第17話 心の赴くままに



(これで一つ、欠片が埋まったな)


 ばあやを前に、パースは静かに微笑んだ。

 この老婆を呼んだのは他でも無く。ターシャの心の支え、味方を増やす為である。


(これで僕が死んでも、何とかなる……と良いなぁ)


 我ながらやる事が女々しいと、内心で苦笑した。

 彼女と会うなら愛しいターシャと一緒だと決めていたが、今の状況なら違う意味が産まれる。


「それで殿下、お嬢様――いえ、ナスターシャ様は」


「今の時間は中庭じゃないかな? 確か僕の弟妹とお茶をしてる筈さ。後で案内させるよ」


「――後で、つまり今このばあやに用があると」


「話が早くて助かるよ、ちょっと話が聞きたくてね。ああ、別に咎めようとかそういうんじゃない。……たださ、ターシャの子供の頃の思い出とか聞けたらなって」


「僭越ですが殿下、それはご自分で訪ねられたらよろしいかと存じ上げますが? その方がナスターシャ様も喜ぶかと」


「まぁ、そうなんだけどね。少しばかり、そうもいかない理由があって――」


 本当に女々しい、少しでもターシャの事が聞きたくて。

 でも今のパースには、面と向かう勇気が足りない。


(せめて出来る限り知って……それで何かなるって訳じゃないのにな)


 彼女の過去を聞けば、未練が産まれるだけだろう。

 より一層、死が怖くなるだけだろう。

 失うことに怯え、ターシャを置いて逝く事実にみっともなく取り乱してしまう。

 ――そんな事は、したくない。


(せめて格好いい姿だけでも、いや、普通に笑ってる姿だけでも……)


 パースの表情に、何かを感じ取ったのかばあやは悲痛な顔をして。


「ま、まさか殿下……っ!?」


「詳しい事はターシャからでも聞いてよ、でもこの場の事は誰にも喋っちゃダメだ」


「ナスターシャ様は、折角お幸せに……っ」


「世の中、上手く行かないね。……という事だからさ、顔を会わせにくいんだ。もう少し猶予があると想ったんだけど。――だから知りたいんだ、話してくれるかい?」


 死を前にした者だけが持つ、儚げな笑顔。

 老婆が思わず承諾の返事をしようとした、その時であった。

 バタン、と勢いよく窓が開き、室内が漆黒に染まる。


「敵襲――、じゃないっ、まさかっ!?」


「こ、このお力はっ!?」


 次の瞬間、壁が薄い木の板の様にベリベリと剥がれ。

 覗き込むは黒き巨体騎士の頭部、かと思えば肩には。


「ふふふっ、三日ぶりですわパースぅ? 随分とご無沙汰ですのに、何ですか? わたしを拒絶しておいて他の誰かと――――…………?」


 怒りに身を任せつつあるターシャは、部屋の中の人物を見てキョトンと首を傾げた。


(――――え? ど、どういう事ですの?)


 力付くでも急に距離を置いた理由を聞き出す筈だった、しかしどういう事だろうか。

 彼と一緒に居る人物、あの頃から変わらぬ優しい顔、孫どころか曾孫まで居そうな年なにシャンとした姿勢。


「…………まさか、ばあや?」


「ターシャお嬢様……ううっ、お綺麗に成長しておあそばされて……」


「どうしてここに……――待って、逃げないでくださいましパース」


「ぐぇっ!? やっぱりそうなるよねっ!?」


 こっそり逃げようとしたパースを、ターシャは問答無用で闇の縄でぐるぐる巻きに。

 拘束した以上、彼とは後でも話せる。

 今はこの懐かしい人物と、話がしたい。


「嗚呼……懐かしいわねばあや、元気にしていた? あの時はごめんなさい、わたしを庇ったばっかりにお屋敷を解雇されて……ばあやはメイド長だったのに」


「いいえ、いいえ……そんな事はどうでも良いのですお嬢様。この私こそ申し訳ありません、解雇されたばっかりにお守り出来ずに……」


「そんな事は無いわ、ばあやがわたしに教えてくれたのよ。父に無視され母が居ないわたしに、言葉も文字も勉強も常識も、貴族令嬢としての礼儀作法も、今のわたしがいるのも全部ばあやのお陰なのですわ」


 王国では不吉とされる黒、伯爵家使用人の殆どがターシャを無視する中。

 このばあやだけが、ターシャの味方だった。

 ある時は母の様に厳しく、またある時は祖母の様な優しさで育ててくれた。


「――そういえば、ばあやも王国の貴族ではなかったかしら? どうしてこんな所にいるの?」


「ふふっ、簡単な事ですよお嬢様。……貴女が帝国に居ると聞き、もう一度お仕えしたくパースリィ殿下のお誘いに乗ったのでございます」


「パース?」


「いやね、大勢の亡命者が来てるって話があったじゃん? 調査してたら君から聞いた名前があるじゃない」


「…………わたしの、為に?」


「どうだろう、どちらかと言うと僕の為だね」


「パース……?」


 どう考えても、ターシャを思いやった行動であるのに。

 何故、そんな事を言うのだろうか。

 眉根を寄せ不可解だと彼を睨むターシャに、ばあやは優しく諭した。


「お嬢様、このばあやが教えた事はお忘れではありませんね?」


「ええ、勿論よ。即断即決、心の赴くままに。けれど忘れるべからず、この力は牙無き人の為に」


「もう一つございませんか?」


「忘れてないわ、――やるなら徹底的に」


「ではお嬢様。貴女は今、反省すべき点がございます。お分かりですね?」


(あ、もしかしてコレは。解放して貰える流れかな?)


 教育係であったこの老婆の前なら、ターシャも強引にパースを拘束し続ける事が出来ないだろう。

 ならば、ここは卑怯ではあるが逃げる事が出来る訳で。

 ――皇子が、そう安堵した瞬間であった。


「問いつめに来たのですもの、パースに逃げる隙を与えるのは失敗でしたわ」


「正解です、お嬢様」


「どうしてそうなるのっ!? ちょっと過激すぎやしないかいっ!? 僕皇子だよね? 君の婚約者だよねっ!?」


「わたしは悲しいです……。愛を囁く婚約者が、理由も話さず急に離れた女性の気持ちを。お考えになった事はありますかパース?」


「う゛っ…………そこを突かれると痛いなぁ。いやでも、壁を壊すのはやり過ぎじゃない?」


「大丈夫ですわ、ヤーロウとアイリスから許可を貰いましたもの」


「何してるのあの二人はっ!?」


 直ぐに気づくべきだったと、パースは悔やんだ。

 彼女は基本的に、分別ある優しい女性だ。

 であるならば、緊急事態以外でこんな暴挙に出る訳がなく。


(不味いっ、これは不味いよあの二人だけじゃない。城内の人間全てがターシャの味方に回ってても不思議じゃないっ!?)


 それはつまり、パースが理不尽にターシャを避けている事が知れ渡っている事でもあり。

 ――果たして、今の己に味方はいるのだろうか。

 彼の顔が、青ざめた瞬間であった。


「殿下、僭越ながらこのばあやが発言しても宜しいでしょうか?」


「ええ、許すわばあや」


「殿方には殿方の見栄がある事は存じております、……ですが、それで愛する者が悲しむなら本末転倒と言うべきではありませんか?」


「それ、は――――」


(パースの、見栄……?)


 きょとんとするターシャとは裏腹に、パースは痛いほどに納得して。

 確かに、この老婆の言うとおりだ。


(バカか僕は……っ! ターシャを悲しませたくないから距離を置いたのに、そうだよっ、優しいターシャが傷つかない筈が無いじゃないかっ!!)


 何故、こんな簡単な事に思い至らなかったのか。

 これでは王国の王子の事を笑えない、彼女の意志を無視したのはパースも同じだ。


「…………ごめん、ごめんよターシャ。僕は僕の事ばっかりで、君の気持ちを無視していた」


「理由を、お聞かせ願えますか?」


「それは……」


 彼女の紫の瞳が真摯に問いかけるのを前に、しかしてパースは躊躇った。


(僕は……っ)


 言えない、言ってしまえば耐えていたモノが崩壊してしまう。

 彼女の前で、情けない姿を晒すはめになる。

 でも、傷つけたくなんて絶対にない。

 激しく苦悩するパースに、ターシャは優しい声色で言葉を投げかける。


「パース、貴男の心を。どうして急に離れようとしたのか理由を聞きたいだけなのです」


「…………っ」


「聞かせてください、聞かせてくださらないのならばわたしは……」


「僕に愛想を尽かすかい?」


「それともう一つ、この国から去って二度と会いません。契約も、今この瞬間を以て破棄させて頂きます」


 冷静に出された言葉に、パースはターシャの決意と怒りを感じた。

 この時を逃せば、彼女は二度とパースと会う事はないだろう。

 でも同時に、それはパースの死という重荷から解放される事でもあって。


(僕は……僕は……~~~~~~っ、畜生、なんで言葉が出てこないんだよっ!!)


 悔しそうに俯き唇を噛むパースの頬を、ターシャは優しく両手で包むと持ち上げ視線を合わせる。

 彼女とて理解していた、別に彼は己の事を嫌いになった訳ではないと。

 全てはターシャの為に、その発端がどうであれ己の為にした事なのだと。


「教えてくださいパース、貴男がわたしと契約したのです。貴男の復讐を手伝うと、貴男を守ると。……でも、その心を聞かせてくれませんと守れませんわ。――身も心も、わたしはパースを守りたいのです」


「…………ぁ」


「貴男がわたしに、温もりを教えてくれたのです。父にも王子にも愛されなかったわたしに、殿方の愛を教えてくれたのですよ? …………少しは、返させてくださいまし」


「――――っ、ごめん、ごめんよターシャ……」


 パースは大粒の涙をぼろぼろと、伝わっていたのだ。

 そうであれば良いと思っていた事が、実現していたのだ。

 だからこそ、怖くなる。


「僕は、君の側に居られない。一緒に居るのがとても幸せで、幸せ過ぎて……怖いんだ」


「それでも、わたしは側に居たいですわ。いいえ、貴男に手を伸ばして側に居ます」


「…………ねぇターシャ、僕は君の手を取って良いのかい? その資格は、まだあるのかい?」


「そんな資格、最初から存在しませんわ」


「っ!! ――ありがとう、ターシャ。僕は君の側に居て良いんだね…………」


 ゆるゆると、闇の縄が解けていく。

 解放されたパースは、片膝を付いて彼女の右手を取ってキスをひとつ。


「パース……」


「全部、僕の気持ちを話すよ。…………でも、せめて夜まで待って? 心の準備とか必要だから、夜になって二人っきりの時に全部話すから、本当に、今は待って、勇気の準備が必要なんだ」


「ちょっとパース?」


「ふふっ、そこは素直に待つのが良い女というモノですよお嬢様、いえもうお嬢様ではなく。ナスターシャ様と呼ぶべきですね」


「ばあやがそう言うなら……、でもナスターシャじゃなくてターシャでいいわ」


「ありがとうございますターシャ様」


(…………覚悟を決めないとなぁ)


 そうして、あっという間に夜である。

 夕食、食後、就寝までの間、ずっとパースは黙して語らず。

 エリーやマリアが下がり、寝室の灯りが消えた後。


「ちょっとバルコニーに出ようかターシャ、そこで話したいんだ」


「やっとですか、ええ喜んで行きますわパース」


 二人は向かい合い、パースは真剣な顔をして口を開いた。



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