第25話 これから【上】

「んー……」


 やたらと……背中が痛い。

 いつもと違う寝心地に違和感を覚えて瞼を開く。すると、ぼんやりと視界に浮かび上がってきたのは、見慣れない――けど馴染みのある景色で。まだ薄暗い部屋の中、紐付きのペンダントライトが天井から吊るされていた。

 

 ここ……は、幸祈ん家の和室?


 ああ、そういえば……この重みも覚えがある。どっしりとのし掛かってくる羽毛布団の重み。そして、ベッドとは違う――敷布団を通して伝わってくる固い畳の感触。

 普段、柔らかいマットレスに甘やかされているせいか。だいぶ背中が凝っている。

 のっそりと上体を起こし、ふわあ、と欠伸を一つ。

 そして、あれ……? と寝ぼけた頭に疑問が浮かぶ。


 私、なんで和室に? 確か、夕べは幸祈の部屋に押しかけて……そのあと、どうしたんだっけ? 幸祈のベッドの上で、二人で並んで座って……色々話してた記憶はある。でも、朧げだ。相当眠かったんだろう。正直、何を話していたのかもよく覚えてない。

 ただ、しばらくしたら……そんな私の様子に気づいたんだろう。幸祈が耳元で囁いてきた。


 ――横になるか?


 ぞくりと背筋に痺れが走る。

 あ……そうだ。そうだった! 結局……それで、寝たんだ。幸祈と一緒にベッドに潜って、体を寄せ合って……。

 きゃあ、て思いっきり叫びそうになって、思わず、口を塞いだ。

 思い出したように全身が熱を帯びていく。

 はしない、て話に落ち着いたのに。結局、そういうことになってもおかしくない状況になって。どんなきっかけでともしれない雰囲気に私もまんざらじゃなくて、身体がずっとモゾモゾとして落ち着かなかった……記憶がある。


「暖かかった、な……幸祈の身体……」


 熱い――くらいだった。服を通してでもジンジンと伝わってくるほどに。

 それが気恥ずかしくて。でも居心地良くもあって。

 激しく波打つ彼の鼓動を感じながら、その頼もしい胸に頬を寄せるようにして、私はいつの間にか眠りに落ちていた……のだろう。


 で……なんで、ここにいるわけ!?


「幸祈……は?」


 辺りを見回すが、その姿は無く。立ち上がって襖の方へ向かうと、その向こうから話し声が聞こえてきた。

 おばちゃんと……おじちゃん? 起きてる? ってことは、まさかもう朝!?

 しっかり雨戸まで閉められた和室には、一筋の光さえ入り込む余地も無く、おかげで和室に朝の気配など全く無かった。そして、相変わらず、私のスマホは壊れたままなわけで。


「今……何時!?」


 さあっと血の気が引いて、襖を開けるや、ぱあっと眩い光が入り込んできた。

 玄関にはすでに煌々とした光が満ち満ち、廊下を挟んだ向かいのリビングの扉からは慌ただしい物音が聞こえてくる。

 昨夜のことが――幸祈と危うい一夜を過ごしたことが――まるで嘘のよう。容赦無く繰り返される日常……とでも言えばいいのか。拍子抜けしてしまうような、なんとも麗かな春の朝……。


 息を顰め、廊下へ足を踏み出す。


 リビングの方からはおじちゃんとおばちゃんの話し声は聞こえてくる……けど、幸祈の声はしない。じゃあ――とすぐ傍にある階段から二階を見上げる。

 まだ寝てる……とか?

 そうだと……いい――けど。


「……」


 そうっと忍足でリビングの扉の前を通り過ぎ、階段へと足をかける。

 胸騒ぎ……とでも言えばいいのか、なんだかソワソワとして落ち着かなかった。

 

 だって、幸祈の高校は学区外で(なんで、そんな遠い学校をわざわざ選ぶのよ、バカ!)、電車通。近いから、て理由で徒歩圏内の高校を選んだ私とは、偏差値はもちろん通学時間も大違い。

 毎朝、私が余裕こいて家で支度をしている間には、もう幸祈は電車に乗り込んでいるわけで。だから……今の時間によっては、幸祈がもう家にいないことも十分考えられる。


 たちまち、きゅうって寂しさに胸が締め付けられた。


 一夜明けて、まさに夢から覚めたよう――。

 そうだった……と思い出す。

 有り得るんだ、。『おはよう』も『いってらっしゃい』も幸祈に言えずに――、その姿をこの目で見ることもなく――、一日が始まって……終わることも。

 私たちは家は隣同士で、もう恋人同士にもなったけど……それでも、前みたいに簡単には会えない関係になっちゃったから。

 会えるのが当たり前だった日常はもう終わったから。


 これから、どれくらいの時間を私たちはすれ違っていくんだろう。


 朝はもちろん、幸祈の部活が忙しくなれば、夜ももっと帰りは遅くなって、土日も練習が入るんだろう。そのうち、テスト期間になったら、幸祈はデートどころじゃなくなる。一緒に勉強しようにも、テスト範囲も難易度も全然違うんだろうし、『勉強会』にもならない。私が……きっと邪魔しちゃうだけだ。まあ、それは前もそうだった気がしなくもないけど。

 そうやって、気づいたら大学受験とかになって……。

 もし――と不意に考えて、階段を登る足がぴたりと止まる。


 同じ大学に入れないのはほぼ確実だとしても。もし、違う県の大学とかになっちゃったら? 今の比じゃない。遠距離なんて……想像もしたことない。

 絶対、イヤだ。

 幸祈とこれ以上、離れるなんて――。


 ゾワッと身の毛もよだつような漠然とした不安に襲われて、逸る気持ちのまま、階段を駆け上ろうとした、そのときだった。


「……!」


 物音がした……気がした。リビングではなく、一階の奥……洗面所のほうから。

 おじさんとおばさんの声はまだリビングの方から聞こえてきていた。てことは……二択。幸祈から広幸さん――てことになる。

 一階に降り、そろりと廊下を進んで、洗面所へと向かう。

 すると――、


「あ……」


 つい、惚けた声が漏れていた。


 朝の日差しが立ち込める眩いその空間に、彼の姿はまだそこに在った。


 洗面台の前に佇み、鏡と向かい合いながら黙々と歯を磨く元幼馴染。真新しい真っ白のワイシャツに、その首元にはまだ見慣れない緑のネクタイ。馬子にも衣装ってやつなのか――、そんなカチッとした装いがやたら似合って、ぐっと大人びて見えて……困る。

 その姿を見つけて嬉しいのと……目の前にいるはずの彼をどこか遠くに感じる寂しさが一緒くたになって襲いかかってきて、


「んぐ……!?」


 タイミングも図ってやる余裕なんて無かった。

 歯磨きもちょうど終わった頃合いだったんだろう。コップに入れた水を口に含んだ彼に、私は思いっきり背後から抱きついていた。


「ん……んん……!?」


 動揺もあらわに身じろぐ彼にしがみつき、やっぱり逞しくなったその背中の感触を頬で感じながら、「バカ……」と呟くように言う。


「一人で……先に行っちゃダメなんだからね」

 

 ぽそっと言った瞬間、幸祈はなぜか盛大に水を噴き出した。



*次話で最終章もラストとなります。(予定)ここまでお読みいただいている皆様方、ありがとうございます! そして、最後までどうぞ宜しくお願い致します〜。

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