山頭火を慕う

詩川貴彦

山頭火を慕う

「山頭火を慕って」

  詩川貴彦



なぜ あなたは いってしまうのですか

なぜ あなたは さすらうのですか

なぜ あなたは いつわらないのですか

なぜ あなたは やさしいのですか


なぜ あなたは みたされているのですか

なぜ あなたは だれからもすかれるのですか

なぜ あなたは かざらないのですか

なぜ あなたは あなたなのですか


立ち止まらないで歩き続けること

ほろ酔いの春の夢を見ること

豪快にわらうこと

お酒が大好きなこと


そのすべてが

わたしのだいすきな山頭火




 それはたしかに、防府の裏通りの傍らにひっそりとたたずんでいた。

 確かにここに生まれ育ち生きてきた痕跡はある。しかし「幸せ」の痕跡はどこにも見あたらない。

膨大な敷地を有した「大種田」は、わずかな土地に立つ石碑と化している。いにしえの匂う路地裏のあちこちに、彼の言葉がある。ただそれだけのことである。


 山頭火は、むしろ生まれ故郷の防府市以外で著名である。

 「がらくた」を構え、結局は出家の道をたどることとなった熊本。小庵を結び、自由律歌人としての地位を確立した小郡や湯田温泉、ころり往生を遂げた松山、そのほかの自治体も、何かと山頭火とのゆかりを見つけ出し、句碑を建て、つながりを保とうとしている。

山頭火は、むしろ故郷以外の地で大切にされているように思ってしまう。

 「雨降るふるさと」を裸足で歩もうとした山頭火にとって、故郷「防府」はむしろ異境の地であったように思う。母の自殺や家族の離散、事業の失敗、そして「大種田」の崩壊。大河に揺れる木の葉のように運命に振り回され、壊れていく自分自身。彼の言葉を引用すれば、「不幸の始まりだった」妥協的な結婚など、故郷が心の重荷であったことは否定できない。

 山頭火は、それでも故郷を「ふるさと」として愛し続けた。故郷からどんなに否定されても、彼自身の本能は、故郷を否定しきれなかった。それでも故郷を「ふるさと」として愛さなければならなかった心の葛藤に、彼の自由律俳句の端々に潜在する故郷への想いに、人々は心惹かれる。共感し、彼の詩を愛さずにはいられないのである。

 元々、長州の人は故郷に対して格別の思いを抱いている。自分の故郷を誇りに思っている。どんな困難にぶち当たろうとも、長州人は決して逃げ出さない。長州人としての魂が逃げることを拒絶するのだ。心の奥底に維新の誇りがある。吉田松陰がいて、高杉晋作がいる。長州人は、どんな困難にも立ち向かわなければならない。たとえ朽ち果ててしまおうとも、高い志「こころざし」を持って前向きに倒れなければならないのだ。

 山頭火に長州人としての強さや逞しさを感じることはできないと言う。しかし、山頭火は、間違いなく長州人である。誰よりも強くたくましく、誇り高い長州人である。彼の生涯はでたらめで悲壮で弱々しいと言う。しかし、どんな状況であっても、彼は前向きに歩み続けた。一歩一歩、どんなに辛くても前進した。そうしてやはり前のめりに倒れた。彼は間違いなく生粋の長州魂を遺伝子に刻んでいた。


 天神山があでやかな桜の花びらに彩られたら、僕は山頭火を訪ねて、もう一度防府を訪れてみたいと思う。




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山頭火を慕う 詩川貴彦 @zougekaigan

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