第3話 閑話休題 富と私

 ライオンに生まれて、ライオンとしての生を全うしなかったら、傍から見てそれは歪でしょう?

百獣の王が、獲物を狩るのは可哀そうだと言って狩りを放棄し、死肉を漁るだけのスカベンジャーに成り下がってしまったら、そこには百獣の王の威厳なんて在りはしないもの。


 金持ちも同じこと。金持ちとして生まれたなら、金持ちとして振舞わないのは、虚偽の生でしょう?


 実家を出て、一人暮らしを始めて自活する。それは立派だと思う。

でも、それが大人として一人前だという風潮は理解出来ない。都心に住んでいない人間が、職を求めて都心に移り住むのも勝手だと思う。

でも、実家が都心にあるのに一人暮らしを始めるのは、いったい誰に対しての見栄なの?

そう思ってしまうのは、私が不自然だから?


 身分相応の生がある。


田舎なら田舎の、都会なら都会の、貧乏なら貧乏の、金持ちなら金持ちの生がそれぞれある。

金持ちが貧乏の生を演じる欺瞞には反吐が出る。弱者の振りを装い、そして同時に理解者であると吹聴するような戯言に、自分自身が酔いしれているような醜態を、私は素直に気持ち悪いと思ってしまう。


 私の両親は世界的な大富豪で、その一人娘である私は何不自由なく生きてきた。

欲しいものは何でも手に入ったし、努力する必要もなく、全てを与えられる存在だった。

きっと、他の人たちは私の境遇を羨望し、そして妬みもするだろう。

何の努力もしないで、ただ金持ちの家系に生まれただけの私に対して、人生の本当の価値なんか知らず、ただただ華やかに見えるだけの世界で、お人形のように生きて、そして死ぬんだと。


 そんなやっかみ根性は、私の精神を腐らせるだけだと、両親は世界から私を隔離した。その代わり、望むものは何でも与えてくれる。ケーキも、人形も、家ですらも、私の願いは全て叶えられた。


 嬉しかった。楽しかった。

 何でも思い通りになると、思い上がった。


 でも、ある時にふと気付いてしまったんだ。願いを叶えれば叶える程に、ただただ私の願いは遠のいていく事実に。

欲しいものを手に入れる、その過程にだって価値はあるでしょう?特に、物じゃない場合は。


 友情って綺麗だよね。でも、友情は買えない。


 部活動とかの青春って綺麗だよね。でも、青春は買えない。


 成功とか勝利って、その過程があるからより綺麗に見えるんだよね。そして、成功と勝利は買える。


 その過程をすっ飛ばして、結果だけを金の物量で買う事が出来る。

でも、そうまでして買った成功や勝利に価値はあるの?

少なくとも私にとっては、そんな成功や勝利は無価値だ。純金に見えるのは表面ばかりで、何てことない金メッキのハリボテ。

それが、私なんだ。


 悟ってしまえば、何不自由ない豪華絢爛たる私の人生は、一転して無価値へと失墜してしまった。

溢れるものが、人生の装飾を手伝っているようでいて、実は私自身を覆い隠す偽りの鎧。

蓄えた財、宝石や洋服、誰もが羨む出自そのものが、今では金持ちの虚しい虚勢に過ぎないと思ってしまう。

何が残されているの?幸せの飽和状態にあった私の人生は、瞬く間に色あせ、古色蒼然とした体をなし、さりとて求める全ては依然として簡単に手に入ってしまう。


 心の満足だけが手に入らない。


私の住まう古城は、私を満足させる寝屋どころか、私の全てを束縛する監獄に変わってしまった。

金持ちという虚勢の仮面が剥げ落ちて、素顔を晒した私は何処にでもいる、年相応の少女に過ぎない。

何も持たない私に、最初から全てを捨て去る恐怖はない。あるのは、何かを欲しいと欲する心を偽らない、純たる興味だけ。

だから、私はこの監獄を抜け出した。与えられるばかりの生に嫌気がさして、我儘を言ってみたくなった年頃の少女。

右も左も解らないこの世界に、誰でも良い、私を理解してくれる他人が欲しかった。でもそれは、お金じゃ買えない。


だから、これは私にとって初めての挑戦。


きっと素敵な人に巡り合える、そんな予感を捨てきれない、思春期少女の淡い期待を見事に砕く、彼に出会うまであと一時間。

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