第3話 機械御白洲

「これはボクの独白です」

「……?」

「ボクは卑しい人間でした。これは貴女と時間を密に共有するほど、切実に痛感するのです。いかにも思春期真っ盛りな、中高生のぶち当たる壁というものに、ボク自身が真剣に向かい合った事など、考えてみれば一度もなかったのです。そして、この際だから全ての恥をも吐き出す勝手を許して欲しいのですが、そんな周りの人々を馬鹿な奴と見下し、さも自分が高尚な人間にでもなったかのような傲慢さで悦に浸っていました。もう十分でしょう、ボクは他人を見下しているようで、自分自身の高尚という幻影の影に隠れて、実像の注視を忌避していたのです。なんたる怠慢でしょうか、二度とない中学生活を、ドブに捨てるようなものでした。ボクは二度と同じ過ちを繰り返したくありません。ですが不安なのです。本来多感で然るべき年齢を、ニヒルを気取ってやり過ごしてきたボクには、どうすれば高校という現実を、天の配剤とも言うべき貴女との出会いを、多方振り返る事もなく、そして晩年に際して懐かしむような心残り無く送る事が出来るのか、皆目見当もつかないのです。共感頂けますか、この絶望を」

「……」

「そうでしょうとも。ボクに内在する絶望とは、つまるところボクにしか理解できず、無論解決するしかないのですから。ですが、この絶望は厄介な事に解決しようと苦心して解決するというものではなく、何か他の多幸を希求しているうちに、解消している類であって、絶望に向かい合っているうちは、その抱擁から逃れうる術を持たない性質のように思われます。キェルケゴールはその著書『死に至る病』で絶望に対して様々な洞察を示していますが、ボクのような人間が、果たしてその明敏な洞察に対して、何の教訓を得るべきだったのでしょうか」

「……読んだことないもの」

「それが本当の反応でしょう。年相応という言葉があるように、高校生の領分を——少なくとも、ボクの手に余る書物を読み漁る行為は、蓄積しようとする読書の数と比例して、自信のない精神を欺く自己肥大の空想でしかありません。それこそ欺瞞であり、また絶望であると言えます。観念し、もはや全てを白状したとしても、ボクの精神の形骸化はピタリとも止む事無く、その谷底見えぬ漆黒の闇に影を落とし込むだけなのです。そして悪魔の誘惑とも思える絶望は、ボク自身の自己理解を予断なく逼迫せしめ、その癖絶望に耽る自分に陶酔もしているという自己矛盾を孕みながら、魔性の香を以て惹きつけるのです。ですが、こんな精神状態にありながら、精神的勝利ともいう稚拙な考えが、混濁する意識の下層に没しながらも、尚その鎌首を擡(もた)げ様としているのです!自身を永遠に欺く哀れなピエロ。ボクはボクの中に、醜悪なピエロを見る事が出来たのですが、この幻影であって欲しい等身大の実像は、太々しい態度で此方を見据え笑うだけなのです。この陰険なピエロはきっと、神を模倣したと自負する人間の傲慢に対する罰であって、アレクサンドロス大王やチンギス・ハーンのような英雄であったとしても、その妄執から逃れる術を持たなかったでしょう。これは人類が、猿からホモサピエンスに進化していく過程の中で、意識の獲得と引き換えに押し付けられた原罪なのだと思います。しかし、多くの人々がこの原罪に対して無頓着というのも、周囲を見渡せば嫌と言うほどに痛感する事でしょう。肉体と精神の分断が加速し、肉体の、ひいては物質的な豊かさばかりを追求し、精神の豊かさを放棄した原罪は、少なくとも日本においては物質が余剰に溢れる飽和状態であり、サービスも限りなくフリーに近づき、情報の伝達もよりスムーズになっているにも関わらず、精神の源泉が枯渇しているばかりに、これら物質的な恩恵を感じうるどころか、却って首の綱を締めるという狂気に走っているのです!」

「……?」

「実感する事はありませんか?ゲームや読書、ドラマや映画といった、何でもいいのですが制作にお金がかかる以上、対価が発生するのは当たり前である筈のサービスが、無料で配信されている。この、本来対価が発生して然るべきところを、資本力を持つ企業が、金の暴力に物を言わせて独占し、市場を攫えば一社の一時的な利益はあがるでしょう。ですが、本来それらサービスで生計を立てていた関連事業が軒並み倒産すれば、当然市場全体のパイも縮小し、市場独占を狙った企業も所詮は漁夫の利を一時的に得ただけの話で、市場にうま味がなくなれば撤退し、もともと存在しえた市場は完膚なきまでに退廃し業界の残骸だけが残されて、結果として所得の分断や低所得の急増、雇用喪失による国内総生産の下落が起きるのです。また情報の伝達に関してもお話しすれば、昔の話ですが伝達の主要であった手紙なぞは、何日もかかって情報の伝達が可能でしたが、今では携帯で気軽に、世界中の人々に対して瞬時に発信出来ましょう。すさまじい科学の進歩です。ですが、情報伝達におけるスピードの恩恵は、本当にボク達の精神に良い影響を与えていますか?学校や友人、会社から逐一送られる連絡に対して辟易しているのではないですか?利便性を追求し、本来生活を助けてくれる筈のスピードが、却ってボク達のプライバシーを侵害し、始終纏わりつく魂の閉塞感を生み出しているのです!もう十分でしょう。個人の絶望と思しきものも、社会効用の観点から見れば、社会全体の絶望にも成り得ると」

「……」

「全ての絶望は、人間が意識を持って行動する以上は離れ得ぬ足枷であり、そして自己の埋没が深まるほどに、社会全体を奈落へ引きずり込む重りとなるのです。あぁ、なんという事でしょう。ボクは絶望を嫌悪すると同時に虜にもなっている!離れ難い、生涯ついて回る悪友に対して抗うボクを、絶望は笑っている、ともすると、絶望のピエロと思しき実像は精神世界におけるボクの模倣であって、すなわちボク自身がピエロという道化を演じているのです。これは実に滑稽な喜劇であって、認めてしまえば、ボクの自我そのものの否定にすらなってしまうのです。ボクはボクであり、ピエロはピエロであり、ボクはまたピエロでもある。でもこのピエロは、決してボクの精神そのものでなく、精神の影とも言うべき存在でしかない筈です。そうなると、ボク自身も同じく影となってしまう。であれば、この絶望に打ちひしがれる脆弱なボクはまた、一体何者であるのか?本当のボクは何処へ居るのか、いいえ、もし本当のボクなるものが居ると仮定して、その精神はいったい何処へ向かうというのでしょうか?まるで答えられないのです」

「……」

「絶望に臥せるうちに精神は疲弊しきり、自我の境界さえも虚ろとなる。ボクの精神は余りに子供の素朴さで以て感受性に富み過ぎたのか、もしくはニヒルを気取り過ぎた代償として、とうに愚鈍へと成り下がっていたのか。どちらにせよ、絶望の淵で飛び降りるのか飛び降りないのか、ブラフでもって貴女の高潔な同情を買おうとするボクの、なんと醜悪な事でしょう!絶望に向かい合うと宣いながら、ボクの精神は悲観の影に隠れて貴女の関心を引く事に期待している!ボクにとって、文芸部で過ごした僅か一か月弱は余りに気品に富み、高邁な精神を醸成しうる無二の場所となっています。ですが今申し上げたように、ボクの絶望は既にボク自身を食い尽くし、そしてその貪婪なる毒牙を、いつ貴女に突き立てるかも解らないのです。そして、貴女の危急に際して、ボクはボク自身を制御しうる自信がない。怖いのです。ボクは、絶望に沈み世界の嘲笑を浴びる以上に、貴女に軽蔑の目でもって蔑まれるのが、何よりも怖いのです!」

「……大丈夫よ」

「こんな情けない、赤裸々な独白を前にして貴女の美しい顔はまるで変わらない。普通なら多少なりとも侮蔑の色が出る筈でしょう、なぜ貴女は、そんな表情でボクを見る事が出来るのですか」

「……私は強いもの。それに……」

「それに?」

「……キミは大切な人だもの(部員として)」

「今、ボクは光明を見た!絶望祓うジャンヌダルクが如き聖女の光明を!こう叫ばずにはいられまい!生きていて、本当に良かった!!!」

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