第15話 証拠【上】

「勝手に開けるなよ」

「ノックしたじゃない」

「いや……ノックしたから、て開けていいわけじゃ無いだろ」

「何をあんたは細かいことをゴチャゴチャと……」


 くぐもった声に耳を澄ませながら、私は真っ暗闇の中、息を潜めて縮こまっていた。

 ぎゅっと抱きしめたハンペンマンの奥で、私の心臓がバクバクとうるさく鳴り響いているのを感じる。

 

 ――いや、別に何もやましいことをしていたわけじゃないけど。


 ただ、まあ……見られたら要らぬ誤解を招いてしまうような状況であったのは確かで。そういえば、とんでもなく大胆なことをしていたことを今更ながらに気づいたわけで。

 つい、夢中だったから。

 いつになく、幸祈がそっけなくて。遠ざかる背中がやたらと冷たく見えて。焦りに焦った。だから、必死に幸祈に弁解しようとした。『奴』の存在を明かそうと躍起になった。

 その結果……気づけば、ベッドの上で幸祈に馬乗りになっていたのだ。


 かあっと顔が熱くなる。


 本当に……無意識というか、無自覚というか。とにかく、『奴』の存在を証明しなくちゃ……て、そのことで頭がいっぱいで。状況が全く見えていなかった。

 おばちゃんの声が扉の向こうから聞こえて――そのときになって、ようやく恥じらいとか理性とかいうものが戻ってきたようだった。

 さすがに……初めてよ!? 子供のときだって幸祈に跨るなんてしたことない! しかも……ベッドの上で、なんて!?

 思わず、奇声を上げてジタバタと足を振り乱したくなる。でも、そんなことしたら……。今もなお、何やら幸祈と揉めているおばちゃんに。私が幸祈のベッドの上で……布団の中に隠れていること――。

 幸祈は幸祈で、パニクったんだろう。扉の向こうからドアノブに手を掛ける音がするや、慌てて私を布団ごとひっくり返すようにして押し倒しきて、あれよという間に、私は布団の中に隠されていた。

 今、冷静になって考えてみれば……別に私を隠すこともなかったはずなんだけど。

 さすがにあの体勢のままはまずいとしても、床にでも座って何食わぬ顔をしていれば済んだ話だったような気がしなくもない。

 まあ、もう後の祭り。

 隠れてしまった以上、このままやり過ごすしかない。かくれんぼしてた、なんて言い訳がもう成り立つような歳でもないし。


 それにしても……こんな危うい状況ながら、懐かしさを覚えてしまう。この感じ――布団の中で、幸祈の匂いに包まれる感じ。

 瞼を閉じれば、それだけであの頃に戻るよう。

 あの頃も……こうしてハンペンマンを抱きしめて、真っ暗闇の中、幸祈の存在を傍に感じて眠りについた。心地よくて安心して、寂しさも紛れた。

 でも、今は……どうしよう――寂しさが募る。胸が締め付けられて、きゅうって鳴く声が聞こえるよう。こんな幻みたいな気配だけじゃ嫌だ、て身体の奥が疼くよう。物足りない。満たされない。ちゃんとこの身で、その存在を直に感じたい、と思ってしまう。


 自然と、苦しげなため息が漏れていた。


 そのときだった。

 パタン、とドアが閉じられる音がした。

 いつの間にか、ゴニョゴニョと低く響いていた話し声は止んでいて、「あ〜……」と呻き声ともため息ともつかない声が聞こえた。

 それから足音が近づいてきて、


「もういいぞ、帆波。母さん、行ったわ……」


 ギシリとベッドの軋む音とともに、そんな心労が伺える疲れ果てた声がした。

 おずおずと布団から顔を覗かせてみると、幸祈の後ろ姿があった。ベッドの端に腰を下ろして、項垂れている。


「大丈夫……だった?」

「ああ。まあ、一応……お前がいることは気づかれずに済んだわ」

「そう……みたいね」


 気づかれていたら、間違いなく、二人揃って尋問にあっていただろうし。こうして、おばちゃんが部屋の中に足も踏み入れず、去っていったことが何よりの証。私が布団の中に隠れている、てことはおばちゃんにバレずに済んだ――てことなんだろう……けど。


「どうかした?」むくりと起き上がり、その背中を――どことなく、どよんとした負のオーラを纏って見える後ろ姿を――見つめる。「おばちゃん……なんの用だったの?」


 すると、幸祈は弾かれたように振り返り、「いや、なんでも――」と言いかけ、はたりと言葉を切った。

 何やら視線を逸らし、逡巡するような間があってから、


「疑ってん……だよな」と幸祈は言いづらそうに切り出した。「うちの母親……お前が兄貴のこと好きだ、て」


 一瞬、何を言われたのかも理解できず、ポカンとしてしまった。

 目をパチクリとさせながら、幸祈の言った言葉を頭の中で整理する――。

 幸祈のおばちゃんが……なんて? 私が……広幸さんを好き?


「なんで、そんな……!?」と、思わず、身を乗り出し、声を張り上げていた。

「ちょ……大声上げるな、て!」

「んっぐ……!?」


 幸祈は血相変えてぐるりと身体ごとこちらに向けると、私の口を塞いできた。


「とにかく、しばらくここで静かにしてろ。母さんたちもそのうち寝るから。二人が寝静まってから下の和室に戻れ」 


 押し殺した声で捲し立て、幸祈はそうっと私の口から手を離し、


「念の為……確認しにきたみたいだ」とため息混じりに言って、幸祈はベッドの上で私と向かい合うようにしてあぐらをかいた。「お前が兄貴の部屋に来てないか……」

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