第15話 夜会にて



「まぁ、あんなに華麗に踊って……御本人もお美しい……、なんて素敵な方なのでしょう」


「あれがパースリィ殿下の。そして新たに聖女として認定されたナスターシャ様……、不思議な魅力を感じる方だな」


「ううっ、殿下……良いお方を捕まえましたな……っ!」


 夜会はつつがなく始まり、国中の貴族がターシャ達に挨拶に来た。

 その中にはラウルス公爵もおり、型どおりの挨拶だけという普通さが不穏であった。

 こうして今、ターシャはパースと踊っていた。


「見てターシャ、皆が君に注目して噂してるね」


「パースの婚約者として、及第点かしら?」


「及第点どころか満点だね、というか君、ダンスは踊れないんじゃなかった? いや、報告では上達ぶりは目覚ましくって聞いてたけど……」


「ふふっ、不思議ですかパース」


「割と、正直な話。君にべったりだったじゃん? だから練習の時間を奪っちゃってるって気にしてたから」


「そう言う癖に、ずっと一緒にいらっしゃったわね」


 くるくる、軽やかにステップを踏み危うい所など一つも無い。

 むしろその姿は熟練のそれ、今すぐにでも講師が勤まるような上級者の技。

 皇族の中では、一番上手いと自信を持っていたパースより秀でていて。


「残念、君をダンスでもエスコートしたかったんだけど。むしろ君が僕の動きに合わせてるぐらいだよね?」


「少々ズルをしているのです、わたくしは目に自信があるので。見て覚えただけなのですわ」


「……それだけで、こんなに踊れるモノなのかい?」


「もう一つ。講師をしてくださったジューム婦人の動きを、わたしの内側から闇で再現しているのです。――ええ、下手に練習するより祝福を使った方が正確に動けるので」


「君は僕を何回驚かせたら気が済むのかな?」


 見て覚えた、それだけでも尋常ではない所行なのに。

 祝福を使って動きを再現した、そんな器用な事が出来る者がどれだけ居るのか。


(ターシャは、祝福を使う為に産まれてきたみたいだなぁ……)


 常識外れの婚約者に、パースは微笑みかけた。

 こんなに踊れるなら、是非とも踊る楽しみを知って貰いたい。

 踊るだけではない、ターシャは今まで犠牲にしてきた楽しみが多すぎる。


「――――もっと、もっと僕と人生を楽しまないかい? もし、もし契約が終わっても……」


「パース、そろそろ曲が終わりますわ。もう一曲行きますか?」


「ターシャ? 今さ、君ってば意図的に無視しただろう」


「………………そういう事は、踊りながらではなく。ふ、二人っきりの時に聞きたいわ。答えるかどうかは別ですけれど」


 曲に合わせて、二人は名残惜しそうにダンスを終了させる。

 そして、仲良く腕を組んで退場。

 暫くして、新たな曲と共に貴族達は思い思いの相手と踊り始めて。


「しかし、これからどうしようかな? てっきり叔父さんは何か仕掛けてくると思ったけど」


「ダンスに誘われもしなかったですわね、一曲ぐらいはと思っていたのですが」


「動きが無いなら、父上達に挨拶して部屋に戻る? それとも庭園で夜の散歩でもするかい?」


「それは中々魅力的な提案ですわね、どちらを選んでも第一皇子はわたしを片時も離さない程に溺愛していると噂が流れる」


「君は魅力的だからね、悪い虫が付かないようにするのも夫となる僕の役目さ」


「あら、では感謝を申し上げなければなりませんね」


 グラスを傾けながら、二人は踊る貴族達を横目に笑い合って。

 その時であった、ラウルス公爵が近づいて来たのは。


「よォ、お二人さん。見てたぜ、流石は未来の皇帝と皇妃、相応しい踊りだった」


「やぁ、さっきぶり叔父さんっ」


「パースの妻として、公爵様のお眼鏡に適いまして?」


「ああ、勿論だ。――――このバカには勿体ないぐらいにな」


「酷いなぁ叔父さん、今日ぐらいは盛大に誉めてくれても良いんだよ?」


「悪いな、今日だからこそテメェを誉められないのさ」


「叔父さん?」


 彼の欲望にまみれた瞳の輝きに、二人に緊張が走った瞬間であった。

 彼は片膝を付き、ターシャの右手を取りその甲に口づけする。

 そして、朗々たる声で。


「――聖女ナスターシャ、どうかオレと結婚してくれ」


「え?」「は?」


 公爵の声は音楽にかき消される事なく、その場に居た全員に響きわたり。

 音楽隊は思わず手を止め、踊るもの達も、談笑していた者も、誰もがターシャ達に注目した。


(今……何て言ったのかしら?)


 結婚してくれ、そう言った、言った筈だ。

 聞き間違いではないか、そうであって欲しいとパースに視線を向けると。


「――――聞き捨てならないな叔父さん、いやラウルス公爵。ターシャは第一皇子である僕の婚約者だと理解しての求婚か? 冗談なら酷く酔っている様だ、許す、退出するがよい」


「はっ、坊主。こんな事を酒に酔って言えるかよ。――オレは本気で求婚してんだ。一目惚れさテメェと同じにな」


「成程、ターシャは実に魅力的だ。貴公の目が灼かれるのも無理はないが。――下がれ、分を弁えろ」


 パースの顔から笑みが消え、目が鋭く細められる。

 言葉遣いも変化し、普段の軽々しさが消えた。


(初めて見るわ、こんな姿……。格好い――ではなくて、どういうつもりなの公爵!?)


 意図が分からない、こんな突然の求婚。

 何故、こんな場の空気を壊す様な。

 しかも皇族の顔に泥を塗るような形で、求婚をするのか。


(今、この瞬間である意味は? 何を考えているのっ!?)


 この夜会は、ターシャの聖女就任のお披露目とパースとの婚約を発表も兼ねており。

 始まりの挨拶で皇帝が、そう宣言したばかりなのだ。


(……目的はわたしの力、それは分かるのに意図が読めないわ)


 だが、今しなければならない事は理解出来る。

 ターシャは、公爵に掴まれたままの手を振り払って。

 次の瞬間、――その右手が公爵の胸を貫いた。


「ターシャっ!?」


「思い切りが良いな、ますます惚れてしまうぜ」


「嗚呼、やはりこの場に来ていませんでしたのね。ええ、わたくし直に会いに来ない殿方の求婚など聞く耳も持ちませんの」


 そう、公爵は無事だった。

 それどころか、貫かれたまま平然と会話して。


「あれは公爵様の」「たしか光の祝福だと」「見抜いていたのかナスターシャ様は!?」


「どうして見抜いたか聞いても良いか? 今まで誰にも気づかれなかったんだぜ?」


「あら? ご自分の祝福ですのに種明かしをして頂けませんの? ――まぁ良いでしょう、簡単な事ですわ」


「そうかっ、影が無いのかっ!!」


「正解ですわパース、影が無い人間などおりませんもの」


 微笑みの仮面で表情を読ませぬターシャを前に、公爵は獰猛な笑みを浮かべる。


「ますますオレの女にしたくなったな。――どうだ? オレの所に来いよ、こんな死にかけなんて捨ててな」


「あら、それをこの場で口にするのですか? それに……ふふっ、公爵様は女性の口説き方がとてもお下手な様で。そんな言葉で靡く方は一人もおりませんわ」


「その気の強い所も良いな、――はっきり言うぜ。坊主はテメェを使いこなせていない、オレなら、ナスターシャ。お前とお前の力を使いこなせる。皇子の婚約者なんて狭苦しくて自由の無い立場より、自由な公爵の妻になれ! オレと共に皇帝に仕えこの国を富ませるのだっ!!」


「……………………はぁ」


 呆れて言葉が出なかった、嫌いだ。

 ターシャは、この男を大嫌いになった。


「…………ない……」


「うん? 今なんて――」


「――あり得ない、と申しましたわ公爵。どこの世界に野望の道具になれと言われて靡く女がいるのです? 本当にあり得ない。本当に度し難い愚か者ですわね公爵」


「テメェ……、祝福も持っていない死にかけの雑魚の何処が良いんだっ!!」


「ふふっ、貴男は思った以上に駄犬なのですね公爵? もう少し自分の器という物を知った方が宜しいのではなくて? 分を弁えない欲望を目も言葉も態度で語って、よく皇帝に使えて国を富ませると仰りましたね――――わたし、そんな恥知らずな事は出来ませんわ」


 冷え冷えとし刺々しい言葉に、パースや皇帝は苦笑し。

 ヤーロウとアイリス、そして貴族達は目を丸くした。


(うおおおおおおおっ! 流石姉貴だぜっ!!)


(流石ですわお姉さまっ!! そのいけ好かない叔父を言い負かすのですっ!!)


 公爵の胸の内など誰もが察している、だがその実力は本物だし、国の為に働いてきた功績もまた本物だ。

 仮に悪事を為しているとしても証拠を残さないこうかつさがある。

 だからこそ、皇帝でさえも黙認せざるを得なかったのだ。


「ふふっ、うふふふっ、ねぇ公爵様? わたしが王国の出身だからと言って、知らないとお思いでしたか? 貴男が公爵であるのは皇帝の優しさである、と」


「――――っ!?」


 ターシャは知っている、王国の裏に身を置いていたからこそ知っている。


「思い当たる節がある様ですね、だからわたしは駄犬と言ったのです。……一度目で学ばなかったのですね、己が皇帝の器ではないと。義父様に武で負け政で負け、起死回生を狙い無理を重ねた遠征では敗北。弟を見殺しにして御帰還なさったとか」


「貴様ァ!! ぶち殺してやるぞ女ッ!! 祝福しか能がない癖に生意気だッ!!」


「取り繕う事も、反論する事も出来ないのですね……、わたしを手に入れて皇帝の座が手に入るとでも? それとも大陸そのものを? もう少しご自分を鑑みたらどうでしょうか……?」


 笑みを崩さないターシャと、激昂するラウルス公爵。

 誰もが彼に批判的な視線を送って、然もあらん。

 今日はとても目出度い席なのだ、無礼なのは誰なのだろうか。


「――――そこまでだターシャ、人格というモノは変えられないモノだ。余り責めるモノではないよ」


「あら、お優しいのですねパース。貴男がそう言うならわたしは口を噤みましょう」


「弟がすまないなナスターシャ、どうか許して欲しい」


 パースがターシャの手を優しく握り、いつの間にか側に来ていた皇帝が前に立つ。


「――我が弟ノブリスよ、そなたの行いは看過しがたい。後日使者を送る、城まで来い。此度の様に祝福を使うのではなく、必ず生身で来い。でなければ……叛意ありと見なし貴様を処刑する」


「…………その命、承知致しました」


 憎々しげな顔を隠さず臣下の礼をとった公爵は、そのまま姿を消し。


「うおおおおおおおおおおおっ!! ターシャっ! ターシャっ! ターシャっ! 僕のターシャっ!!」


「パース? いきなり叫んで何でしょうか?」


「僕は嬉しいよっ、叔父さんの求婚を断って僕の側に居てくれる事が何より嬉しいっ!! 愛を感じるねっ!!」


「ちょ、ちょっとパースっ!? 人前ですっ、人前ですからこんなコト~~~~っ!?」


 彼はターシャに抱きつくと、その頬にキスの雨を降らす。

 その光景に、場の空気も和らぎ貴族たちもほっと一息ついた。


「いやぁ、僕は幸せだなぁ……!! よーし、一曲踊ろうよっ! 君の素敵なダンスを皆に見せて欲しいんだっ!! あ、勿論相手は僕だけど」


「待ってくださいお兄さまっ!! お兄さまばかりお姉さまを独占してズルいですわっ!! わたくしもお姉さまとダンスを踊りたいですっ!! 格好良かったですわお姉さまっ!! あの叔父様相手に一歩も引かないなんて、帝国女性の鑑ですっ!!」


「あ、アイリスっ!? そんな手を引っ張らないで――」


「駄目ですよアイリス」


「皇妃様っ! アイリスを止め「わたくしが先にナスターシャと踊るのです」


「パースっ!? 陛下っ!?」


 なし崩し的に広間の中央に連れて行かれるターシャ、空気を読んだ音楽隊が曲を開始して。

 そして、パースはといえば。


「皆の者よっ! 仕切り直しじゃっ!! 今宵は女傑とパースリィとの目出度い婚約の場じゃっ!! 酒じゃ酒っ! 儂に遠慮はいらん溺れる様に飲めぇっ!! 景気付けにパースリィを胴上げするぞおおおおおおおおおおおおお!!」


「ちょっと父さんっ!?」


「今は父上よ呼べええええいっ!!」


「聞いたか皆よっ!! 一時は男色とも噂された殿下が目出度く結婚だっ!! 祝え祝えっ!!」


「おっしゃニカ様に続けっ!」「おめでとうございます殿下っ!」「っしゃあ! 陛下からのただ酒だぁ!!」「あのクソ野郎がヘマした事に乾杯!」「気持ちは分かるが殿下のご婚約を祝え?」


 これが帝国なのか、パースの性格は親譲りなのか。

 貴族達は早々と切り替え、無礼講で騒ぎ始める。

 男達はパースを中心に、女達はターシャを囲み。

 帝国貴族の夜会は、庶民の宴の様に気楽に騒がしく変貌し朝まで続いたのであった。



 ○



 一方、生身の体に意識を戻した公爵は盛大に舌打ちし。


「虚仮にしやがってあの女ァ!! ――おいっ、誰か居るかっ!! アイツらを呼べっ!! 徹底的に嫌がらせしてやるっ!!」


 暗き炎を瞳に、虚空を見据えた。

 陰謀は成就目前、仮に今日領地に攻め入られても追い返す準備がある。

 ――故に宣戦布告。

 帝国の慶事をぶち壊し、あわよくば聖女を手中に。


「ったく、情報と違うじゃねぇかッ!! あのバカめッ、前々から思っていたが祝福以外に能が無いヤツめッ!!」


 だが現実はどうだ、言い返す事も出来ずに負け犬の様に撤退するはめになった。


「…………はッ、坊主も運がねぇな不幸の象徴みたいな女を嫁にするなんてよ。ああ、絶対に許さねぇ」


 だが彼とて、ターシャの力の強さは理解している。

 彼の協力者とは違い、正確に力の差を把握している。

 だから。


「いくら力を持っていてもな、心までは守れないんだ……、それをテメェに教えてやるよ」


 攻めるならパース、徹底的にパースを狙う様にと公爵は子飼いの隠密に命じて。


「――――おい! 酒だ酒! 酒もってこい!!」


 成功を夢見て、酔いしれる事を選んだ。

 ……それを、天井から見られている事を知らずに彼は酒に溺れたのだった。



 ○



 明け方である。

 夜通しバカ騒ぎをし、貴族も使用人も、男も女も無くそれぞれが思い思いの場所で眠りこけ。

 ターシャとパースはどうにか寝室にたどり着き、ベッドに倒れ込んだばかり。


「…………今日は色々あったもんなぁ。お疲れ様ターシャ」


 彼は彼女の衣服を緩め、自分もその隣に。

 とはしなかった。


(僕は……何なんだろうね、ターシャ)


 起こさない様にそっと、彼女の頬を撫でる。

 その手つきは優しかったが、何かを恐れている様に震えて。

 その瞬間であった、彼は酷く咳き込んで。


「――――はぁ、はぁ、はぁ……嗚呼、段々と酷くなってるなぁ。これは二ヶ月保たないかも」


 口元を覆っていた手のひらには、今まで以上の血がびっしりと。


(駄目だ、駄目なんだ……嬉しかったから、好きだから、愛してるから)


 伝わって欲しい、けれど伝わって欲しくない。

 その矛盾する想いは、パースの顔を切なく歪ませて。


(――――ごめん、ターシャ)


 その日より、パースはターシャに触れる事も側に居る事すらしなくなった。



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