第12話 剣の下に心を
その日から、城はにわかに騒がしく。
そして、物々しくなった。
廊下一つ一つに衛兵が、普段使わない所にも。
特に、皇族やターシャ、大臣達の仕事場にも騎士達が配備され。
(目的が分かりませんわね、覗き見しているだけで被害は無し。追おうとすると即座に引く)
その逃走速度は非常に早く、ターシャにも捕捉が不可能であった。
これはパースを狙ったモノか、それとも皇族そのものが目的か。
となれば通常業務もそこそこに、パースはターシャと自室でお茶会。
敵の目的が何であれ、彼女の隣に居るなら安全という訳で。
「しかし、妙な侵入者だよね。ウチのその手の連中も侵入された事は分かるんだけど。気配を察知した途端に逃げられたとか言ってるし」
「不覚ですわ、このわたしが捕まえられないなんて」
「ちなみに聞くけど、もし城の被害を考えないのなら?」
「加えて生死問わず、という事でしたら次に発見次第即座に潰しますが」
「うん、それは止めておこう。せめて生かして目的を聞き出したいし、僕の予想が正しければ城に大穴が開くだけで済む訳がない」
「……にこやかに仰らないでくださいまし? まるでわたしが見境ない破壊魔の様ではありませんか」
「いくら可能だからって言っても、死の森で大通りを作った人間を僕は甘く見ないよ?」
「そこを突かれると、痛い所ですわね」
はぁ、とターシャは軽くため息を吐き出した。
己の力は、大味過ぎて味方への絡め手に弱い。
「…………せめて、あの人達が居たら良かったのですが」
「あの人達?」
「王国に居た頃の部下ですわ、たった三人でしたが。皆、優秀な密偵でした」
「それって、イキシアの戦いにも同行してた人達? ウチの密偵に気づいて全員気絶させた?」
「あの時、付近の森でやりあったのは帝国の密偵でしたか」
コンバ、ラリヤ、マヤリス。
彼らはターシャ程ではないが、その祝福の方向性故に汚れ仕事を命じられていて。
(王国ではあの三人ぐらいでしたね、わたしの肌の色に怯えもせず、敵視もせず。まだ十にも届かない子供のわたしの指示に、文句一つ言わず従ってくれたのは)
彼女が今日まで生き延びられたのは、戦いの中で経験を積む事が出来たのは。
その三人の支援による所が、とても大きい。
(どんなに分厚い壁に阻まれても、周囲の生物を感知し。どんな建物でもその構造を触れただけで把握し。短距離ではあるものの、空間転移を可能とする)
それだけではない、三人は変装の達人であり。
どんな情報も手に入れて来た、そしてそこにターシャの力があれば。
――どんな危険な任務でも、完璧に遂行出来て。
(今頃、何をしているのかしらね? いえ、考えるまでも無いわ、どうせあのバカ王子の無茶な命令に振り回されているのでしょう……)
彼らがもし、ターシャに親しくしてくれていたならば。
彼らの中に、パースより美しい者が居たならば。
(……それでも多分、わたしはパースを知りたいと思ったのでしょうね)
根拠は無い、だが魂の奥底がそう囁いている気がするのだ。
だからこそ、パースは守らなければいけない。
「そうだっ! 君さえ良ければ、彼らを君の部下に何人か回そうか?」
「その中に祝福を持つ者は居るかしら?」
「公的には居ないって事になってるね」
「公的には?」
「ああ、そうか王国は祝福協定に参加してなかったっけ」
「…………そういえば、そういうモノもありましたわね」
祝福協定、それはターシャにも覚えがある。
祝福持ちは、神により人類の繁栄の為に使わされた存在である故に戦争利用、迫害を禁ずるという国家間協定だ。
「ならば確かに、公的に認める訳にはいかないのでしょう」
つまり裏を返せば、秘密裏にその手の事柄を目的とした祝福持ちが居るという事であり。
とはいえ、彼らの扱いは王国に居た頃のターシャよりマシだろう。
「わたしのやり方は派手ですから、普通の人員を――――」
「うん? どうしたのさターシャ?」
(……一人、二人……いえ、三人。すぐ近くに)
黙り込むターシャに、パースは首を傾げて。
彼女は微笑みの仮面を崩さず、側に控えていたニカへ声をかける。
「そういえばニカ、少し聞きたいのですが」
「何でしょうかナスターシャ様っ!! どんな事にもお答え致します!!」
「結構、この部屋の警備状況はどうなっております?」
「はっ! 護衛騎士団の中から私を含め精鋭五名を選出し、扉の外に二名、中には見ての通り三名を配置しておりますっ!!」
「どうしたの? もしかしてニカ達を部下にしたいの?」
「いえ、そういう訳では無いのですが……」
ターシャは、ぐるりと思考を巡らせた。
護衛騎士達の精鋭なら、その腕前は把握している。
彼らなら、侵入者に対抗出来るだろうが。
(指示を出す前に、逃げられますね。そしてわたしが気づいている事に気づかれても、また同じ事)
ならばどうするか、この場には非戦闘員であるマリアとエリーも居るのだ。
なるべくなら、危険は避けたい。
(……意表をついて見ましょう)
この方法ならと、ターシャは殊更に笑って。
次の瞬間。
「――――聞けっ!! 出てこないとパースを殺しますっ!!」
「ちょっとターシャっ!? 痛い痛いってっ!? というかいきなり何なんだよっ!?」
「お気を触れましたかナスターシャ様っ!? そのように力を使われて殿下を拘束し――はっ!? まさかっ!?」
「繰り返すっ!! 出てこなければパースを殺して貴方も城ごと潰すっ!! 闇の巨人で潰されたくなければ出てきなさいっ!!」
(目的は分かったけど、ちょっと強引過ぎじゃないのターシャっ!?)
部屋の中が、外の騎士達も静まりかえった。
本当に殺すのか、城ごと潰すのか、それが欺瞞だと理解していても彼女の威圧感で信じてしまいそうになり。
次の瞬間、部屋の隅に両手を上げた侵入者が三人。
「よし殺――」
「待ったっ!! 待ってください隊長!! 俺達ですっ!! 俺達ですから!!」
「……? コンバ? ラリヤ? マヤリス? ――成程、王国からの刺客ですか。顔見知りとはいえ……」
闇で作り出した槍を宙に浮かす姿に、三人は慌てふためいて。
「刺客じゃないです隊長!! 信じてください隊長!!」
「命乞いですか、でも安心しなさい。せめてもの情けとしてみっともない声を上げる前に殺してさしあげます」
「ヤバい隊長マジだぞっ!! だから言ったじゃないかコンバ!! 一目見たら帰ろうって!!」
「そうだぞコンバ!! オレらは反対したじゃないか! 隊長が幸せに暮らしてるなら、そっとしておこうって!」
「何を裏切ってんだテメェらっ!! 皇子がナスターシャ隊長に相応しいかどうか確かめるって粘ったのはテメェらだろうがっ!! つーか、こっちに職の宛が無いから隊長に口利きして貰おうって言ったのテメェら二人じゃねぇか!!」
「……………………えっと、貴方達?」
言い争いを始める三人を前に、ターシャもパースも困り顔。
ニカ達は護衛らしく剣を抜いているが、彼らもまら困惑して。
「うーん、ここは事情を聞くべきじゃないかなターシャ」
「しかしパース、あれが演技だったらどうするのですか。勿論わたしは彼らのやり口を熟知しているので、万が一もあり得ませんが」
「万が一も無いんだったら、事情を聞いても良いと思うよ?」
「いよっ! 流石は音に聞こえたパースリィ殿下! 懐が深くいらっしゃるっ!! 次期皇帝にと全ての帝国民から望まれているお方!!」
「君の部下って、結構面白いね」
「…………いえ、アレは自棄になってるだけですわ。その証拠に全裸になろうとしているでしょう」
「何で全裸になるのっ!? おっさんの全裸なんて見たくないんだけどっ!?」
「いえ殿下、あれは彼らが正しいのです」
「ニカまでっ!? えっ!? 僕が間違ってるのっ!?」
「お分かりになられませんか? ああして全裸になる事で敵意が無い事を示すのです。――密偵の常識だと聞いています」
「マジでっ!? 本当なのターシャっ!?」
「初耳ですが?」
「あ、それオレらが言わなかっただけです」「隊長にそんな事をさせられないぜ!」「そもそも、我らがそんな状況に陥るわけがありませんし」
「現に今なっていますわよ? というか服を着なさい、これは命令ですわ」
「「「はい隊長!!」」」
三人は平伏した後、いそいそと服を着始めて。
ターシャはため息をひとつ、闇で椅子を作り出して彼らと対面した。
「…………貴方達、そんなに愉快な性格をしていたかしら?」
「はっ! 隊長とは親しくするなと、上から命令が出ていたので涙を飲んで冷たく接していましたっ!」
「侵入した目的は、――ああ、答えるのはコンバだけにしてくださるかしら?」
「目的は、先程述べた通りナスターシャ隊長の夫となる人物を見定める事、もし王国と同じく不当な扱いを受けているなら逃亡する手助けをする為でありますっ!!」
「王国側の関与は」
「我ら一同! 王国を捨て、親族と志を同じくする者達と共に亡命して来た次第であります!!」
「………………何の為にそんな事を?」
ターシャには理解出来なかった、何がどうなってそうなるのか。
「ああっ!? もしかして少し前に国境沿いに現れた亡命者の集団って君たちかいっ!?」
「はっ! その通りでありますっ!」
「いえ、だから何の為に。確かに王国は民にとっても息苦しい所だと思いますが――」
なおも問いただそうとするターシャに、パースは柔らかに微笑みかけた。
王国の人々は皆、彼女に辛くあたっていたと思っていたが。
「分からないかい? 君は、君が思うより慕われてたって事さ」
「口に出す事こそ禁じられていましたが、我ら三人、否、我ら一同、ナスターシャ隊長に命を救われた者達でありますっ!」
「わたしに……?」
「皆、王や貴族を恐れて沈黙を守る事しか出来ませんでしたが。……王国を真に守ってきたのはナスターシャ隊長だと、感謝しておりますれば」
「――――っ!?」
思ってもみなかった言葉だった、誰にも評価されず、感謝されず。
でも、居たのだ。
ターシャを慕う者が、殺す事しか出来ないターシャに感謝する者が。
「我々を救って頂き、ありがとうございますナスターシャ隊長。やっと、……やっと口に出来ました」
「良かったねターシャ、君の頑張りを見ていてくれた人は居たんだよ」
「…………そう、ね」
静かに目を伏せ、ターシャは俯く。
目頭熱くて、大粒の涙がこぼれそうだったからだ。
(こんな時に、どんな表情をすれば良いのかしら。どんな言葉をかければ良いのかしら)
それが分からないのが、悔しくて。
でも、心は暖かくて。
(嗚呼、嗚呼、嗚呼…………わたしは)
求める余りに、目の前しか見えていなかったのだ。
静かに涙するターシャに、三人は顔を見合わせて頷き。
「…………我ら、これで悲願を達成いたしました。どうぞこの身を如何様にも処罰して頂きたい」
「ですが、同じく亡命して来た者は」
「どうか、どうか帝国の民に加えさせて頂けないでしょうか」
「コンバっ!? ラリヤっ!? マヤリスっ!?」
ターシャは焦った、確かに城に侵入しこの様な事態を引き起こしたのは重罪だ。
だが、だが、だが、彼らはターシャの為に行動を起こしたのだ、国を捨ててここまで来たのだ。
(ダメっ、ダメよダメっ!! 彼らを処刑になんか――――)
しかし、彼らの処分を下すのはターシャではない。
パースだ、彼が命を握っている。
(どうしたらっ!!)
自分の為に誰かが死ぬはめになるなど、初めてだった。
彼に縋りついて懇願すれば良いのか、それとも力付くで強行に。
だが、それはどれも正しくない気がして。
「――――それじゃあ僕が宣言しよう」
「パース? いったい何を……」
「ご苦労だったね、コンバ、ラリヤ、マヤリス。これにて敵国より密偵が侵入した際の警備演習を終了するよっ!!」
「っ!? そ、それは――――っ!?」
「…………ふむ、殿下がそう仰るなら私も抜き打ちで行われた演習の終了を皆に伝えなくてはなりませんな」
「ニカっ!?」
「ふふっ、良かったですねナスターシャ様!」
「ええ、彼らがナスターシャ様の直属の部下になる試験も兼ねていたのですから」
「マリアっ!? エリーっ!?」
これはつまり、そういう事なのだろうか。
そんな事をして、問題は無いのだろうか。
否、その前に。
「…………ありがとう、パース」
「何のことかな? 僕は演習を終了させただけさ」
「それでも、ありがとう」
感謝を述べるその顔は、いつもの偽りではなく本当の笑顔で。
パースは、非常に満足そうに頷いた。
「助かったのかオレ達?」「そう、みたいだな」「遺書が無駄になったな」
「ほっとしてる所すまないけど、一応君たちに聞くことがまだあるからね?」
「「「はっ! 犬と及びください殿下!!」」」
「いや犬扱いしたら僕の評判下がるから、――じゃなくてさ、君達の行動で家族や一緒に亡命した人に迷惑をかけると思わなかったの?」
「いえ殿下、これは我らの総意であります。我々は何の目的も無く亡命したのではありません――――。ただ一つ、ナスターシャ隊長に感謝を述べる為。その為だけに全てがこの身命を賭してやってまいりました」
「ちょっとターシャっ!? 君の信望者が激重なんだけどっ!?」
「わたしとしても、そこまで行くと迷惑なのですが?」
「お気になさらず、我々は隊長が居なければとっくに死んでおりますれば。ならばその御心を少しでも軽くする為なら命を張れます!! ――――そう、王国という楔から解き放たれた我々は! これより思う存分、ナスターシャ隊長に尽くしてく所存であります!!」
重い、とてつも無く重かった。
だが彼らの気持ちが、パースには少し理解出来てしまって。
(これはアレだね、僕がターシャに一目惚れしたように。彼らはターシャという存在の光に焼かれてしまったんだ)
つまりは手遅れ、となれば。
(三人だけでも、大きな収穫だろうけど。これは全員確保した方が良いね。一応帝国の為にもなるし、何よりターシャには自由になる人員が足りなかったから)
数と忠誠、それらが一度に解決したのだ。
多少、父や宰相に苦言を呈されるぐらいは損にもならない。
「じゃあターシャ、ちょっと父上の所まで付き合ってくれるかい? きっと宰相や大臣達も居るだろうけど君も一緒なら心強いと思うんだ」
「喜んで。貴男が言わないなら、わたしが言い出す所でしたわ」
「僕ら気が合うね」「単にそうするのが筋というものでしょう?」
侵入者はターシャの忠実な部下に、そして小さな物ではあるが勢力と呼ぶべきモノを手に入れて。
その頃一方、帝都の大門の外には帝国軍の一個師団の姿が。
「――――ったく、やっとこさ帰ってこれたぜ。だが待ってろよ毒婦め! どうやって兄貴を誑かしたか全部暴いて追放してやる!!」
そう、第二皇子であるヤーロウが帰還を果たしたのであった。
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