第3話 パース皇子
その男の金髪はさらさらとして、女として羨ましくなるぐらいに綺麗だった。
すらりと背が高く、整った顔立ち、――甘いマスク。
(小説に出てきそうな典型的な王子様って、こんな人を言うのかしらね)
肌は白く日に焼けていない、けれど不健康な白さではなく美しい。
黒を基調とした軍服は帝国のものだ、階級章や勲章が偽物でなければかなりの上位で。
――泥だらけでなければ、ここが城の中であれば、即座に信じてしまっただろう。
「ああ、申し遅れました美しい人……、僕の名はパースリィ・ユーリウス三世・セレンディア」
「え、はぁっ!? 帝国の皇子!? ………………待って、待ってくださいまし? ちょっと理解が追いつかないのですけれど?」
「そうだろうね、出会ったばかりで求婚なんてどうかしてるとお思いでしょう」
「いえ、そもそも皇子が死の森に居るのがどうかしてるのでは?」
「そこはお互い様です、――宜しければレディ、お名前を聞いても?」
ターシャは返答を躊躇った、だってそうだろう。
こんな所に、どうして帝国の皇子が居るのだ。
しかもパースリィ皇子といえば、次期皇帝とも名高い第一皇子。
間違っても、死の森の奥深くに居る人物ではない。
「…………ターシャ」
「ターシャ! なんて良い名前だ!! でもそれ愛称ですよね? 全部お聞かせ願えます?」
「皇子を語る不審人物に、迂闊に名乗るとお思いですか?」
「それは確かに、でも心配しないでください。すぐに私の身元は保証されま――――あ、ヤベ、僕追われてるんだった」
「はい? 追われてる?」
詳しい事情を聞くべきか、それとも無視するべきか。
不吉な予感が、ターシャを襲った瞬間であった。
彼の背後の茂みから、ガサゴソと音がしてこれまた見知らぬ人物が現れる。
「まったく、こんなアホがウチの皇子だとはな。――こんにちは見知らぬご令嬢、心配せずともコイツはパーセリィ皇子だ」
「ね、言った通りでしょ。どうか僕の事はパースと呼んでください」
「ちなみに、今現れた方とのご関係は?」
「暗殺されかけてる」「暗殺しようとしてる」
「…………」
「暗殺されかけてる」「暗殺しようとしてる」
「繰り返さなくても良いですっ!! 頭おかしいんじゃありません!? 何で暢気に会話してるんですかわたし達はっ!!」
まくし立てるターシャに、皇子と暗殺者は顔を見合わせると。
「いやー、僕ってば第一皇子でしょ。しかも次期皇帝だし、敵が多くってさぁ。視察の際に浚われて近くの森に逃げ出してみたら死の森だし、追っ手は来るしで」
「死の森に誘導するのは計画の内だ、俺の役目はこのアホ皇子が死ぬのを見届けるか、直に殺すかだ」
「でも君だって生きて帰れる保証は無い訳でしょ、さっきも言った通り。ここは協力して帰らない? 地図と方位磁石だって持ってるんでしょ?」
「安心しろよバカ皇子、俺は捨て駒だ。――アンタ余程恨まれてるんだな、雇い主は俺の家族に莫大な報酬を前渡ししてくれたぜ」
(どうしましょう……?)
この二人はターシャを騙す罠、とも考えられるが。
そう断言するには、パース皇子が引っかかる。
王子の元婚約者だからこそ判別出来る、彼の衣服は騙し討ちに使うには高価過ぎる代物。
そして彼の言動こそ気軽で奇天烈だが、立ち居振る舞いは高貴な者のそれだ。
「……そこの貴方、質問をしても?」
「何でも答えてやるぜ、どうせアンタもコイツもこの後で殺すんだ」
「随分と自信がおありね」
「帝国一とは言わねぇが、皇族の暗殺依頼が来るぐらいにゃあ場数を践んでるんだ。なぁアンタ、何処の国のもんか知らないが『血染めの泥男』って聞いた事がねぇか?」
すると、皇子は目を丸くして喜びの声を出す。
「え、今帝国の中では一番ヤバいって噂になってる暗殺者かい!?」
「残念ながら、わたしは帝国人じゃないから知らないわ」
「そうなの? となると素性不明の美人……、ますます惚れてきたよ!!」
「テメェは黙っとけバカ皇子、それで聞きたい事って何だお嬢ちゃん」
「その人が言った通り、本当に地図と方位磁石を持っているのか聞きたかったのよ」
答えが是なら、ターシャは殺す事への躊躇いを無くす。
もっとも、答えが否でも命が狙われるなら殺すのだが。
暗殺者は彼女の微笑みの仮面に騙され、完全に油断して答えた。
「それは正しいぜ、しかも特に危険な魔獣の生息域まで網羅した裏でも滅多に出回らない精巧な地図だ」
「それを聞いて安心したわ」
「……お嬢ちゃん、俺に勝つ気かい?」
「ええ、貴方ぐらいの雑魚なら本気を出すまでも無いわ」
「ちょっと待ってターシャっ!? こうして出会ったって事はこの森で生き抜く術を持ってるって事だろうけど、相手は本職の暗殺者だよっ!? ――――殺すなら僕から、いいや僕だけを殺せ、だからターシャを森の外まで送り届けて欲しい」
そう言い両手を広げ、庇う姿勢を見せた皇子にターシャと暗殺者は溜息。
「ここが死の森じゃなくても、目撃者は殺すのが鉄則だって分かるだろバカ皇子」
「貴男ってお人好しとか言われてない? 知り合ったばかりの人物を心配するとか、将来が心配よ」
「あれっ!? なんで二人から呆れられてるの?」
彼は実に不本意そうに顔をしかめるが、もう攻防は始まっている。
暗殺者は腰のナイフに手を延ばし、だがそれはブラフだろう。
(手慣れてるわ)
祝福を持つ者同士の戦いにおいて、武器というのは最後の手段に近い。
こんな危険地帯に来る者が、理解していない筈がなく。
現に彼の足下は、妙にぬかるみ始めていた。
(神影を出さない所を見ると、言うだけの事はあるのね)
神影、それは祝福を与えた神の写し身。
その形は神と呼ぶには奇っ怪な姿が多かったが、ともあれ普通なら神影を出してから攻撃となる。
故に、手練れ。
だが、ターシャには遠く及ばず。
「仲良く死ね――――っ!? あ、足が動かねぇ!?」
「あら、帝国の暗殺者とやらも大したことないわね」
「何が、……影が動いてるっ!?」
「さて、わたしも名乗りが必要かしら?」
微笑むターシャに、暗殺者はビクっと体を震わせて。
「ま、まさかイキシアの死神っ!? 実在したのか!? なんでこんな所に居るだよっ!?」
「イキシアの死神!? それって確かコールムバインの第二王子の婚約者じゃ――、ああっ、その肌の色っ!? 確かにそうじゃないかっ!?」
「わたしがイキシアで戦ったのも、そこに居た事すら軍事機密なのだけれど。……しかもあれから三日と経過してないわよね? まったく、あれだけ防諜体制を見直して欲しいと訴えたのに」
溜息をひとつ、止めを刺すために近づくターシャ。
暗殺者は顔を青くして怯えて、皇子は目を丸くするばかり。
(嘘だろっ!? 俺の神力が力負けして発動すらしてねぇっ!?)
確実なる死の予感、どの裏組織からも注目されているのに。
その力の詳細、神影の全貌さえ明らかにされておらず。
しかも、数々の刺客を返り討ちにし王国の防諜を一人で担っていた実力者。
それが今、哀れな暗殺者の目の前に。
「あああああ、貴女様の実力は分かりました!! 降参! 降参します!! だから命ばかりは――――」
「悪いとは言わないわ。潔く死になさい」
「た、頼――…………」
すぱん、と暗殺者の首が転がる。
それをターシャは微笑みを張り付けた顔で、冷たく見下ろして。
(これでこの皇子とやらも、奇妙な事を言い出さないでしょう。――この姿と力を見れば、誰だって恐怖するのですもの)
ならば、後は地図を手にして脱出するのみ。
皇子も一緒に送り届ければ、報酬だって貰える筈だ。
彼女が死体を漁ろうと踏み出したその時、その手が皇子によって掴まれて。
「――命を救ってくれてありがとうターシャ、図々しいと思うけれど、どうか僕の頼みを聞いて欲しいんだ」
「何ですかパース殿下、血の臭いを嗅ぎつけて魔獣が寄ってきます。手短にしてください」
「ターシャ、この世で一番美しい人。その黒い肌も、黒い髪も、その紫の瞳の色も、鈴の音の様な声も素敵な人よ」
そして彼は膝をついて、彼女の右手の甲に口づけを一つ。
「契約結婚して欲しい、ナスターシャ・カミイラ。ノーゼンハイン伯爵令嬢。――僕には君が必要なんだ」
金髪の貴公子は、そう言って熱情の籠もった瞳でターシャの返答を待ったのであった。
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