様に」


 ターシャは紫の瞳を爛々と輝かせて、その決意にパースも安堵と希望が見えた気がした。


「ふふっ、頼もしいな。死ぬときは一緒って? でも皆を道連れにする必要なんて無いんじゃない?」


「そうですか? 貴方が誰かの犠牲で死ぬなら、世界なんて滅んだも同然。ならわたしの手で等しく滅ぼしましょう」


「うーん、まるで呪いみたいだ」


「呪い、……ふふっ、そうかもしれませんね」


 今この瞬間、ターシャの脳裏に過ぎった事が一つ。

 顔なんて最初から覚えていない、でも確かにアレは母の言葉だった筈だ。


「ねぇパース……実はわたし、母の言葉を一つだけ覚えているのです」


「へぇ、どんな?」


「――――愛とは呪い」


「これまた物騒な……」


「そうかしら? だって貴方は呪いに等しい愛をわたしに授けた、ならいつか、わたしの愛を、その呪いを受け取るべきだと思いませんか?」


「その時が来たら、喜んでっ!」


 二人は微笑むと、どちらからともなく顔を近づけ。


「……ん」


「はぁ……」


 軽く、しかして熱いキスをしたのだった。



 ○



 その頃、ラウルス公爵領の潜入調査に進展が見られていた。

 任務についていたコンバ達三人は、目の前の光景を唖然と眺めて。

 切り立った崖の下に大きな砦、それだけなら不思議ではない、だが。


「おいコンバ……どういう事だこれは? 何故

こんな所に砦がある? 死の森の奥深くに『帝国』と『王国』の旗を掲げた砦が何故存在するっ!!」


 臨国としてある程度の国交はあるが、そこまで親交が深いとは聞いていない。

 また、王国在籍時でも噂すらなかった事柄で。


「おい見ろ、ラリヤ……あの兵、公爵家の紋章を付けてるぞ」


「それだけじゃないぞマヤリス、こっちは王国の……、あれは第二王子の紋章だ」


「どういう事だ……? 砦の外だけでも百人以上いるぞ……?」


 コンバはその不可解さに首を捻った、何しろここは大陸一の危険地帯「死の森」だ。

 砦の中には、外より大勢がいる気配がするし。

 そんな大人数ならば、この森特有の巨大な魔獣がすぐに襲ってくる筈だ。


「…………アレを見ろ、巨大魔獣が何かに阻まれて去っていくぞ」


「どういう事だ? オレ達があそこを通った時は何も無かったぞ?」


「恐らく……何者かの祝福、それ以外にあり得ない」


 死の森の魔物を寄せ付けない結界、それに守られた王国軍だけでも驚異なのに。

 更には、帝国公爵の軍までが。


「――――俺が砦の中に入る、ラリヤは西の王国軍の駐屯地側を、マヤリスは反対側の公爵軍を」


「分かった」「承知した」


 即座に判断を下したコンバは、一人砦の中に潜入して。


(こういう時こそ、俺の祝福の出番だ)


 コンバの祝福は『地図』だ、自分を中心に周囲の地形や建物の構造が正確に分かる。

 そして。


(――――地下から範囲外に二つ、大きな通路が延びて……? っ!? これは公爵家に続くっ! ならもう一つは王国かっ!! くそっ、確かに地下なら魔獣に襲われず、誰にも気づかれずに兵を集められるっ!)


 同時にそれは、この結界が砦の周囲までしか発揮されていない事を示して。


(お偉いさんの部屋みたいなのが、二つ……? ちっ、マヤリスとラリヤも連れてくるべきだったか。思ったより兵が多いし部屋も多い)


 ならば、重要な所だけ。

 二つの執務室、そして……扉の無い部屋。

 彼は武器庫から装備を拝借し変装、砦の中を進む。

 幸いな事に、何事もなく王国の紋章のある部屋まで進んだその時だった。


「――――まったく、あれしきの事で取り乱すとは。ラウルス公爵も小物よのぉ、だが小物なのは我が息子共も同じか……頭の痛い事だ」


(誰だ? 公爵を小物扱い…………っ!? 国王っ!!)


 扉の隙間から覗いてたコンバは、思わず声を出しそうになった。

 部屋の中にいたのは、コールムバイン王。

 王城でも滅多に姿を見せない、その老王。


(まさか王城まで繋がっているのかっ!? いや、この陰謀は王が直接陣頭指揮を取っていると?)


 となれば、王城に姿を表さない事に符合が付く。

 コンバが密かに観察するなか、王は本棚から一冊の本を取り出し。

 するとどうだろうか、その本棚が動き、地下へ向かう階段が現れた。


(隠し部屋? どうする引く――しまった誰か来るっ!?)


 響く複数の足音、暢気な声、つまりは警邏の兵だ。

 こうなったら、危険を覚悟で後を着けるしかない。

 足音を立てず、呼吸を殺し、常に死角へ回って。


(やるしかない)


 コンバは意を決して、部屋の中に入り込む。

 そして老王に気づかれぬ様に、密やかに。


「――――ふむ、封印に変わりはないな。ノーゼンハレンも良い仕事をする。まぁ、祝福以外は駄目だがな、まったく王国は愚物が多すぎるわい」


(何っ!? ノーゼンハレン伯爵だとっ!? ナスターシャ様の父親じゃないか? 確か祝福は使えな――陰謀の為の欺瞞情報っ!!)


「ふぉっふぉっふぉっ……、死の森の一族には感謝しかないのう、お陰で帝国を崩す事が出来るのも後少しじゃ」


 老王は部屋の中央に安置された、硝子の棺を愉しそうに撫でる。

 その中の人物は若く、綺麗で、――肌の色がターシャと似ていた。


(あれは……誰だ? ナスターシャ様に似ているが、あの盆暗跡取り以外がいるな――――もしやこれが封印? 結界の祝福の持ち主かっ!? となれば、もしやこの棺の中の人物は……?)


「さぁ、今宵も我が『腐敗』の祝福で皇子を呪おうぞ。――まったく、ラウルスも無能よな。もう少し帝都と近ければ……、これでは範囲内に収まるのは……いや、今更じゃな」


(~~~~っ!? パースリィ皇子を呪っているのはっ!?)


「しかし、帝国を征服した暁には誰に任せたものうかのぅ……? 上は戦しか、中は祝福すら、下は……あれが一番マシか?」


(上? 中? 下? ――王子達の事か? ……いやまて、中は祝福すら? あのバカ王子は祝福を持っていない? …………となると、ナスターシャ様が見た王子の祝福は公爵の力を借りて……、いや、それは今考える事じゃない。早く撤退して、ご報告しなければっ!!)


 コンバは撤退しようとして、ふと足を止める。


(――今この場で、王を殺せば)


 もしかして、全てが丸く収まるのではないか。

 相手が気づいていない今なら、確実に。

 そう、迷った瞬間であった。


「おおーい、来たぞ親父様ッ!! ここまで遠いんだから、もう少し考えてくれよ」


(この声っ、バカ王子っ!?)


「だから貴様は阿呆なのだ、もう直ぐ、この砦を拠点として侵攻を開始するのじゃぞ? 軽々しく城に帰るべきではないっ!!」


「もう年なんだから、そう怒るなって。――で、帝国のバカ皇子は呪えたのか?」


「ふん、今日はギリギリの所で逃した様じゃ……最近は特にかかりが悪くて困る。――――のぉ、報告してない事など無いじゃろうな? 皇子の周りに変わりないのだろうな?」


(…………王の祝福には制限がある、そして今殺すには位置が悪い…………――――撤退だな)


「公爵からは何も、それより兄貴の所から千人こちらに向かわせた、これでお使いは十分だろ?」


「ふん、場合によっては計画より前。つまり皇子の死をまたず攻め込む」


「はいはい、戦争の準備だな」


 王を殺すには、目の前に位置するチビデブ若ハゲ第二王子が邪魔だ。

 それに、あんな体型ではあるが第二王子は王国の中でも一位二位を争う剣の腕前。


(三人で来るべきだったな、申し訳ありませんナスターシャ様……)


 これ以上は危険だと、コンバは撤退する。

 潜入した事がバレないように、変装の為に借りた装備も戻して。

 少し後、砦の後ろの崖の上に集合した三人は。

 帝都へ急ぎ、戻るのであった。


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