第10話 秘め事【下】
いったい、帆波は何を兄貴に話してたんだ? コソコソと二人で会って、あんなに思い詰めた様子で……。
もうどうしたらいいか分からない――なんてよっぽどだよな?
何か悩みがある……のは確かで。力になりたい、と思うのに……帆波が頼りにしているのは俺じゃなくて兄貴で。
――広幸さんだけが頼りだったのに。
あの……縋るような声が脳裏に蘇り、洗面台に置いた手にぎゅっと力が込もる。
やっぱ、悔しいと思うし、情けない。なんで俺じゃないんだ? という想いがフツフツと湧き起こってきて、今にも爆発しそうになる。
あのまま、階段で聞き耳を立てていれば、帆波の悩みを知ることもできたのだろう。でも、できなかった。盗み聞きなんて最低だ――という人としての倫理観より……それ以上に、男としてのプライドが許さなかった。
広幸さんだけが頼りだったのに――そんな決定的な一言を聞いてもなお、どこかで……きっと、俺にも話してくれるはずだ、と縋るように信じている自分がいる。帆波が自分から話してくれるのを待とう、なんて……願掛けみたいな希望を抱いてしまって――。
「あ、幸祈。こんなとこにいたんだ」
「!」
ふと、あっけらかんとした声がして、ハッとして振り返ると、
「幸祈も歯磨き?」ときょとんとしながら、帆波が洗面所に入ってきた。「リビングに戻ってもいないから、どこ行っちゃったのかと思った」
「あ、ああ……」
そりゃあ、あんな会話を盗み聞きして、平然とリビングに戻れるわけもない。自分の部屋へも行けず――帆波と兄貴が密談してるところを何食わぬ顔で通り過ぎれるわけもなく――結局、辿り着いたのは洗面所だった。手持ち無沙汰で、とりあえず、歯磨きをして時間を潰していたんだが。結局、それもさっさと終わって、洗面台を睨みつけながらずっとぼうっとしていた。盗み聞きした帆波の言葉を何度も頭の中で繰り返して悶々としながら……。
「私も歯磨きしようと思って……」
洗面台の前に――俺のすぐ傍まで来ると、帆波はきょろきょろと辺りを見回し始め、
「使ってない歯ブラシ、洗面台に置いてあるから使っていい、ておばちゃんが言ってたんだけど……」
「ああ……それなら、そこに……」
我ながら不自然極まりない。口調はたどたどしく、取り繕った笑みは引き攣る。ちょっとでも気を抜けば、さっき兄貴と何を話してたんだ――て、すぐにでも問い詰めそうで。さっさと洗面台の収納から新品の歯ブラシを出すと、押し付けるようにして帆波に手渡す。すると、「ありがとう」と受け取る帆波の笑みもどことなく強張って、
「何? どうか……した? なんか……変」
だよな……!?
「いや!?」と慌てて出した声は、見事に裏返る。「フツーだろ!? じゃあ……俺はもう寝るわ」
「は!? ちょっと待って!? 全然フツーじゃないから!?」
横を通り過ぎようとした俺の腕を帆波はガシッと掴み、
「何よ? なんで、急にそんなよそよそしくなってるわけ!?」
「よ……よそよそしいか?」
「目、合わせないし……」
突き刺さるような視線を横顔に感じる……。
「ああ、いや……」
曖昧に誤魔化すが、無駄だろう。
逃すまい、という確固たる意志を腕を掴むその手の力から感じる。
付き合い始めてまだ数日ではあっても、幼馴染としてはもう十年近く一緒にいたんだ。俺の嘘なんてお見通し……か。それにしては、今まで全くもって俺の気持ちには気づいていなかったようだが――。
「なんだ、その……」
視線を泳がせながら、必死に考えを巡らせる。
はっきりと訊いてしまいたい気持ちはある――。さっき、コソコソと兄貴と何を話していたんだ? 何か困っているのか? なんで……俺じゃなくて兄貴なんだ? と。
でも……とグッと拳を握り締める。
やっぱり、できない。それを訊いたら、何かが終わってしまう気がして。何か……大事なものを壊してしまう気がして。
「ああ、そうだ」
誤魔化すのが無理でも、何かこの場をはぐらかす方法は……と考えあぐねて、ハッとあることを思い出す。
「そういえば……」と帆波に振り返り、「向井さんとさっき会ったぞ」
「え……葵?」
腕を掴む帆波の手がするりと緩むのを感じた。
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