第6話 ラウルス公爵の訪問
村を出発してから数日、馬車の旅はターシャにとって思ったより新鮮であった。
王国に居た頃は、人目を気にしながら道から外れて盗賊や魔獣に遭遇することもしばしば。
(水や食料の心配、周囲への警戒をしなくても済むのは。……これ程に楽なのね)
普通の貴族なら、或いは民草でも当たり前の事ではあるが、――それが新鮮なのだ。
そしてそれ以上に、新鮮なのが。
「パース、ずぅっとわたしを膝の上に置いているけれど。重くないの?」
「ふふっ、実はそろそろ足が痺れてきた気がするけど。これが中々楽しいんだよ」
「重いのなら下ろせば良いのに、まぁ誰かの膝の腕で抱きしめられているといのは中々に新鮮なのだけれど……これは何の意味があるのかしら?」
「あー、やけにあっさり了解してくれたと思ったら。そこからかぁ……」
苦笑するパースが、ターシャには分からない。
今日は朝からずっと、彼女は彼の膝の上だ。
「じゃあそうだなぁ、おやつは僕が食べさせてあげるっていうのは?」
「誰かに食べさせて貰うほど子供じゃ――いえ、もしかしてこれは夫婦の練習かしら? そうなら最初から言ってくれれば良いのに」
「うーん、ちなみに聞くけど。なんで膝の上は許してくれたんだい?」
「男の人って、女性の体に触りたいと聞くわ。契約の上だけれども貴男は夫になる人だから。多少の融通は効かそうと思って」
「何となくそんな感じはしてたよ……ちなみにご感想は?」
耳元で囁かれながら、ターシャは考えた。
彼の体温は不快ではない、むしろ落ち着くと言えよう。
至近距離で彼の顔を見ると、意外と睫が長く、肌もきめ細やかだ。
けれど男らしく、しっかりと堅い体で。
――でも、一番気になるところは。
「帝国の人はそうだと分かったのですけれど、やっぱりわたしの様な肌色の方は少ないでしょう?」
「僕にとっては魅力的だし、騎士達も反応悪くなかっただろう? でもそれじゃあ足りないみたいだね」
パースは少し考えると、ターシャの手を取り掌を指先でつつく。
「知っているかい? 王国人や君はその肌の色を黒というけれど。僕らには少し違う色に見えるんだ」
「少し……違う色ですか?」
「そうさ、僕らは本当の、人種として肌色が黒の人達を知っているんだ」
「人種として、肌の色が黒?」
ターシャには初耳だった、人の肌は日焼けすると赤くなる者や黒くなる者も居る。
そして王国、帝国、共和国、そこに住む人々の肌は白ではあるが、それぞれ少しづつ違う事も知っている。
だが、――そういう人種が居るのだろうか?
「王国でも貴族や商人には知っている人が多い筈なんだけど、あのペテンを信じてる人が多いからなぁ……それが王国に敵が多い理由でもあるんだけど」
「つまり?」
「端的にいこう、帝国のはるか南、大きな山脈を三つ四つ越えた先の一年中暖かい地域はね。ターシャより肌が黒い人が大勢暮らしているんだよ」
「――――帝国は、そんな遠くまで国交があるのですか? 王国と繋がりのある国なんて数える程ですのに……」
「王国は閉鎖的だからねぇ……、ともかくさ。その南の国の人達は君より肌が黒くて、そして掌だけは白いんだ何故か。理由は彼らにも分からないらしいけど、先祖代々って話だよ」
「それで掌を……」
「付け加えると、顔立ちなんかも結構違うね」
とても興味深い話だった、そこで生まれていればターシャも普通に暮らせていたのだろうか。
「だから僕らから見るとさ、ターシャは異国情緒溢れる肌色なのに、馴染み深い顔立ちで、それでいて綺麗で可愛いんだ。――――つまり、とても魅力的に写ってる」
「~~~~っ!?」
瞬間、ターシャは茹であがるような思いだった。
こんなに容姿を誉められた事は初めてで、途端、この体勢が妙に気恥ずかしく感じる。
「お、下ろしてくださいましパース……」
「恥ずかしがってる君にそんな事を言われると、何でも言うことを聞きたくなってくるね」
「なら下ろして……」
「でも駄目、これは夫婦らしくする練習さ。僕は皇子だからね、国民の上に立つものとして夫婦の仲の良さも見せつけなきゃいけないんだ」
「ど、どうしても?」
「うん、僕が結婚する事は早馬で知らせて貰ったから。今頃は城の皆も、城下の民も知ってるんじゃないかな? 帝都の門で、儀礼用の屋根の無い馬車に変えるから」
「っ!? そんな大々的にするのですかっ!? あくまで契約結婚なのではっ!?」
「その契約の報酬の為さ、大々的にターシャが僕の妻だって宣伝しなきゃ」
「…………パースって意地が悪いって言われませんか?」
「弟や妹は何度も言ってるね」
結婚、本当に結婚してしまうのかとターシャは今更ながらに実感した。
王子と婚約した時は、お披露目なんて当然のように無く。
何年たっても国民はおろか、大貴族中でも知らぬ者が居たぐらいだ。
(なんでこんなに恥ずかしく思うのでしょう……)
肌が黒くて良かった、耳まで真っ赤に見えていたかもしれない。
ターシャはそう思ったが、パースからしてみれば彼女の肌色は褐色。
(王国人は本当に理解出来ない、なんでこんな可愛い生物を忌まわしいって遠ざけてるの? 人間としての本能までバカになってるの?)
それも元来の物ではなく、祝福の影響だ。
当然、耳どころか首筋まで赤くなっているのが丸わかりであり。
「ターシャは可愛いなぁ、どうだろう口づけの練習をするのは」
「だ、駄目ですわっ!? 必要性を感じられませんっ!? どうしてもと言うなら、一回につき金貨一枚! そう金貨一枚です!!」
「お金で自分を売るなんて感心しないな、君は君が思っている以上に価値がある人だ。――うーん、これはそう自覚して貰う為にキスするべきでは?」
「わたしを誉め殺して機嫌を取ろうとしても、騙されませんっ! この獣っ!! それが男の人の本能なんですねっ!?」
「誰にもって訳じゃない、君だからさターシャ」
「あくまで契約上の妻です、終わったら会わないのですから、他の人の為に取っておいてくださいましっ」
「手強いなぁ、ちなみに契約が終わったら君は何をするの?」
思わぬ質問に、ターシャはまばたきを二つ。
そんな事、考えた事も無かった。
「…………そうですね、旅……でもしましょうか」
「良いね旅、何処へ行くの?」
「手始めに南方を目指しましょうか、そこなら母の手掛かりがあるかもしれないので」
「うーん? 君のお母上はご存命じゃ?」
「ああ、それは知らなかったのですね。わたし、妾の子ですので。本当の母は旅人で、わたしを産んでまた旅だってしまったと聞いています。……母も、同じ様な肌色をしていたらしいので、もしかすると」
「成程、それは気になるね」
相槌を打ちつつ、パースは引っかかりを覚えた。
王国が排他的なのは、建国当時からだと帝国の歴史書にはある。
ならば、王国人にとって不吉な色である黒、褐色の肌の旅人をましてや貴族が受け入れるだろうか。
(それに、同じ肌色ってのも気になる。基本的に南国の人は王国に行かない筈だけど……)
彼女の出生には隠された謎がある、もっと詳しい事を聞こうとして。
「――――殿下! ご報告申し上げます! 前方に人一名! 我々を待ち受けている模様!」
「敵襲か」
「いえ、それがどうやらラウルス公爵閣下がお一人で……」
「ノブリス叔父さんが!? ――……あー、そういえば死の森って一応ラウルス公爵領だったけ」
「パース?」
「今回の暗殺騒ぎの事が叔父さんにも伝わったみたいだね、まぁこっちも挨拶しなかったのが原因っぽいけど。――よし、叔父さんの所で止まれ!」
「はっ! 承りました!」
そして街道沿いに馬車は停車し、先に降りたパースはターシャに手を差し伸べる。
「お手をどうぞ、僕の愛しいナスターシャ」
「……ありがとう、パースリィ殿下」
二人は余所行きの仮面を被り、公爵と対面。
かの人、ノブリス・ラウルス公爵はパースと良く似ていて。
叔父という間柄を、十分に感じさせる容姿であった。
(パースの方が線が細目ね、でも王族の風格としては……公爵の方が上かしら)
仲良く談笑する二人の後ろで、ターシャは観察する。
パースの見た目の繊細さを獰猛さに変え、少し背を高くし、肉体を鍛え上げたら、見間違うかもしれない。
(でも瞳の色が違うのね、パースは綺麗な青だけど……公爵は少し濁った緑)
濁ったというには理由がある、パースが気づいているか分からないが公爵は皇子を見下している様な気がするのだ。
野心、と呼ぶべき感情を内に秘めている様な。
(こういう目、今までに何人殺したかしら。……この人が敵なの?)
ターシャの纏う空気の変化を感じ取ったのか、パースは態とらしく声をあげ。
「ああっ、そうだ! 紹介がまだだったね叔父さん! この人はナスターシャ、僕の妻となる人さ!」
「漸く紹介してくれたか、このまま教えてくれないのかと思ったぞパース坊や」
「坊やって叔父さん……僕はもう結婚するんですよ?」
「カカカっ、諦めろ私は君が生まれた時から知っているのだ」
「ふふっ、仲がよろしいのですね。私はナスターシャ・カミイラ・ノーゼンハイン。お目にかかれて光栄ですわラウルス公爵様」
「様なんてよせ、ノブリスでいいぜ。なんたって坊主の嫁になるんだ。なら親戚って事だろう?」
「わかりましたノブリス様、これから宜しくお願い致します」
ターシャはスカートを掴み、淑女の礼を一つ。
公爵は満足そうに頷いて、――違和感がひとつ。
(…………陰が、無い?)
そう、公爵にはあるべき陰が無かった。
慌てて祝福の気配を探ると、妙にぼやけた感触。
思わず怪訝な顔をしてしまったターシャに、公爵は気づいて。
「――ほう、坊主の嫁さんは聡いな」
「でしょ、自慢のお嫁さんさ」
「まさか、私の祝福に初対面で気づくとはな」
「……ノブリス様のお力を聞いても?」
「ああ、敵じゃねぇからな。私の祝福はよくある『光』で、実は今も執務室から話してるんだ」
「便利だよね叔父さんの祝福、僕も欲しかったなぁ……」
(…………帝国にも似た力を持つ人が居るのね)
ターシャは疑問を感じつつ、そう納得した。
光や闇、炎や水、そういった区分分けがあるものの、祝福の力の性質は個人によって違う。
(あのバカ王子も、自分の姿を遠隔地に映し出す能力だったわよね。……同じ光なら、共通して使える力なのかしら)
彼女の力は『闇』そして『夜』であり、王国では同じ区分の者は居なかったし、この手の教育は受けていない。
あるのはただ、実践による経験だけだ。
「しかし、坊主が暗殺者に追われ死の森に入ったって聞いた時は肝が冷えたぜ。本当に無事で良かった」
「そこで僕を助けてくれたのがターシャさ、彼女の祝福は秘密だけど、凄く強いんだよ!」
「ははっ、見りゃ分かるさ。肌に影響が出るまで強い祝福なんて初めてみたぜ。――ま、生きてるって分かりゃそれで良い。皇都まで無事にな」
「ありがと叔父さん!」
そう言い、公爵の姿は消えた。
同時に、ターシャの体に悪寒が走って。
「――――?」
「へくしっ!!」
「あら風邪? わたしも今、悪寒がしたけれど」
「なんか知らないけど、叔父さんと会った後は調子が悪くなるんだよなぁ」
「へぇ、変な事もあるものですのね」
用は終わったと、二人は馬車へ戻る。
再び動き出す中、彼女は気になった事を切り出した。
「パース、……あの方が敵?」
「どうしてそう思ったんだい?」
「だって、わたしの力を明かさなかったのですから」
「正確に言うと、その候補って所さ。具体的な証拠が出てきてないからね。――でも、覚えておいて欲しい」
「わかったわ、その時が来たら殺してあげる」
「頼もしいなぁ、でももう少し色気のある言葉が欲しかった」
「貴男はわたしに何を期待しているの?」
首を傾げるターシャに、彼は苦笑しながら彼女を膝の上へ。
「――出発! イヤな予感がするから速度を少し上げろ!」
帝都まで残り半分、一同は旅路を再開したのであった。
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