第4話 閑話休題 貧乏と俺
幼少のころの記憶は断片的に思い出せるが、その全てに苦労の色がついて回る。
顔も思い出せない昔に父親が蒸発し、残された母と俺は、日々の生活さえままならない状況だった。
父親を憎む気持ちが無いと言えば嘘となる。
一方で、俺自身が大人になって感じたのだが、自分どころか嫁を、子供を生活させていくというのは並大抵の事ではない。
家族の全てに責任を負う、そんな度胸は俺にはないから、蒸発した父親の弱い気持ちというのも、少なからず理解出来る。
なぜ貧富の差は縮まらないのか。生活にすら困る人間がいる一方で、驕慢な生活に酔いしれる金持ちがいる。
俺と彼らと、何が違うのか。俺は決して頭が良い訳ではないが、さりとて悪いとも思えない。
金持ち連中が全員博学多才なら諦めもつくが、現実問題としてそうではない。
金持ちと貧乏を分断する見えない剣。
その境界線は曖昧模糊として全容が見えず、実態なき不透明さが社会を取り囲み、貧する者を絶望の淵へと誘う。
息も詰まる窮状を、発信し辛いのも問題だ。
納税の義務を果たしている以上、国の庇護を受けるのは権利であって、弱者の甘えではない。
窮乏を訴える事が社会的な差別の目から逃れ得ぬ現状に、メスを入れない限りは貧困層のセーフティネットとして生活保護が正しく機能する事はない。
所得が低いのは、俺のせいなのか。
もっと高給の場所に行けばよいとか、機械工を選んだのはお前だとか、いくらでも誹謗あれど、根本的な問題として、低所得は俺個人の問題なのか、業界の問題なのか、それとも政府の失策によるシワ寄せなのか。
いずれにせよ、個人に責任を押し付けるのは木を見て森を見ずの例えであって解決には程遠い。
俺の住んでいた田舎は最低賃金も低く、アルバイトで生計を立てていた俺にとって、決して楽なものではなかった。高校生の頃は、勉学とアルバイトの両輪で、爪に火を点す思いで働いていた。
今にして思えば絵に描いた苦学生そのもので、高校生らしい青春とは無縁であった。
最低賃金の引上げがあれば、確かに雇用される側の俺にとっては吉報だが、雇用する側からすれば悲報であろう。一方的な賃金引上げを行っても、それが祟って企業が潰れれば、雇用機会がその分失われるのだから、そこら辺の調整は難しいんだろうなと、末端国民である俺にはその程度の推察しか出来ない。
誰かの赤字が誰かの黒字なのだから、俺の所得を吸い上げる何かがこの国にあると邪推するのは、空想に耽り過ぎなのだろうか。
金持ちとは、いったいどんな気持ちで日々を生きているのだろうか。
俺みたいに、日々の些事に悩まされる事も無く、金持ち喧嘩せずの精神で優雅に生きているのだろうか。
貧乏人が身の丈に合わない生活を送れば身の破滅だが、金持ちが粗末な生活を送ったからといって、別段咎める理由もない。
俺は人生の狂気に触れる度に、常々思う事がある。
貧乏人の敵は貧乏人だと。
母は父親の蒸発を契機に、親族間での信頼を失い冷笑を一身に浴びた。
未熟児である俺も両親の不和に一因あるとされ、忌み子のように嫌われた。
誰も俺たち家族を助けてくれなかった。親族にとって俺たちは家名の面汚しであって、今日に至るまで絶縁状態である。
俺たち家族の窮乏は、俺たち自身の責任だというのが、彼ら親族の言い分だった。
貧乏は個人の責任なのか?怠惰による金欠などはごく一部であって、生活に支障きたすレベルの困窮者は多いのではないか。
幸いなことに、俺は一人前の勉学を修め、機械工の職も得た。親族の糾弾が俺を強くし、助けなど求めてたまるかという負けん気もあったし、極貧の生活というのを回避出来た。
自己責任を跳ね返す為に、俺自身が頑張った。その一点は否定のしようもない。
だが、自己責任の論調は、いつまでも俺の足首を掴み、そのしつこさはまるで生きながら獄に囚われる足枷のようについて回る。
自力で助からない奴など、その先も助けを求めるばかりで周囲に迷惑をかける。
だから自己責任で生きろという突き放しは、よくよく相手を観察すれば同じ窮状に喘ぐ者同士が互いを誹り合うばかりで、実に生産性のない、ともすれば互いの足を引っ張り合う地獄の餓鬼よりも浅ましい様相を呈している場合が多い。
金持ちは、少なくとも俺たちの窮状に興味がないから、こんな無意味な諍いに降りてくる事はない。
普段は平和面をしていても、その薄皮を一枚剥げばそこには嫉妬渦巻く肉欲の鬼が鎮座している。それが貧乏の正体だ。
カンダタを助ける為に垂らした蜘蛛の糸そのままに、同じ窮状に喘ぐ者の事など脇目も振らず助かろうとする人ならざる――どころか、実に人間らしい弱さと汚さを、弱者の貧乏に見て取る事が出来る。
意識して考えなければ、特に気にもしない事だった。
なんとなく、他の国よりはマシ、すくなくともアジア諸国の中で一番平和な国が日本だと、勝手に思っていた。
でも違った。
過去の栄光をいまだ引きずる夢想であって、現実ではない。この国はある一定の時期までは美しい国だった。
だが、どこかで日本は放蕩の堕落へと向かった。
物々の飽和状態が人々に安心と、そして無気力を与えた。
政府の緊縮財政が、富のトリクルダウンという嘘を象徴し、国民の貧困に繋がった。
俺たち貧乏人は、政府から餌を待つだけの雛鳥ではない。かと言って、自己責任で全てを引き受ける程に強い自由の両翼を与えられてもいない。
声を上げるのは卑しい事ではない。恥を知るのは、成長率の低さで他の追随許さぬ政府にこそある。
貧乏は個人の問題ではない。個人の問題として片してしまうのは、簡単だが危険なんだ。
貧乏は国の政策によって左右される現象でしかないのだから。
俺は貧乏が嫌いだ。だが、貧乏の全てを否定する訳ではない。もし貧乏の全てを否定してしまったら、それは俺の人生や母、そして苦しい中にもあった温かい、だけど小さな幸せを、自分で殺してしまう事になる。
物には恵まれなかったが、そのぶん母の愛情に満たされた人生であった。
何もない、だが心だけはある。それが俺にとっての貧乏であった。
だが、今度の裏切りはこれまでに体験した貧乏の枠を超えたものになる。友情も失った。母に頼る不義も出来ない。かつての栄光を胸に抱き、堕ち行く亡国と共に俺も散るしかない。
そう思い定めていた俺の前に、救済の少女が現れるまであと一時間。
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