Gold can Stay #14
「モデルって具体的に何をするの?」
「何時間かじっとしてればいいんだよ。それだけ」
「え」
下手なプレゼンテーションのせいで興味深そうにしていた三郷の気持ちが揺らいだことにひのでは勘づいた。
「モデルなんて大変光栄だけど…ずっと動かないでいるなんて無理だよ…」
なんとしてでも繋ぎ止めなくてはいけない。ひのでは大慌てだった。
「大丈夫、自分を信じろ。演劇部だろ?」
「そうだけど…」
「なんかそういう、動かない人っていう演技だと思いなよ」
自分でも滅茶苦茶を言っていることは理解していた。モデルが大変なのはわかっている。給金を出す提案をしようか。それは常識的か打算的かひのでは考えてしまった。三郷も悩んでいた。
しかし、ふと閃いてひのでは一本取った気になった。長時間のモデルが無理だとしたら短い間でいいじゃないか。
「なぁ、ベッドに軽く腰掛けな」
三郷を座らせ、ひのではベッドの横に敷いてある布団に胡坐をかいて鉛筆とクロッキー帳を構えた。顔を上げて三郷を見上げる。
「三十秒だけ動かないで」
これなら三郷にもできるはずだ。以前、クラスの友人たちとふざけながら三十秒ドローイングを行った。描く方もポーズを取る方も大変だったが授業と違って気軽なものだった。継続していけば限られた時間内で速く人物を立体で捉えられるようになりそうだと感じた。しかし長続きできるものではなかった。今では忘れた頃に誰かが思い出して不定期で開催されている。
ひのでは三郷を見る。そして鉛筆を走らせる。手は止めない。無駄な線を引かない。面を捉える。声には出さず三十を数えながら集中した。
「できた!」
完成した絵を三郷に見せる。
「三十秒なんてあっと言う間だったろ?こうしてさ、どんどん時間を伸ばしてってデッサンできるくらいに………暖?」
三郷の様子がおかしかった。反応がまるでない。ひのでの呼びかけに答えない。目は開いている。眠ってしまったわけではない。真正面に顔を近づけてもひのでが見えていないようであった。
「ねえ、大丈夫?」
粟立ちながら三郷の肩に手をかけ揺らす。するとしばらくしていつもの三郷が帰ってきた。救急車を呼ぶか尋ねると必要ないと答えた。意思疎通ができて、ひのでの跳ね上がるような不安心も空気が抜けてきた。
「何?本当にどうした?息止めてたのか?」
「…わからない。でももう平気!元気だよ!」
思わずひのでは布団へ倒れた。完全に抜けきった。
「一瞬寝てるのかと思ったんだけど違うみたいだし死ぬんじゃないかと思った…」
「ごめん…」
申し訳なさそうに三郷は縮こまった。
「短い時間から慣れていけばモデルできるんじゃないかと思ったんだけど…無理強いはもうしないよ。ごめんな」
ひのでも謝る。三郷本人も何が起きたのか理解できておらずひのでは恐ろしかった。
「僕、モデルできるよ!」
打って変わって三郷は元気になって先程と真逆のことをはっきりと言う。
「深川君、僕のこと描きたいっていつから思ってた?」
三郷を一目見たその時からだと言えるわけもなくひのでは濁す。さっきまで何も喋らなくなっていたくせに。早く寝てほしくてひのでは部屋の電気を勝手に消した。
目を閉じても眠気は来ない。それどころか三郷が話しかけてくる。耳を傾けているうちにひのでは素直になってきた。
三郷は歌が上手い。そもそも声が良かった。これからもう少し低くなりそうな柔らかな声が通る。幼少の頃から声も動きもうるさいくらい大きい子供だったひのでとは大違いだ。
お互い表情がはっきり見えないせいか気持ちも落ち着いてくる。ひのではつらつらと語った。今まで誰にも言ったことないことだ。これから先も打ち明けることはないだろう。ずっと付きまとってくる心持ちの話を三郷は時に相槌を打ちながら静かに聞いた。
昔からどうしてもきれいなものに惹かれる。それを見たら描かずにはいられない。見てしまったら最後。紙と鉛筆を用意してひのではひたすら手を動かし続けた。
ひのでの「きれい」の定義は子供の頃から現在まで変貌を遂げた。その歴代の代表たちが泥団子、妖怪、ラムネ瓶。そして三郷暖。ここに並ばせるのは申し訳ないがこれらを思い浮かべると気分が良くなる。中学の授業で観たミュージカル映画にもそんな歌があった。何というタイトルの曲だったか。三郷は知っているだろうか。すぐ隣にいる人物に尋ねる気力はすでになく、ひのでは浅い眠りに就いた。
短い夢を見た。ひのではどこだかわからないけれど知っている場所に立っていた。流れている音楽は聞いたことがないけどこの場に馴染んでいる。
誰かに手を引かれ躍る。知らないはずのステップを踏んでいる。くるくる回って楽しい。
目の前にいるはずの相手の顔はよく見えない。微笑んでいることはわかった。恋人の距離だとひのでは思った。
やがて音楽が止んだ。ひのでは手を離せなかった。だけど相手がすぐにまた会えると言うので信じて結ぶ手を緩めた。
目を覚ますと夢のような朝だった。心地良い声で名前を呼ばれてくすぐったい。描きたい笑顔が自分を見つめる。
そして出来立ての美味しいパンを食べに行く。三文がいくらかは知らないが確実にそれ以上の価値のある素晴らしい得だらけの朝であった。
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