第9話 秘め事【上】

「広幸さん……!」


 今しかない――と私は慌てて広幸さんのあとを追い、二階への階段を駆け登った。

 ちょうど部屋へと入ろうかというその背中を見つけるなり、私は押し殺した声で呼び止め、


「広幸さんに訊きたいことが……!」


 詰め寄るや、そう切り出した私に、「絶対、やめて!?」と広幸さんはすぐさま振り返って両手を挙げた。


「ええ!? な……なんで……? 私、まだ何も……」

「いや、もう分かるというか……」と広幸さんは眉間を揉むようにしながら、苦悶の表情を浮かべてもごもごと言う。「そのパターンが来るのは、まあ予想はしてたよね」

「そのパターン……?」

「あのねぇ、帆波ちゃん……もう幸祈と付き合い出したんだから。訊きたいことは直接、本人に訊きなさい――て、この前も言った気がするんだけどな。

 また変な誤解を招くようなことになったら、最悪、俺、この家追い出されちゃうから。ただでさえ、大学生の実家暮らしは肩身狭いのよ」

「誤解……?」

「いいかい、帆波ちゃん」


 キリッと顔を引き締め、広幸さんは珍しいほどに物々しい面持ちで私を見つめると、意を決したように口を開く。


「必要なものは幸祈にもう渡してある。分からないことがあれば、その都度、幸祈に訊きなさい。経験はなくとも知識はあるだろうから。ここから先は……お願いだから、俺を巻き込まないで」

「え……」


 ちょっと……待って。そんな――。


「巻き込まないで、てそんなこと言わないで。広幸さんしか、こんなこと訊ける人いなくて……」

「いや、いるから! 絶対、いるから! てか、俺は一番、訊いちゃいけない人だと思うのよ!」

「でも……何か知ってるとしたら、広幸さんだけだと思うし――」

「そんなこたぁない!」と広幸さんはやたらと重みのある声ではっきり断言し、「周りのお友達に訊いてみなさい。高校生なら、良くも悪くも、皆いろいろ知っちゃってるから。――あ、でも、くれぐれも男には訊かないように! 『教えてあげる』とか言う奴がいても、絶対について行っちゃダメだからね?」

「はい……?」

「とにかく――何度も言っているけども……幸祈に訊きなさい! 上目遣いで『優しく教えて』とか言っておけば喜ぶから。それも一興なのよ」


 な……なんの話……? 『優しく教えて』? 一興って……? どうも……話が食い違っているような……?

 やっぱり、広幸さん、まだ酔ってる? だから支離滅裂なことを……?


「そういうことで……俺は今夜はもうヘッドフォンして寝るから。あとは二人で慎みをもって、くれぐれも節度と分別のある行動を――」


 そうっと後退るようにして、部屋の中へと退散しようとする広幸さんの腕を、私は慌てて「まだ……待って!」とむんずと掴み、


「私――呪われてるの! あの人形に……広幸さんからもらったハンペンマンに、取り憑かれてるの!」


 必死に声を押し殺しながらもそう訴えると、広幸さんは見たこともないほどに目をまん丸にして一時停止。しばらくパチクリと目を瞬かせてから、「はあ……!?」と家中に響き渡るんじゃないかという大声を上げた。


「な……なに……何の話を……!? 呪われてる、て何……!?」

「声、大きいです!」と私は口許に人差し指を当て、シーッと訴える。「幸祈には知られたくないから……。お願い、静かに……!」

「いや、知られたくない、て……」

「人形に呪われてるとか、そんなこと言いたくないでしょ!? 馬鹿らしい、て自分でも思うもん」

「じゃあ、なんで俺に言ったの?」

「だって、あの人形……もともと、広幸さんのだから。広幸さんも……実は、そういう経験があったりしないかな、なんて……」


 言いながら、徐々に声が萎んでいった。

 ――訊くまでもないな、て思っちゃったから。

 広幸さんの反応を見れば分かる。呪いなんて何言っちゃってんの――ていうその表情が、全てを物語ってしまっている。

 元から半信半疑ではあったんだ。ダメ元だった。藁にもすがる思い、てやつだった。

 それでも、もう……広幸さんしかいなかった。呪いを解く方法を――奴を追い払う術を知っている人がいるとするなら、きっと、前の持ち主だった広幸さんしかいないだろう、と思ったんだ。

 でも……。


「んー……一気に酔いが覚めたな」と広幸さんはわしゃわしゃとパーマがかった髪を掻いてから、気を取り直すようにため息ついて、私を冷静な眼差しで見つめてきた。「力になれなくて悪いけど……俺はそういう経験は無いよ。呪いとか幽霊とか、そういうオカルトとは俺は無縁だ。金縛り一つあったことはない」


 やっぱり……と思いつつも、ズシリと気持ちが沈む。

 自然と俯き、しゅんとしながら、


「広幸さんだけが頼りだったのに」と子供みたいな泣き言が、つい漏れていた。「広幸さんが分からないなら、私、もうどうしたらいいか分からない……」

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