第2話 死の森での出逢い


 どこで間違ったかと聞かれれば、生まれた時からだと答えるだろう。

 ターシャは天を見上げ、途方に暮れながら我が身を振り返った。


(お父様……、殿下……、わたしは…………)


 彼女は、伯爵家の妾の子として誕生した。

 母は他国から流れてきた踊り子、ターシャを産んだ後は育てる事なく去り。

 母の顔を知る事なく、彼女は育った。


(……そこだけで済むなら、貴族には偶にある話で終わっていたかもしれない)


 継母と義兄により、幼い頃から使用人同然の扱いをされ。

 伯爵である父は、見て見ぬフリ。

 ――どうせ成人すれば、年老いて太った悪徳貴族に妻という名の奴隷として売り飛ばされる。

 使用人達の殆どは、ターシャの目の前でそう噂話を語り。


(その方が、幾分かマシだったかもしれない)


 彼女が不運だったのは、強すぎる祝福を持って産まれた事。

 常識の外にある力、神からの授かり物、一騎当千の英雄の資質。

 普通なら喜ばれ男なら栄華を、女なら良縁をもたらす慶事。


(でも、わたしは)


 産まれたターシャは、この国の貴族ではあり得ない黒い肌をしていた。

 それは強すぎる祝福の発露であったが、同時に、教会が教える悪魔の色そのもので。


(こんな力、――要らなかったのに)


 人は、自分たちと違う者を排斥する。

 それが信仰の敵とされている存在であるならば、なおさら。

 彼女がすぐに殺されなかったのは、その強い祝福を利用しようと伯爵が企んだからだ。


(寄り添おうと、努力していたのに)


 ターシャに待っていたのは、第二王子との婚約。

 一見、幸運な話に思えるだろう。

 だがそれは苦難の始まりであった。


 婚約など詰まる所、首輪。

 誰よりも強い祝福、夜の神の力で国の為に働かされる日々。

 王子からは甘い言葉など無く、罵倒と成果の横取りだけが。

 多忙な日々に、時折家で休めても義母と義兄からの嫌がらせ。


(来る日も来る日も、……わたしは汚れ仕事ばかり)


 彼女の働きが、国に平和と安寧をもたらしていた。

 それは事実で、ターシャに幾ばくかの矜持を与えてはいたが。


(不正をしている役人がいれば闇夜に紛れて殺し、王家や大貴族の不正を暴こうとしている正義の者があれば殺す)


 民の生活が楽になる発明をした者が居ても、発明したのが貴族ではないと殺害の命令が下り。

 美しい庶民の娘が居れば、それを手に入れたい大貴族の為に娘の親を殺し。


(――――こんな事になるなら、逃げ出せば良かった!!)


 王国西方に存在する共和国の侵攻、その進軍は破竹の勢いで。

 王都の喉元に手が届きそうな、イキシアまで攻め込まれ。

 ターシャとその部下に命じられたのは、敵指揮官を第一目的とした虐殺。

 たった四人で、五万の軍勢を追い返せと。


(その無理を、やり遂げてしまった結果がこの有様なんて…………)


 王や王子が思うより、彼女の力は強大だったのだ。

 闇夜だった事も幸いし、散歩のような気軽さで敵陣に潜入。

 一番豪華な天幕の中の者達を皆殺しにして、後は部隊長といった指示を飛ばせる人間を片っ端から殺し尽くす。

 ――――夜が明けて王国軍が攻めはいる時には、敵は総崩れ。


(わたしが、……間違ってた!!)


 いくら無関心でも、たった一人の血の繋がった父だから。

 いつかは、娘として愛してくれると信じていたから。

 逃げ出せば、王家は、貴族は民を今以上に虐げるだけだから。

 だから、誰かの力になればと我慢して、我慢して、我慢して。


「~~~~~~っ!! ああもうっ!! バカなのアイツらはっ!! 誰が今まで、アンタらの尻拭いをしてやってたと思うのよ!!」


 王子に見せていた淑女という名の猫を、笑顔の仮面をかなぐり捨てて、彼女は地団駄を践んだ。


「わたしが共和国軍を潰さなければ、王国は滅亡してたじゃないの!! ウチの軍は周辺国で一番弱い癖に!!」


 それだけではない。


「そもそも! 不正役人を暗殺したのも! 反乱分子を討伐したのも! 成功したら本当に王家が潰れる程、王家が弱まってたからでしょうが!! 他国からの間諜は入り放題だし! 役人は宰相からして腐ってるし! 王家の財政は破綻寸前だし! それを全部潰して隠蔽して、国という形を保たせていたのはわたし!! 全部わたしでしょう!!」


 まともなのは、民と軍の一部だ。

 産まれた国だからこそ、実家で味方してくれていた数少ないメイド達が居たからこそ。

 ターシャは身を粉にして、これが貴族の義務、力を持った者の義務だと汚れ仕事を引き受けていたのに。


「なのにこれ!? 用済みになったら死の森に捨てるって!? バカにしてるの!!」


 祝福を持つターシャには分かる、死の森への追放刑は見せかけだけではない。

 現在地は、帝国との国境にまたがる死の森。

 通常ではあり得ない大きさの魔獣が、これでもかと跋扈する危険地帯。

 幸か不幸か、死の森の魔獣は外に出ないので両国から放置されてるだけで。

 踏み入れたら最後、文字通り死が待つ森だ。


「…………ああ、もう。これからどうすれば良いのよ」


 王国には戻れない、共和国には遠すぎる。

 帝国に行ければ良いが、そもそも今居るのが死の森の何処かも分からない。

 それに。


「本当に何もない……ドレス一つでどうしろって――――何これ、銀貨が入ってる」


 靴の中に違和感を覚え脱いでみれば、そこには数枚の銀貨。

 どこかの町に着けば、少し豪華な食事が取れそうな金額。


「情けのつもり? …………いえ、あり得そうね」


 王や王子達は、正しくターシャの死を命じただろう。

 だがその任を請け負った者が、命令を全うするかどうかは別だ。


「…………やってきた事は、少しは無駄じゃなかったのね」


 これは恐らく、軍の顔見知りの仕業だろう。

 恐らく彼女の暗殺は、ごく一部の上層部以外には知らされておらず。

 せめてもの情け、そういう事なのだ。


「ありがたいのだけど……この森ならせめてナイフや水が嬉しかったわ」


 はぁ、と溜息を一つ落としターシャは歩き出した。

 ヒールの靴やドレスは、森歩きに非常に向いていなかったけれど、無いよりはマシである。


(本当に、何処に行こうかしら。――その前に生きてこの森から出られるの?)


 死ぬつもりなど、毛頭ない。

 しかし、よしんば森から出られても帝国には来たことが無い。

 町や村に、たどり着けるかも怪しいのだ。


(食料、見つかれば良いのですけれど)


 いくら強大な祝福を持っていても、解決しない事だってある。

 消耗を無視すれば、森から出るのは容易いが。


(――あの腐ったバカ共が、それを狙って襲ってくる事も考えられますわ、でも使わないと森から出られない)


 彼女は暗鬱とした気分で歩き、そして。

 フシュルルルと生暖かく、大きくて五月蠅い息。

 ドカバキと木々が踏み倒される轟音、獣臭いて鼻がつまりそうな。


「………………まぁ、こうなりますわよね」


 次の刹那、鼓膜が破れそうな轟音、遠吠え。

 そう、目の前には田舎の民家が二つぐらい重なった高さの魔獣。

 巨体の魔狼が大きく口を開けて、待ち受けていたのであった。


 ――普通の祝福持ちなら、そこで終わりだったのかもしれない。

 ――彼女が只の兵士なら、何も出来ずに終わりだっただろう。

 ――か弱い令嬢であるならば、普通の暗殺者であるならば、本当に成果を詐称していたのならば。


 だが、ここに存在するのは王国最強の。

 否、大陸全土を見渡しても類を見ない祝福の持ち主。

 故に。


「邪魔よ」


 魔狼は、何をされたか察知する事すら出来ずに絶命した。

 五感の全てを闇で覆われ、そのまま物質化した闇でまっぷたつに引き裂かれた。

 後には、血溜まりと静寂が残るのみ。


「後少し間に合えば、こうなったのは殿下だったのに……嗚呼、口惜しいわ」


 ターシャは何事も無かったかの様に、また歩き出した。

 彼女は最強の力を持つが、それ故に徒手空拳で生き延びる術を学ぶ機会がなかったからだ。


(せめて火を起こす方法ぐらいは、学んでおくべきだったわ。魔狼とはいえ狼、火で炙ればその肉は食べられたかもしれないのに……)


 嘆いていても仕方がない、ターシャは宛もなく歩き、次々と魔獣を屠っては放置して進み。

 そして。


「――――――結婚してください見知らぬ美しい人!! 貴女こそ僕の運命っ!! 是非ともお名前をお聞かせて欲しいっ!!」


「……………………え、誰です?」


 突如として現れた泥だらけの男に、その求婚に。

 ターシャは非常に困惑した。


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