第14話 これこそ愛なのです


 定位置と化してきた東屋で、ターシャはアイリスと対面する事になった。


(あら、可愛い子ね。こういう子をお姫様と呼ぶんだわ)


 パースの妹、セレンディア帝国第一皇女アイリスは美しい少女であった。

 金の絹糸のような髪、青く輝く目、白磁の様な肌。 庇護欲をそそる、という表現がぴったりくる外見で。


「お初にお目にかかります、ナスターシャさま。――いえ、お姉さまとお呼びしても? わたくしの事は是非ともアイリスと呼び捨てで、お姉さまが欲しかったのですっ!」


「初めましてアイリス、わたしの事もターシャで良いわ」


「うーん、そう呼びたいのは山々ですが。その愛称で呼ぶとお兄さまが嫉妬なさるから、涙を飲んで止めておきますっ。……知ってますか? お兄さまって結構嫉妬深いんですよ?」


「――――ああ、確かにそういう気配がございますわね」


 言われてみれば、ターシャの周りに配置された人員は女性だらけだ。

 勿論、第一皇子の婚約者という身分であれば当然の扱いではあるが。

 

「お兄さまったら子供っぽい所がありますから、お姉さまを見せびらかす癖に。いざ視線を集めると僕のだから見るなと隠すか抱きしめるかするでしょう?」


「…………まるで見てきたかの様に言うのね、正しいですわ。わたしが部屋から出る時はどんな時でも隣に居て離しませんし、一度廊下で、皇帝陛下とすれ違った時に減るから見るなと仰られた時はびっくりしました」


 着替えすら手伝おうとするのは、流石に止めさせたが。

 溺愛、という言葉を通り越して執着すら感じられる時がある。


「成長していませんね、お兄さまは……。子供の頃に犬を飼っていた時より悪化している気がします」


「――――ああ、成程。道理で遠慮のない行動に」


「相手が殿方でしたら、弁えているのですが。もし恋人が出来たらどうなるのだろう、と家族の中で不安の種だったのです」


「ちなみに、その犬はどうなったのですか?」


「お兄さまにガブっと噛みついて、適度な距離を教えていましたわ。ちなみに、その子と一緒に反対側の庭園で番犬をしてますわ」


「今度会いに行こうかしら?」


「ええ、お兄さまも大喜びで案内するでしょう」


 可愛がっている愛犬を、何故ターシャと会わせなかったのか。

 そこに二人は触れなかったが、容易に想像はついた。


(…………まだと、或いはやはりと言うべきでしょうか。ご自身の命が助からない可能性を案じていらっしゃるのね)


 仕方のない事だ、ターシャが来たとはいえ事態は進展していない。


(体を求められないのも、そうだからでしょうね)


 もし、もっと早く知り合って彼を愛していたのなら。

 それは男性の我儘だと涙ながらに詰ったのかもしれないが。


(わたしは……好き、なのかしらね?)


 好ましい男性だと思う、今までのどの男性とも違う部類の人間で。

 直線的に好意を伝えてくるのは、こそばゆくも嬉しい。

 ――愛してる、と心から返せないのが残念に思うときもあったが。


(一緒に居ると、落ち着くのですわ)


 ずっと欲しかった温もりをくれた人、ターシャに全てを与えて、死ぬかもしれない人。


(いざその時を前にしたら、わたしは何を思うのかしらね?)


 産みの母は、何故父と結ばれる事を是としたのか。

 今、無性に聞きたい気がした。


「……そういえばアイリス、わたしに話があると聞いたのだけれど」


「うふふっ、よくぞ聞いてくれましたお姉さまっ!! 噂に聞くお姉さまのお力をっ!! そしてお兄さまと出会った運命力を見込んで是非ともお力を借りたいのですっ!!」


「わたしの力? 運命力……? いえ、役に立てるなら協力しますけれど……いったい何をするおつもりです?」


 戸惑うターシャを前に、アイリスは鼻息荒く身を乗り出す。

 その瞳は、欲望にギラついて。


「――わたくしの恋人の監禁を手伝って欲しいのですっ!! そのお力でっ、こうズババンでバシュっと!」


「…………申し訳無いけれど、もう一度言って欲しいわ」


「ダーリンを監禁するから、お姉さまのお力で逃げられないように捕まえて欲しいのですっ!!」


(パースううううううううっ!? この場に居ないのはそういう事でしたのねっ!? とある人の人生がかかった危機が迫ってるから手助けするって、こういう事でしたのねっ!?)


 彼女と会う直前に言われた言葉を、ターシャは思い出した。

 だから視線が泳いでいたし、苦笑もしていたのだ。

 ニカ達も仕方がないという顔をしていたし、皇帝と皇妃もアイリスを頼むと言っていた訳である。


「パースが嫉妬深いと言っていたけれど、アイリスも大概では無いかしら? 事情は知りませんが、恋人を監禁したいなど普通の事ではありませんわ」


「確かにそうでしょう、ですが事情があるのです」


「どんな?」


「…………恋人と言ったのは比喩です、実際にはまだそういう関係に至っていません。ええ、とても残念な事ながら」


「………………成程?」


「そして彼は……わたくしの従者、幼い頃から共に育った……いえ、わたくし好みに育てた将来有望な男の子ですわっ!! 嗚呼っ、自分の祝福が恐ろしい!! でもあんなモノを見たのなら、わたくしの男にするしかないではありませんかっ!!」


 興奮し力説する姿は、お姫様というより狂人と紙一重。


(――いえ、今、祝福と言いましたか?)


 そういえばパースは、自分以外は祝福持ちだと言っていた。

 そして妹は、特異な力を持つと。

 ターシャの視線に気づいたのか、アイリスは胸を張って説明した。


「わたくしは時の女神の祝福を受けています、その力は己の未来が見える事」


「――未来視の力っ!?」


「ええ、実は正教会で聖女の末席に加えさせて頂いてますわ。お姉さまも聖女に認定されるのでしょう? お揃いですわねっ!」


「いえアイリス? ならば自分の恋路も分かるのでは?」


「それがですね、自分で見る時も、見える時間も選べないのです。ですがわたくしには見えました、――我が運命の人が理想の殿方に育っている所を、そして隣にわたくしが立っている事を……」


「であるならば、尚更わたしの助力は必要無いと思いますが?」


「いえ、そこが不自由とも希望とも言える所なのです」


 彼女は神妙な顔をすると、ターシャを静かに見据えて。


「わたくしが見える未来は不確定、正確には未来の可能性が見えているのでしょう」


「……つまり、変わる可能性があると」


「そうです、現にわたくしが見た未来ではお兄さまはお姉さまと出会っても、婚約者とならずそのまま死んでしまっていました……」


「わたしと、パースが出会わなかった?」


「その未来ではわたくし、お姉さまと王国の王子との結婚式で挨拶していましたわ」


「わたしとあのバカ王子が結婚していた未来があったというのっ!?」


「ちなみに、過程は不明ですが。その……髪の毛が寂しくて骨太でお腹が逞しい王子とお姉さまは、王国が滅亡した後に出奔して、どこかの港町で庶民として暮らしていましたわ」


「どうしてそこまで詳しく……?」


「以前に見た未来と、お兄さまの呪いの進行具合が違うのでしょうね。わたくしとお兄さまは視察として赴き出会ったので」


 情報量が多くて、混乱しそうだった。

 だが大事なのは、彼女の見た未来は絶対では無い事。

 そして。


「――未来は、既に変わっている?」


「そういう事です、わたくしと未来の旦那様はお兄さまの死を切っ掛けに結ばれていました。……どの未来でも」


「パースが生存する可能性がある、と」


「断言は出来ません、そして――――わたくしとあの方が結ばれる未来もまた不確定っ!! 故に帰ってきたのですっ!! わたくしとあの方が結ばれて、お兄さまとお姉さまが結婚する未来の為にっ!!」


「わたしと、パースが結婚…………」 


「では手始めにっ! わたくしの恋路を手助けしてくださいませお姉さまっ!! 未来を今変えてしまうのですっ!! さぁ、今すぐ――――お姉さま?」


「わ、わたしっ、パースと結婚……!? 本当にっ!? え、あれっ!?」


 アイリスは首を傾げた、ターシャが褐色の肌を真っ赤に染めて照れていたからだ。


(た、確かにパースが生存するなら、わたしとパースは結婚する訳で、夫婦となる訳で……、でも契約結婚という話だし、でも何度も一目惚れだって、もし逃がしてくれないのなら――――?)


 そのまま結婚してしまうのか、あの絵に描いたような皇子様と。

 皇子にしては軽く、そして少し独占欲が強く。

 ターシャを暖かく包んでくれる、意外と逞しいあの体の持ち主が。


「けけけけけけけ、け、けっ、結婚……パースと……結婚……」


「あ、お姉さまって案外ウブなんですね。うわぁ可愛いなぁ……、こういう所ってお兄さまの好み直撃って気がしますわ。前にそういう子が好きだってヤーロウお兄さまとお話していましたっけ」


 アイリスは理解した、二人の関係は復讐という契約で結ばれた仮初めのモノ。

 そう、耳に入ってはいたが。


(これ、お兄さまは本気ね。もし自分が死んでも逃がすつもりが無いから連れて帰ってきたのね)


 それよりも。


(最初見た時は、綺麗過ぎて怖いかもって思いましたが……、とっても可愛いですわお姉さまっ!!)


 これは是が非とも、兄との仲を応援しなければならない。

 己の恋路の為にも、逃がしてはならない。

 アイリスは、新婚生活を想像して真っ赤になるターシャの手をガシっと取ると。


「こうしてはいられませんわっ!! 今すぐお兄さまの所へ行きましょうっ!! どうせわたくしの愛しい方と一緒に居るはずです、会って抱きつく――いえお姉さまにはまだ早いですわ、腕を組む所から始めましょうっ!!」


「ちょ、ちょっとアイリスっ!? そんな強引に――」


「我ながらとても良い案ですわっ! それをお姉さま達を口実に城下町で逢い引きまで持って行きますっ!! ですので付き合ってくださいましねお姉さまっ!!」


「アイリスっ!? アイリスっ――――!?」


 帝国一の暴走女傑と名高いアイリスの手を引かれ、ターシャはパース達の下へと。

 その後ろ姿を、エリーとマリア達は微笑ましそうに笑い追いかけたのであった。



 ○



「――――クソっ、どうなっていやがる! 城下町から民が消えて行っているだとっ!? 衛兵は何をしているっ!! あの者達とも連絡が取れないし……ええい、何が起こっているというのだ!!」


 王国の第二王子は、執務室で一人憤っていた。

 共和国に進軍した兵は、その国主を討ち取るどころか敗走。

 闇討ちを指示した部隊は、音信不通。

 それだけでも頭が痛い事態だというのに、城下町の民が逃げ出しているという一報。


「ちっ、仕方がない。北で動いている兄上を呼び戻して共和国攻めに加わって貰おう。――ったく我が弟である癖につくづく無能だなっ! オレと父上のお陰でイキシアでは生き延びた癖に、名誉挽回も果たせないとはっ!!」


 彼は、そして王も、王国は気づかない。

 沈む船から脱出する様に、民が他国に流れて行っている事を。

 そしてそれを見張る兵すら、金銭を積まれて亡命を見逃している事を。

 己の国が、腐っている事に気がつかず。


「――――この際だ、我が兄弟には死んで貰うか? 罪は共和国と、前線指揮官の誰かにでも被せてしまえばいい。……次の王は兄上ではないオレだ!」


 彼は己を特別視していた、兄弟の中で唯一、王の側に置かれ重用されていると。

 大陸一の強国、帝国を崩す謀の要となっている事に。


「そうだな、もうすぐ帝国のバカ王子は死ぬ。皇帝はあの者が討ち取るだろう、第二皇子は猪と聞く絡め手で落とせばよい。――――ああ、第一皇女は美姫と聞くな、あの不吉な女が居なくなったのだ。王国の女にも飽きてきた事だし、帝国を征服した暁には……ぐふふふっ!!」


 最後には全て自分の思い通りに行く、今までそうならなかった事は無い。

 彼はそう信じて、酒瓶を取り出したのであった。



 ○ 



 そんな王国の動きを知らず、数日後。

 ターシャは帝都の大通りを、豪華な神官服姿で進む。

 今日は、聖女としてのお披露目式。

 正教会の大聖堂からの城へ戻る途中であった。

 新たな聖女の出現に、そしてそれが第一皇子の婚約者である事に民草は喜び沸き立ち。


「…………ねぇパース、そろそろ手を振り疲れてきたわ」


「笑顔をって言わない所が君らしいや」


「ほら、もう城の門が見えてきましたわお姉さま。頑張りましょう」


「城に着いたら、少しは休めるから。さ、みんなに僕達の仲を示していこうっ!」


「少しは、ね……。この後は帝国中の貴族が集まる夜会。また見せ物になる訳ね」


 これも契約の内、不服である訳ではないが注目を集めるのには慣れていない。

 単純に疲れるのだ。


(けれど、今日の本命はこの後の夜会。――ラウルス公爵は果たしてどう出るのかしらね?)


 ターシャは笑顔を民に振りまきながら、戦場に行く気分で気を引き締めたのだった。


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