第5話 旅立ちの朝


 パースがターシャを皆に紹介したとき、そのどよめき様は異常なものだった。

 ある者は大いに嬉し泣き、ある者は多いにパースを責め、ある者はターシャに敵意を向ける。

 全体的には喜ばしい雰囲気であったが、どうにも負の感情が強く。

 特に気になったのは。


(同情している様に見えたけれど……、今はそれより疲れたわ)


 何か事情があるのだろうが、彼も彼女も丸一日歩き詰めだったのだ。

 一番近い村に着き、宿屋に入るなり熟睡して。

 朝、鶏の声と共に起床。

 周囲の光景に違和感を覚えながら、緩慢な動作で体を起こす。


(…………そうだった、ここは宿舎じゃなかったわね)


 何日ぶりだろうか、ベッドで熟睡したのは。

 暗殺任務という都合上、主な活動時間は夕方から朝日が出るまで。

 昼間は人目に付かぬ様に、王国中を移動して。

 睡眠は数回に分けて短時間づつが基本、一度にこんなに眠ったのは久しぶりだ。


「少し、不思議な気分だわ」


「どうして? ベッドが堅かったかい?」


「ベッドで眠ったから、それにこういう時は警護に回って寝ずの番を――――いえ待って、待ちなさい。何で貴男が隣に居るのですか?」


「何でって、昨日一緒に寝たじゃない」


「…………そういえば、そうでしたわね」


 ターシャは、隣で笑うパースをじろりと睨んだ。

 意味が分からない、何故彼は楽しそうに彼女の毛先を指に巻き付けて遊んでいるのだろうか。

 それに何の意味があるのか。


「パース、契約に同意したとはいえ。これでもわたしは嫁入り前の清いからだの乙女です、少しは配慮を見せるべきでは?」


「僕もそう思ったんだけど、目を離したら何処かに消えちゃいそうだし。それにさ、こういうのって婚前旅行とか、秘密の逢い引きって感じで楽しそうじゃない?」


「生憎と、そういう感性は持ち合わせて居ないので」


「うーん、手強い」


 ターシャは己の髪を、パース皇子の手から取り戻しベッドから降りて扉へ。

 彼女には、起床後の習慣があるのだ。


「お腹が空いた? 実は僕もなんだ、でも残念まだ準備が出来てないってさ。もう少しここでゆっくりしない?」


「いえ、それなら好都合ですわ」


「じゃあ僕と――」


「いえ、朝食前に鍛錬をしようと」


「え、鍛錬?」


 まるで初めて聞く単語の様に、不思議そうな顔をするパース。

 面倒だと思いながら、ターシャは軽く説明した。

 何せ彼は、これからは契約上の夫となる人物なのだから。


「いつでも戦える様に、寝起きには剣を振るって鍛錬するのですわ。パースもどうです? 目が覚めますよ?」


「うーん、僕は遠慮する。ガラじゃないし……それより、その格好で? 時間をくれれば服を用意させるけど」


「格好? ――ああ、そういえば村人から借りた服のままですね。心配ありませんわ、どの様な服でも動ける様に訓練していますので」


「君がそう言うなら良いか、なら汗を流すためのお湯と着替えを準備させよう。そうだ僕も見学していいかな?」


「ええ、ご随意に」


 という訳で、宿屋の庭に出たターシャ達は警護の騎士から剣を借りる。

 彼らは物珍しそうに彼女を見るも、気にせずに剣を振り下ろし。


「――――はっ!」


「っ!?」「おい今の見えたか?」「いや凄いぞ、隊長より早いんじゃねえか?」「それより足捌きだろ、相当な手練れだぞ」「やべぇよ、剣圧がこっちまで来てるんだが?」


(ふぅん……、皇子の護衛だけあって見る目はあるのね)


 ターシャは剣を振り下ろし、薙ぎ、突き、振り上げ。

 熟睡して堅くなった体を、丹念にほぐす。


「ねえターシャ、それって何処の流派? 型に心当たりが無いんだけど」


「これは我流ですわ、訓練する暇など無かったものでひたすら実践で。お見苦しい剣をお許しくださいな」


「ひたすら実践でっ!?」


 事も無げに言われた言葉に、パースや護衛騎士達は驚愕した。

 見るからに貴族の子女が、苦もなく剣を振う事実すら珍しいのに。

 訓練の暇がないという話、そして実践のみで鍛えたと。


(王国は何を考えてターシャに暗殺なんてさせてたのっ!? どう見ても最前線向けの人材じゃないかっ!? 彼女一人で大陸中の国家を征服出来る実力があるじゃないかっ!?)


 現実的に考えて、大陸支配には王国の人材が足りないから実行していないとしても。

 周辺国である共和国、そしてこの帝国ぐらいなら既に支配されていても不思議じゃない。

 罠なのか、それともただの考えなしのバカなのか、パースが頭を捻っている時であった。


「おはよう御座いますパースリィ殿下、そして――――ナスターシャ様、不躾なお願いですがどうか私とお手合わせ願いませんか?」


「や、おはようニカ」


「…………確か、パースの護衛騎士団の」


「はい、隊長を勤めておりますニカ・ローベンと申します。ご挨拶が遅れて申し訳御座いません皇太子妃様」


 声をかけて来たのは、鎧に身を包んだ短髪の大柄な男。

 昨日、ターシャを睨んでいた者の一人だ。

 彼女は彼の鋭い眼光をものともせず、呆れたように返した。


「気が早いのね、まだ皇帝は認めていないわ」


「時間の問題でしょう、殿下が決めた事であれば諸手をあげて歓迎なさるでしょうから」


「いやそれよりもっ、何でいきなり手合わせ? 事情を説明してよニカ」


「それは……」


 躊躇する騎士団長に、パースは怪訝な顔。

 ターシャと言えば、然もあらんと頷いて。


「まだ目が覚めていない様ねパース、少し考えたら分かる事ですわ」


「というと?」


「死の森での暗殺騒ぎ、連れ帰ったのは何処の誰かも分からない女。しかも不吉な肌をしているというのに妻にしようとしている。――警戒しない方が護衛として失格ね」


「……ニカ、皇子である僕の判断を疑うと?」


「疑うのが護衛の職務ですので。そしてナスターシャ様、ひとつ訂正を」


「聞きましょう」


「貴女様は、不吉なと仰いましたが。ペテンを信じている王国ではいざ知らず、この帝国では祝福を受けた者は肌の色、容姿の美醜、地位に関わらず敬うべき存在だと教えられておりますれば」


「…………そう」


 その言葉に、ターシャは不覚にも動揺した。


(そんな事を言われたのは初めてだわ、……嗚呼、だからパースはわたしの肌色を気にしなかったのね)


 なんて生きやすい国だろうか、彼女はこの国に生まれなかった事を悔やんで。

 しかし、そうなると。


(…………待って? じゃあパースはわたしに本気で一目惚れしたって言うの!? い、いえ、まだ決まった訳じゃないわ。危険な状況だったし、勘違いしただけよ)


「ターシャ、何でそんなに可愛く首を振ってる訳?」


「か、可愛い? ――いえ、話を戻しましょう。ニカはわたしと戦いたい訳ね」


「これでも長きに渡り剣の腕を磨いてきた身、無礼を承知で申し上げます。ナスターシャ様がパースリィ殿下に相応しいかどうか、試させて頂きたく存じ上げます」


「まるで小姑ね」


「いやニカ本音は?」


「ふおおおおおおおおおっ!! 私には分かるのですよ殿下っ!! ナスターシャ様は強者っ!! 大陸中探してもこれ以上は無い程の強さの持ち主!! 殿下の筆頭騎士としてとしてっ! 否っ! 武人として戦わずにおられましょうか!!」


「僕の為とか言って、自分の欲望じゃないかでも良いぞ許可する!! 返り討ちにしてやれターシャ!! 君が最強だって事を示してやれっ!!」


「パースっ!? 貴男バカなのっ!?」


 ひゃっほうと観戦の準備を始める皇子、他の騎士達も慣れた様に下がって場を開ける。


「すみませんナスターシャ様」「ウチの殿下はいつもこうなので」「頑張ってくださいナスターシャ様! 勝利に一口賭けてるんです!」「俺は二口賭けた」「オレは五口」


「貴様等っ!! 団長である私に賭けないか!!」


「その前に、緩くありません? 第一皇子の護衛騎士団ですわよね? 雰囲気緩くありません?」


「まぁ僕の騎士団だからね、普段はこんなもんさ。いざって時は頼りになるから君も信頼してくれると嬉しいな」


「…………貴男がそう言うなら」


 ため息を一つ、ターシャは右手に剣をだらんとぶら下げて。

 対するニカは、剣を水平に寝かせて構え。


「雰囲気で理解してると思うけど、一応言っておくよ。双方とも祝福は使わない様に。そして決着は剣を落とすか降参するかで」


「殿下、体術はアリですかな?」


「ターシャが良いなら」


「問題ないわ、使えるものなら使ってみなさいな」


 笑顔を崩さないターシャ、闘志を剥き出しにするニカ。

 開始の合図など必要ない、もう勝負は始まっているのだから。


「――――殿下の妻たる資格があるか、確かめさせて貰います」


 彼我の距離は、馬車ふたつ分。

 大柄なニカであれば、瞬き一回の間に詰められる好条件の間合い。


(でも、問題ありませんわ)


 何も知らぬ者が居たら、ターシャの敗北を予見し溜息をついたであろう。

 騎士達にしても、森でのターシャを知らないので半信半疑で。

 パースとしても、祝福無しならば良い勝負とするのではと幾ばくかは思って。

 ――――だが。


「……………………私の、負けか」


「ええ、わたしの勝ち」


 次の瞬間、ターシャはニカの後ろに背中合わせで立ち。

 遅れて、ニカの剣の刃が根本から折れた。


(違う、切られたのだ。私と同じ叩き潰す為の剣で、鋼鉄を鋼鉄で切られたのだ。――知覚すら出来ずに)


 彼には見えなかった、彼女が踏み込む動作も、剣を振るうその時でさえ。

 歴戦の勘が、剣がガラクタとなった事を教えるだけ。

 完敗、その事実に彼は清々しさすら覚えて。


「え? ええっ!? ええええええええええっ!? いったい何が起こった訳っ!?」


「まさかここまで差があるとは……このニカ、ナスターシャ様にも忠誠を誓わさせて頂きたい」


「許しましょう」


「我ら神から祝福された者は、身体能力も只人の倍を備えていますが。――いえ、それだけではありますまい。先程のお言葉、実践にて磨いたというのは嘘偽りでは無かったのですな」


 振り向いて跪き忠誠を誓うニカ、変わらず淑女の笑みで受け入れたターシャ。

 パース達には何が起こったかすら判別出来ないが、ともかく彼女の勝利には間違いなく。


「よく分からなかったけど、ターシャの勝ちだねっ!! いやぁ、凄かっ――――ごほっ、ごほっ、ごほごほごほっ」


「え、ちょっとパース大丈夫ですのっ!?」


 突如咳き込んだ皇子に、ターシャは思わず目を丸くして。

 駆け寄ろうとするが、彼の周囲の騎士達に拒まれる。


「何故邪魔をしますの? パースは大丈夫なのですか?」


「あ゛~~、ゴホンっ。……うん、ちょっと興奮して叫びすぎたみたい。ほら皆、もう大丈夫だから。――ね、何ともないでしょ」


「…………貴男がそう言うなら」


 騎士達が退くと、そこには彼の変わらぬ姿。

 しかしターシャは見逃さなかった、パースが後ろに隠した右手、その掌に赤い血が付着していた事を。


(…………今は、そう、今は何も聞かない事にしましょう)


 必要なら話すだろう、話さないならば彼が彼女を信用していないというだけ。

 名実共に、契約で結ばれた仮初めの夫婦のまま終わるだけだ。

 ――そこに、小さな胸の痛みを感じたのは不思議な事ではあったが。


「よーし、それじゃあ朝ご飯を食べたら皇都へ戻るよ! いやー楽しみだなぁ、君との新婚生活!」


「そんなにはしゃぐと、また咳き込みますわよパース」


「心配してくれるの? 嬉しいなぁ、キスして良いかい奥さん」


「…………頬になら、ただし必要な時だけ」


「また難しい事を言うね君は、ではお手をどうぞ」


「それなら喜んで」


 残念そうにするも、楽しそうにする彼に手を引かれ。

 彼女は、宿屋へと戻っていったのであった。



 ○



 一方その頃、王国では。

 第二王子の執務室に、件の王子と黒いローブで身を包んだ男が一人。


「――――共和国の雑魚相手に、何を手こずっておるか!! あちらに目立った祝福持ちなどもう居ないだろうっ!!」


「…………しかし殿下、彼方の戦力は未だこちらの倍。今は国主自らが指揮を取っているのであれば、兵の差、将の数、装備も食料も何もかも足りませぬ」


「フン、そんなもの国主を貴様らが暗殺すれば良いことだ。我が国はそうやって勝ってきたのだ」


「であるならば、せめてナスターシャ様の居場所をお教えください。我ら隠密の者には隊長が必要であります」


「指示するものなら、貴様がやれば良い。副官だったのだろう? それに聞いておるぞ、奴の戦果はまったくのデタラメ。貴様も手柄を横取りされていたのではないか?」


「…………殿下?」


「行け、我が王国の不吉の象徴はもう居ない。ならば勝利あるのみだ!」


「………………承知したしました」


 そして黒いローブの男は執務しつから去り、王宮から出ると直ぐに軍の宿舎まで走る。


(バッカじゃねぇのウチの王子は!! 王も貴族も皆腐ってやがるっ!! 隊長を粗末に扱っておいて! 何が成果を偽造だっ! しかもなんで共和国に攻め込む必要があるっ!! 隊長が追い返す前にボロ負けしてただろうがっ!! 何人死んだと思ってやがる!! 付き合ってられるかよ!!)


 それは隠密らしく、誰の目にも止まらぬ早さで。

 彼は、部隊に与えられた談話室に飛び込み。


「――――ラリヤ! マヤリス!」


「帰ったかコンバ、どうだった能なし王子の話は」


「どうもこうもあるかラリヤっ!! まったく現実が見えていないっ!!」


「…………つまり、俺達だけで共和国を崩せと? ナスターシャ隊長を追放刑にしておいて? 何考えてるんだ!?」


「落ち着けラリヤもコンバも落ち着け……、我らも追放に手を貸したのだ、同罪だろう」


 そう、ターシャを森に置き去りにしたのはこの三人。

 副隊長であったコンバ、そして部隊の古株であるラリヤとマヤリス。

 ――彼ら三人は、同じ黒いローブで身を包み。


「そうは言うがマヤリス、家族を人質に取られているんだぞ。仕方なかったんだ、だれが喜んで隊長を死に

追いやるものか!! 俺たちは皆、あの方に恩があるんだ!!」


「嘆くなコンバ。せめて、追放が今日であれば間に合ったものの……」


「今日? ――そうかラリヤ、遂に終わったのか?」


「そうだ、俺たちの枷は全て外させて貰った。――これで後戻りは出来ないぞ」


 マヤリスの言葉に、二人は頷く。

 彼ら三人は計画していたのだ、この王国から逃げ出す事を。

 ナスターシャを連れて、彼らの家族ごと亡命する計画を立てていたのだ。


「…………隊長は生きている、生きて、帝国までたどり着いていると俺は信じている」


「ああ、その為に危険を犯して帝国側にまで行って置いてきたんだからな!」


「でもさ……やっぱり隊長にも話しておきたかったよな。もっと監視を早く排除出来てたらなぁ……」


「……ラリヤ、マヤリス。監視は排除したとはいえ感づかれると面倒だ。只でさえ亡命希望の奴が増えてるんだ」


「決行は何時だ」


「可能なら今すぐにでも、俺は現実見えてねぇ泥船に乗って死ぬつもりはない、家族もだ」


「それだな」「下町の奴らに伝えてくるわ」


 彼らは動き出した、ターシャの無事を信じて。

 そして自分たちの未来の為に、行動を始める。

 ――――王国は、密かに崩壊を始めたのであった。


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