第7話 二ヶ月



 それからの道中は、騎士達こそ真剣な顔をしていたものの。

 馬車の中は相変わらず、訓練と称してパースがターシャに四六時中触れていた。

 膝の上に続き、膝枕、或いは食事を食べさせあったり、就寝時には腕枕など。

 そして。


「今日は折角だから、手を繋ぐ練習をしないかい?」


「……貴男の事が段々と理解できてきた気がするわ、単に恋人の真似事をしたいだけでしょう」


「勿論、だって僕の妻になる人だから仲良くしたいんだ」


「妻でなければ、そうでは無いと?」


「まさか、君が妻にならないのなら。恋人となる為にもっとロマンチックに迫るさ」


「……帝国の第一皇子にそう言われたら、ご令嬢は誰でも喜びそうですね」


「君は違うのかい?」


「さぁ、契約上の妻となる身ですから」


 本当の事を言うと、こうした事が少し楽しみであったが。

 それを口に出すのは、何となく気恥ずかしくて。

 ターシャはいつもの様に、笑顔の仮面を被って立ち向かう。


(もしこれが演技だとしたら、舞台役者としても食べていけるのではないかしら?)


 愛してる、と軽々しく言わないだけ本気なのだろうか。

 それとも、言わない事こそ彼の策略だろうか。

 どの道、期間限定の伴侶を口説く意味などないだろうに。


「――また何か誤解してる気がするけど?」


「気のせいでは? それより手を繋ぐ訓練とはどのように? 誰かに見せるとしても、貴男が一目惚れしたという設定で行くならば必要無いように思えますが」


「そう言うと思って理論武装は完璧だよ、これは君が僕を受け入れたと見せつける為さ」


「…………成程? 貴男が無理矢理迫った訳ではなく、わたしも結婚に同意したと思わせる為に」


「そういう事さ、それに手を繋ぐって言っても色々あるんだよ?」


 パースの主張に、ターシャは怪訝な視線を浴びせた。

 確かに恋人や夫婦は手を繋ぐという、だが例えば友人と手を繋ぐそれと何の違いがあるのだろうか。

 そもそも、皇族としての結婚だ。


「――ふぅん、もっと慎み深く手を重ねるだけで良いんじゃないかって、そういう顔をしているね?」


「よく分かりますね、心を読む祝福を持っているのですか?」


「残念ながら、家族の中で僕だけ祝福を持っていないのさ。だからこれは、優秀な弟妹に負けないようにって身につけた処世術みたいなものなんだ」


(何となく、パースの人望が厚いのが分かった気がするわ)


 持ち前の明るさ、その深い洞察力で人心を勝ち得たのだろう。

 現に、死の森の出口でも騎士達は涙を流して喜び。

 騎士団長は、無礼を承知でターシャを見定めに来た。


(…………まさか、ニカみたいな事が帝都についたらまた起こるのかしら)


 仮面の下にうんざりした顔を、パースは気づいていながら無視してターシャの手を取った。


「じゃあ、まず普通に繋ごうか。…………それにしても、君の手は思ったより柔らかいよね」


「どういう事です?」


「例えばニカ達なんかは、鍛えてるからゴツゴツして分厚いかんじじゃないか。でも君は彼らより強いのに、今まで見たどんなご令嬢よりすべすべして柔らかそうだし、実際にそう」


 そう言いながら、彼はターシャの指をひとつひとつじっくりと輪郭をなぞって。


「少しくすぐったいですわ」


「それだけ? 僕のもしてみる?」


「……ではお言葉に甘えて」


 今度は逆に、パースの指の輪郭をなぞる。

 感触を確かめながら、ターシャは真剣な顔でなぞる。


「……男のヒトの手って、少し堅いのですね」


「それから?」


「わたしより、大きいです。ほら」


 掌を重ねて比べてみる、すると彼は微笑んで指をずらして握り。


「君もやってみて」


「こう……ですか?」


「そう、これが俗に言う恋人握りってやつさ」


「成程、親密さの象徴なのですね」


「一番良いのはキスしてみせる事なんだけど……」


「…………その時が来たら、頬にだけ許します」


 パースのまっすぐな瞳に、彼女は思わず視線を反らした。

 そのまま目を合わせていたら、思わず受け入れてしまいそうな気がしたからだ。


(情が移るとは、こういう事を言うのかしら?)


 でも勘違いしてはいけない、二人の関係は彼の復讐が終わるまで。

 そうしたらターシャは大金を手にして、自由な旅に出るのだから。

 未来の事に想いを馳せた瞬間であった、突然パースが咳き込んで。


「パースっ!?」


「っ、ゴホッ、ゴホゴホゴホッ~~~~――――…………すまない、何でもない」


「その言い訳が通用するとでも? こんな至近距離ではあの時みたいに血を隠せませんわ」


「……ははっ、まいったなぁ。あの朝から気づかれてたんだ」


「貴男から話してくれるのを待っていたのですが、こうなったらお話を聞かない訳にはいきませんわ」


「仕方ない、出来れば最後まで隠し通したかったんだけどね」


 パースは口元や掌の血を拭き取ると、姿勢を正す。

 真剣な、しかし何処か悲しみがこもる瞳にターシャは不吉な予感を覚悟して。


「――――僕は後、二ヶ月以内に死ぬ」


(嗚呼……)


 彼女は一度、強く瞬きした。

 何となく線が繋がった気がする、彼が契約を持ちかけた理由、ニカ達の態度。

 大事にされ慕われている皇子、なのに復讐とは。

 家族仲だって、王国まで伝わるほど良好で。


「繰り返そう、僕は二ヶ月以内に死ぬ。……誰かの祝福によって」


「…………犯人は、あの伯爵であると?」


「一番怪しいのはね、動機もある。叔父さんは父さんに皇帝の座を奪われてると思ってるから」


「でも、捕まえるのには証拠が無い。という事ですか?」


「その通り、叔父さんは演技が上手くてね。反逆の意志なんて欠片も見せないのさ。……せめて、僕を呪ってる祝福の持ち主だけでも見つけ出せれば良かったんだけど」


「伯爵が隠していると? 伯爵の祝福がそうである可能性は?」


「隠してると思ってる、……でも叔父さんの祝福? 君も見ただろう。自分の姿を遠くに映し出す力さ、しかも会話出来る優れモノ」


「…………そうですか」


 ターシャの見た限り、あれは元婚約者と同じ力。

 あり得るのだろうか、祝福は個人個人で例外なく違う力。

 同じなんて、あり得ないが。


(確証がもてない、あの時は朦朧としていたから……)


 黙り込むターシャの手を、パースは握り。

 

「そういう事だからさ、ターシャには僕の妻になって欲しかったんだ」


「復讐を果たしてくれそうだから?」


「思い出して、僕が君に求婚したのは力を見る前さ」


「では何故……」


「…………本当に、一目惚れだったんだ」


 彼は嬉しそうに、しかし謝罪する様に微笑む。

 それは死を目の前にした者のそれ、ターシャには実に不快に感じて。


「死ぬ前に一度、帝国を見て回ろうと思ったんだ。――運が良ければ、呪いをかけた犯人が見つかるとは思ってたけど」


「そうはならなかった、貴男は殺されかけたわ」


「まさか呪いで死ぬ前に殺しに来るなんてね、油断してたよ。――――でもターシャ、君に出逢った」


「……」


「実はね、諦めてたんだ。誰かと恋人になる事、夫婦になる事、死ぬのが分かってたから。男として、皇子として、そんな無責任な事は出来ないって」


「それが吹き飛ぶ程、わたしに惚れたの?」


「君は信じられないだろうけどね、復讐してくれなんてその場で必死に考えた理由さ」


 その時、ターシャは彼を理解した気がした。


(何もかも恵まれていた貴男でも……愛を求めていたのですね)


 後先考えずに、運命の人とでも呼ぶべき者を見つけて。

 その対象が彼女であるのは、実感が沸かない事であったけれど。


「今一度繰り返そう、――僕は死ぬ、君を残して、……多分、君を妻として抱く事無く死ぬだろう」


「……」


「だからお願いだ、僕が死ぬまで側に居て欲しい。そして僕が死んだら、復讐なんて考えずに去って、生き延びて欲しい。……全部、僕の全てをあげるから、僕の妻でいてくださいターシャ」


(この人は……)


 受け入れている、死の運命を受け入れているのだ。

 たった唯一、ターシャの事だけを考えて。

 他の全てを、諦めようとしているのだ。


「パース、わたしは――――っ!?」


「どうかしたの? いきなり怖い顔なん…………まさかっ!?」


「馬車が動いてない、何時から? 話に熱中し過ぎましたわっ!」


「敵襲……、また敵が来たのか!」


 もやもやとした気持ちが言葉を得る前に、新たな問題が発生した。

 ターシャの内面が、怒りで満たされようとしていたのだった。


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