第4話 心のカタチ、ボクらのカタチ
「正直、さっきまでの演劇染みた独白はどうでした?」
「……笑えた」
良かった。彼女は見ての通り口数が少ない。尤も、そこが可愛いのだ。
女三人寄れば姦しいと言うが、彼女が三人寄ったところで至極平坦静かに時が過ぎるであろう。
その分ボクが話さないと、どうにも物語が進展しないのも玉に瑕だが、ボクが雄弁奮うぐらいどうという事はない。望むなら、アメリカ大統領張りのスピーチを一日一回演説してみせよう。
「……別に、いい」
良かった。別にいいって。本当にお願いされたら困るからね。
さてボクと彼女の文芸部は、このような感じで実にゆるりと、そして平々凡々にして安寧に過ぎている。
どうにも平和が過ぎて、荒涼たる精神の狼を気取っていた中学時代のボクからは、些か想像もつかない牙の抜かれようだが、彼女と居られるなら弱冠15にして総入れ歯でも構わん。
この部室で過ごしているうちに、少なくともお互いの読書の嗜好というものは見えてきて、ボクは智者面したい一念で日本人や無名な著作は読まず、世界的に有名な、例えばデフォーの『ロビンソン・クルーソー』とかスウィフトの『ガリバー旅行記』とか、難しい本を読む自己陶酔に耽りたいからプラトンの『国家』だとかクラウゼヴィッツの『戦争論』だとか、平たくいえば有名で聞いた事はあるけれど、内容までは詳しく知らないみたいな作品を好んで読む。
一方の彼女は何でも読む。不思議ちゃんか何かなの?ただでさえサンドロ・ボッティチェリの絵画から勝手に抜け出した気紛れな女神なのに、これ以上何かしらの属性を付与したいのかというぐらいに、彼女の読書センスは桁外れている。
著作権やらの関係でタイトルまでは容赦願いたいので、詳しく覚えていない体(てい)で……少し前までは確か『相撲スーパースター列伝』、それと同時に『空手アホ一代』。次に読んでいたのが『江戸時代の屋台~寿司編~』と『大蔵シェフのイタリアンレシピ』、この前読んでいたのは『日刊ボディビル』。そして今読んでいるのは『グローバリズムの限界』。
ううむ、何たる読書センスか。彼女の関心を買うために、読書の趣味も合わせようと苦心した事もあったが、そんな努力のかい虚しく徒労に終わり、今では彼女の読んだ本を後から追っかけるという行為も甚だ億劫になり、ボクはボクの好きな本を読み漁っている。
こんな日常が続く、それはなんとも幸せな事。
何人にも侵害されぬ神聖なる領域。天上の神々も、ともするとこのような安寧を享受した事はないのではないか?
恐ろしい、恐ろしいよ、ボクは。
神々にすら憐憫の情を持ってしまう程に傲慢なボクの幸福が、心底恐ろしい。
さて茶番は終わりにして本題に入ろう。
え、物語の転び方が雑?仕方ないよ、のほほんとした日常に、映画やドラマに見るような露骨な起承転結が起こる方が珍しい。
でも、時として起こる。それは常にラスコーリニコフの斧的分断を以て起こるんだ。
これはある日の昼下がり。昼休みの時間は決まって部室に行く。何故かって?彼女がいるからに決まっているじゃないか。
ボクに部活を勧めてくれたクラスの級友の静止を毎度の如く振り切り、一秒でも早く部室へと訪れたいボクの足は、誰に急かされる訳でもなく歩を速めた。
道中、失明するかという眩い光を放ちながら、歩く彼女を見かけた。
声をかけようとするも先客あり。その雰囲気からクラスの友人と推察。
なんだ、あの男。近づき過ぎじゃないか?
生意気にも肩に手をかけてやがる!
ボクですら畏れ多くてその御神体に触れる事叶わぬというのに!
馴れ馴れしいんじゃないか?
いったい、誰の許可を得て彼女に声をかけているんだ?
いや、俺に断り入れられても困るのも事実だが、この際そんな些事に拘っている場合ではない。
動悸という警鐘が早打ちに鳴る。心臓が保たない。今までに感じた事ない、抗う事すら敵わぬ嫌悪。
人類の悪意を一身に浴びたかのような悪寒が全身を伝い、蛇の舌が全身を常に這いずるような、表現追いつかぬ不快。
ボクの心配を他所に、必死に声掛けする男に対して彼女は終始真顔であった。
男の方も懲りたのか、数分待たずにどこかへと行ってしまう。
彼女も男を見送ると触れば摘んでしまう華聯(かれん)な花を思わせる腕で、小さな弁当を抱きながらその場を後にした。
追いかけねばならない。だが、追いついた時に何を声かける。
ボクは怖い。
そして、こうなる事態を予期しつつも見ない振りをしていたボク自身に、今は心底腹が立つ。
いったい何度、同じ過ちを繰り返せば気が済むんだ。嫌なことから現実逃避して、少しでも事態は良くなった事があったか?いい加減、気付けよ!
そんな自棄混じりの諦めは、少なくともボクが身を置く気まぐれな世界では通用しないんだ。
本性とは?女性の本性なんてボクには解らない。
ボクは男だろ。男の本性しか、解りようもない。
だったら、男の原罪とも呼ぶべき肉の本性を、純潔の処女よろしく知らないとは言わせない。
密に群がる虫の根性、畜群の野生とも呼ぶべき、男に秘める情欲の毒牙が、至高の食材足る彼女の肉を前にして、大人しく待てなど出来ないであろう。
迫る虎狼を相手に、ボクは部室を同じくしているという、それだけで安心しきり、ともすると優越に浸ってはいなかったか?
何たる怠慢、何たる惰性、何たる怠惰であろうか!
ボク如きが、彼女の庇護のもとに安穏と過ごせる、その袖元で戯れる児戯に満足し、男としての責務を放棄しているばかりか、こうして敵の侵入を岡目八目静観しつつも、何の策も打っていない。
世が世なら切腹ものだ。いいや、今は切腹している場合でもない。影腹を切ってでも彼女に事の仔細を聞き、要となればボクの意見具申をもって胸襟を開いて貰わねばならぬ。
寄る畜生の好き勝手はさせぬ!ボクが――いいや、俺が最後の大砦(おおとりで)だ!
「御免!」
勢いよく部室の扉を跳ね開けると、驚いた表情で此方を見る彼女の姿があった。
彼女を驚かしてしまった事、決して本意ではないが事態は一刻を争う故、お許し願いたい!
「先程の――先程の男はいったい何者なのでございますか!返答次第によっては討ち入りする所存であります!」
「……弟」
「……どうりで気品溢れる凛々しいお顔だと思いましたよ、ホント」
「……どうかしたの?」
「えぇ……是非仲良くしたいなあ、なんて思ったり、思わなかったり。姉弟仲、よろしいんですね」
なんかもう、疲れちゃったな、ボク。
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