第11話 贈り物
「こうも沢山あると、お礼状を書くのも一苦労ですわね……」
「ご安心くださいナスターシャ様。エリーとワタシでナスターシャ様の直筆が必要な分だけ仕分けておきます」
「残りはマリアとわたくしで代筆しておきますわ」
「ええ、配属になって早々だけど苦労をかけますわね」
贈り物の山に一時は混乱したターシャだが、聞けば皇族の婚姻においての風物詩らしい。
彼女は側付きとなった、二人のメイドと送り状を確認する。
(…………あの王子と婚約した時には、何も無かったのですが。いえ、考えると虚しくなって来ましたわ)
ふっ、と軽いため息が出た。
あれは本当に、婚約という名の首輪だったのだろう。
国民には知らされず、貴族からは無視されて、実家からは言うまでもない。
全ては、強い力を持つターシャを利用する為に。
(嘘でも良いから、愛の言葉ひとつあれば。わたしはそれだけで)
でも、そうならなかった。
そうならなかったからこそ、パースと出逢えたという側面もある。
(人生、何が起こるか分かりませんわね)
ターシャはいつもの様に、偽りの笑顔を被りながら贈り物を確認する。
「絵画、彫刻、宝石、……あら、センベイがあるわね」
「それって、東から来る商人が偶に持ってくるお菓子ですね。王国にも東の商人が来ていたのですか?」
「まさか、王国はとても閉鎖的だったから。わたしは共和国に行く機会があったから食べたことがあるだけですわ」
「成程、――ってナスターシャ様っ!? 一応は毒味をっ!!」
「平気よ、これはちょっとした自慢なのだけれど。わたしは寿命以外では死なないし、病気にもなった事が無いわ。いざとなれば雑草だって食べていけるの、ええ、あれは不味かったですわ……」
「僭越ながらナスターシャ様、王国ではどんな食生活を?」
「基本的には軍の宿舎で出る食事を、偶の休暇で城下町の露天で買い食いするのが唯一の楽しみでしたの」
ばりばりとセンベイを食べるターシャに、エリーとマリアは絶句した。
予め聞かされてはいたものの、王国の待遇は王子の婚約者として相応しい扱いではない。
そもそもいくら強くても伯爵令嬢なのだ、軍に居た事すらありえない。
「(エリー、分かっていますわね)」
「(勿論よマリア、ナスターシャ様を全身全霊でお支え致しますわっ!!)」
帝国の、大陸の常識に照らし合わせても。
ターシャに対する王国の扱いは、かなり非常識だ。
第一、祝福を持つのならば。
その力の性質、美醜、ましてや肌の色で差別するなどありえない。
――――その力は、神が人類の栄華の為に与えた物なのだから。
(何故マリアとエリーは、妙にやる気になっているのでしょうか……? いえ、仕事に精が出るのは良いことですが)
その時、ターシャは贈り物を確認する手を止めた。
王妃から送られて来た小瓶、中に液体が入っている様だが香水ではないようで。
「…………何かしらこれ、白百合の口づけ?」
「王妃様からで――って、これってっ!? ちょっとエリー!!」
「言葉遣いが崩れているわよマリア、いったい何が――っ!?」
「何かの薬かしら、使用法と効能は貴女達に聞いて欲しいと書いてあるのですが……」
「…………つかぬ事をお聞きしますが、王国で社交界の噂とか耳にした事はございませんか?」
「いいえ、そんなものに呼ばれた事も。出た事も無いわ。ドレスだってパースに買って頂いた物を除けば、着ていたアレのみよ?」
「で、でででで、ではっ、軍の中でそういう噂とかは……」
「噂? 何を聞かれているのか分かりませんわ。軍でも部下以外と任務の事しか話していませんでしたし。――そういえば、任務や命令はいつも書状でしたね」
「(王国は本当にバカなのですかっ!? こんな偉大な祝福を持つお方になんて扱いっ!?)」
「(落ち着くのよエリー、王国が腐っているのは昔からで。その上、先代の王の時代よりあのペテンが蔓延してるのですから)」
顔を盛大にひきつらせる二人を余所に、ターシャは物は試しと小瓶の蓋を開けようとして。
「待ってくださいナスターシャ様っ!? ここではダメですっ、ダメですからっ!!」
「そうです、それはせめて初夜の時にでも――――」
「え? 初夜? それって…………ふぇっ!? ええええええええええええっ!?」
とたん、ターシャは火がついたように顔が真っ赤になった。
香水ではなく、初夜に使うような水薬となれば。
その手の知識が不十分な彼女でも、流石に検討がつく。
(つつつつつつつつまりこれってっ!? そ、そうですわよねっ!? ええっ、ひ、必要になるのかもしれな――――ううっ、考えてはダメっ、想像してはダメよっ)
あわあわと危なげな手つきで、小瓶を箱に戻す。
(こ、これはパースには見せられないわっ、といいますかわたしとパースが……、だから想像してはダメっ!!)
頭が茹だって、正常な思考が出来ない。
彼と彼女は、契約の上での婚姻だ。
だから当然、本当に結ばれる必要なんてなく。
あの意外と逞しい体で、押し倒される事なんて絶対に無いのであって。
「…………これは殿下が一目惚れする訳ね、女であるわたくしですら抱きしめたくなりますわ」
「エリー、……同意しますが先ずは薬を大事にしまっておく事が最優先ですわ」
二人が行動に移そうとした瞬間であった、隣室へ続く扉がノックも無しに開いて。
「ひゃうんっ!?」
「こんにちはターシャっ! 唐突で申し訳ないけど、少しの間だけここで休ませてくれな――――え、何その可愛い声」
「な、何でもないですわパース! そう何でも無いのですっ!!」
「うーん、顔を真っ赤にして慌ててる君も可愛いね。抱きしめて良いかな?」
「抱きっ!? い、いえ今はっ、後でっ、そう後なら御存分にっ!!」
「エリー? マリア?」
「言ってはいけませんエリー!! マリア!!」
板挟みになった二人は顔を見合わせる、側付きになった以上ターシャの味方をすべきだが。
仲を進展させるという意味では、パースに返答した方が良い気もして。
「ああ、ごめんごめん。困らせちゃったね、――ところでターシャ。君が後ろに隠した箱って何だい?」
「箱なんて隠してませんわっ!?」
「ふぅん……、君がそう言うならそう言う事にしとくよ」
「ほっ……」
「と見せかけてぇ!!」
「ぎゃーっ!? パースの変態っ! 変態変態変態っ!!」
「変態って傷つくなぁ……っていうか、君ってば本気過ぎない? それ多分母上からのだよね? 闇で潰しちゃだめだよ?」
「それ以上近づくと手元が狂うかもしれませんので、近づかないでくださいましっ!?」
ターシャは媚薬が入った小箱を闇で包んで絶対防護の構え。
更に、覆い被さって隠す姿にパースとしても苦笑するしかなく。
「分かったよ、僕は君に近づかない。ほら離れた」
「ううっ、もう……部屋に入るならせめてノックをしてからにして頂けませんか?」
「ごめんね、君の吃驚する顔が見たくて」
「悪趣味ですわね、――それより、今は執務中では? 戻らないとニカ達も困るのでは?」
「まったく、人使いが荒いよねぇ。僕は後二ヶ月の命だっていうのにさ。そりゃあ、命という概念を直接腐食させるっていう意味不明な呪いで、死ぬまでは元気らしいけどさぁ……偶には血だって吐くんだよ?」
ターシャが城に着てから知った事だが、パースの呪いは実に厄介な代物だった。
腐食の祝福、歴史を紐解けば百年前。
その持ち主は発酵食品の発展を助けたとあるが、当代の主はそれを悪用しているらしく。
(…………まさか概念攻撃とは、道理でわたしの祝福で染め上げてみてもダメだった訳ですわ)
ターシャから溢れ出る力は、白い霧の時の様に側に居る者にすら影響を与える。
だが白い霧が防げたのは、あくまでそれが祝福を行使した結果生み出された物だったから。
(わたしの闇は、物質に対しては無類の強さを誇る。わたし自身はどんな祝福も通用しない、でも他者に対する、特に概念から攻められたら)
祝福の主を倒す以外に、方法が無い。
(はぁ……、こういう気持ちを義父様達は味わってきたのですね)
物憂げなため息を出すターシャに、パースは困った顔をする。
「そういう顔を見たかった訳じゃないんだけど……いや僕が悪いか。――そうだっ! 僕も君に贈り物があるんだ、受け取ってよ!!」
「パース? え、またですか?」
「無駄遣いって言う? それとも代わりにお金?」
「いえ素直に嬉しいですし、お金は城下町で買い食いするのに使いたいだけなので……」
「お、良いねそれ。……いや君、その為にお金を要求してたのっ!?」
「ええ、だってわたしが自由に出来る金銭はありませんでしたし。王国では何度も言って漸く頂けたのですよ」
(本気でバカなんじゃないのっ!? 何度僕は驚けば良い訳っ!? これ絶対、庶民の子供の駄賃で汚れ仕事させられてたヤツだよねっ!?)
パースは衝動的にターシャの手を取り、涙ながらに語る。
「苦労したんだね……、けどもう大丈夫だからっ、ちゃんと皇太子妃が自由に使える予算があるからっ! 何なら僕の方からも出すからっ!! 帝都中の屋台を買い占めよう!!」
「いえパース、そんな事をしたら民が困るのでは?」
「冷静な言葉をありがとうっ! じゃあ僕は贈り物を取りに行くよっ!!」
「…………変なパースね」
小首を傾げるターシャに、メイド達も目頭を熱くして。
己達の使命は、この不遇に慣れきった美しい存在を。
何処に出しても恥ずかしくない、立派な皇太子妃に、ゆくゆくは皇妃として相応しい存在に育て上げるのだ。
「――マリア、全力を尽くして教師を呼びましょう」
「勿論ですエリー、贅沢にも慣れていない御様子。そちらの方面も万全を期しましょう」
「はーい、お待たせっ! 僕自ら選んだ君への贈り物は――――これだっ!!」
「……? この包み紙の意匠、隣町でドレスを贈って頂いた時の?」
「うん、実はこっそり買っておいたんだ。まだ早いかなって思ったけど。良い機会だから」
「ありがとうございますわ」
ターシャはパースに促され平べったい箱を開けると、そこには。
「…………? ――――っ!? ~~~~~~ちょっとパースっ!? こ、ここここっ、これっ!?」
「どうだろう……着てみてくれないか? 自制心が保てなくなるから見せてくれなくて良いけど、是非とも着て欲しい」
「こんなの着けられませんっ!? こんなっ、こんなの~~~~っ!? ばかっ、ばかばかばか変態っ!!」
恥ずかしさの余り、箱を放り出すターシャ。
するとどうだろうか、自然と中身も床に散らばって。
「――――あらまぁ? 殿下? 僭越ながら申し上げても?」
「………………殿下、気持ちはお察ししますが。少々やり過ぎでは?」
「うぐっ、そんな目で見ても僕は負けないぞ! だって男の夢じゃないか! お爺様だってお婆様にそうしてたって聞いたし、これはこのセレンディア皇家の伝統さっ! 今決めたっ!!」
「ううっ、こ、こんな下着がぁ……そもそも下着なのですかこれは……?」
そう、パースが渡したのは過激な下着。
大事な所が隠せてないし、むしろ強調するような。
(い、いえ、冷静になるのよ。思い返せば夜に忍び込んで暗殺した時、標的と一緒に居た情婦がこんな格好をしていた様な…………)
男とは、こういう格好を妻に望むのだろうか。
王国ではそんな視線で見られた事は、一度も無く。
しかし、あくまで彼との関係は契約。
仮初めの結婚、だから。
(――――落ち着きなさい、ええ、これはきっと周囲へそうと悟らせぬ為の。だから次にわたしが言う言葉は)
ターシャは頬が上気している事を自覚しながら、偽りの笑みを身につけて。
深呼吸したら、いつもの調子だ。
「パース、貴男も男性ですもの。わたしも理解を示しますが……、もう少し雰囲気を考えて渡してくださいまし?」
「あ、元に戻った」
「聞いていますか? このなさりようは、恋心を自覚せぬ子供のやり口ですわ」
「…………うーん、君にそれを言われるのかぁ。いや僕が悪い事は承知しているけども」
曖昧な顔で苦笑をひとつ、パースは懐から小さな箱を取り出して。
「ごめんターシャ、色んな君が知りたくて意地悪してしまった。これを受け取って機嫌を直してくれないかな?」
「変な物だったら、受け取りませんわよ?」
「実はこっちが本命だったんだ、急ぎ職人に作らせてね。――――左手を出して欲しい」
「左手? 良いですけれど」
皇子の言うがままに左手を差し出す、メイド達は何かを察したのか黙して下がり微笑んで。
彼は、箱を開ける。
「………………指輪」
「そう、婚約指輪さ。どうしても君に早く贈りたくて、独占欲が強いって笑ってくれて良い」
「いえ、いいえ、笑いませんわ。だって、だってわたし――――」
ターシャの心が溢れる、どうして彼は欲している物をくれるのだろうか。
(あの人は、くれた事も口にした事も無かったのに……)
指輪、そう指輪だ。
心の中で痼りとして残っていた事のひとつ、男女の、幸せの象徴のひとつ。
(嗚呼、嗚呼、嗚呼――――)
例え契約の為でも、偽りでも、ターシャには。
「…………返せと仰られても、返さなくてもよろしくて?」
「返されたら、呪いで死ぬ前に死んじゃうよ。――さ、これで君の物だ。そして同時に僕が君の、君は僕のものになった」
「ふふっ、うふふっ、まだ少し早いですわパース」
「うーん、結婚式が待ち遠しいなぁ」
それまでに、呪いが解ければ良いのにとは誰もが口にしなかった。
現時点では、絶望的であったからだ。
「――――殿下! パースリィ殿下は何処にっ! ナスターシャ様、突然のご無礼申し訳ありませんが殿下は其方におられますかっ! 国境沿いに現れた王国からの多数の亡命者について――――」
「残念、もう行かなきゃダメみたいだね」
「残念ですわ、頑張ってくださいましね」
「頬に口づけしてくれたら、完璧だったんだけど」
「それは後程に」
「本当に? よーし、ちょっと気合い入れて頑張ってくるっ!!」
パースが慌ただしく去った後、ターシャは婚約指輪を見てうっとりと笑みをこぼし。
側付きのメイド達は、それを微笑ましそうに見守って。
結局、浮ついた状態のターシャは三日程続いて。
「…………やっと終わったわ」
万年筆をコトリと置き、ターシャは軽く伸びをする。
指輪を見てはにやけ、礼状を書く手が止まった所為で。
思った以上に、時間がかかってしまったのだ。
(パースももう寝ているし、わたしも寝なければならないわね)
自分の失態である以上、ターシャは睡眠時間を削って仕上げ。
ランプを消して、ベッドに向かおうとした瞬間であった。
(――――侵入者っ!?)
見られている、気配を感じる。
城の中にまで、襲撃者の魔の手が延びるのか。
ターシャは怒気を孕みつつ、力を使おうとし。
(…………ちっ、逃げられたわ)
遠ざかる何者かの気配に、警戒を解きパースを起こしにかかるのであった。
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