第7話 ゆくゆくは【上】
「タコわさ……どう?」
「えっ……」
ダイニングテーブルの上でずいっと差し出された小皿。そこには、満遍なくわさびを絡めたタコが。
ごくりと生唾を飲み込む。
どうしよう――と見つめる先、目の前に座るおじちゃんは、お酒も入って赤くなった顔を強張らせ、私の返事を待っていた。
確か、もう五十代半ばくらい。うちの両親より十も年上で、やっぱり……貫禄というか、どっしりとした、ただならぬ存在感がある。顔つきも厳つい感じで。縁なし眼鏡の奥ではキリッとした鋭い眼が光り、ゴツゴツと角ばった顔にはいつも難しい表情が浮かんで……見るからに真面目一徹。初めて会ったときは『刑事さん』に違いない、と思ったものだ。子供の頃は、顔を見るたび、緊張しちゃって、話すのもままならなかったものだけど。
今となっては……。
「ごめんなさい。私、タコとワサビ、どっちも苦手で……」
おずおずと正直に言うと、おじちゃんは「へ……」と眼鏡の奥で眼を丸くする。「え? あれ? そうだった?」と惚けるその表情はやっぱり似ている気がして。幸祈のおとうさんだな――てしみじみ思って、一気に緊張が解ける。いつものように……。
その感じも懐かしくて……フフッと笑っていると、
「女の子に何を勧めてるのよ、お父さんは!?」と横から鋭い声が飛んできて、「ごめんね、帆波ちゃん。せっかく、来てくれたのに。――プリン、もっとあるわよ? 幸祈のが余ってるから」
それは『余ってる』……て、言うんだろうか?
相変わらずだな、おばちゃんも――。
「一個でじゅうぶんです」目の前の空になったプリンのカップをちらりと見てから、振り返る。「美味しかったです。ありがとう、おばちゃん」
すると、エプロン姿で向かってきたおばちゃんは、「あら、そう?」とおっとりとしたその顔に朗らかな笑みを浮かべた。
「もっと早くに帆波ちゃんが来ること知ってたら、チーズケーキでも焼いておいたんだけどねぇ」
「そんな……お構いなく。――今日は突然、お邪魔してしまって本当にごめんなさい。本来なら、もっと早くにお伺いを立てて……」
「何をそんなに畏まってるの、帆波ちゃん。前みたいに好きな時に好きなだけ泊まりに来てくれていいんだから。第二の我が家だと思ってくれたらおばちゃんたちも嬉しいわ」
「おばちゃん……」
じんわりと熱くなるものを胸の奥に感じて、自然と頬が緩んだ。
そのときだった。
「そうだよ、帆波ちゃん」と隣からのんびりと言う声が聞こえて、「もう家族みたいなものなんだから。そろそろ、『実家』って呼んでも差し支えないというか」
ぎくりとして振り返れば、テーブルに頬杖つきながら、いつにも増して緩み切った笑みを浮かべる広幸さんが。
ちょ――!? て大声上げそうになってしまった。
「ええ、そうねぇ。帆波ちゃんのことは、小さい頃から見てきたから……おばちゃんたちにとっても、我が子同然よね」
「そうだなぁ」と唸るようにおじちゃんは感慨深げに相槌打って、「特に、母さんはずっと娘を欲しがってたしなぁ。帆波ちゃんに似合いそうだ、てよく洋服も買ってきてなぁ……」
「そうなのよ〜。まるで、念願の娘ができたような気分でねぇ」
「ああ、じゃあ、ちょうど良かったじゃ――」
はは、と笑っておばちゃんに振り返らんとする広幸さん。
何が『ちょうど良かった』なんですか、広幸さん!?
「広幸さん!?」と慌てて言って、隣に座る広幸さんの肩をガシッと掴んでいた。「顔、真っ赤ですよ。飲み過ぎじゃないですか!?」
「え、そう?」
そんなに飲んだかな〜? なんて呟きながら、空になったグラスを傾ける広幸さん。
正直、顔は大して赤くはない。おじちゃんに比べたら全然だ。でも、私がお邪魔したときには、すでにおじちゃんと飲み始めていて、『いらっしゃい、帆波ちゃん』と迎えてくれたその口調はすっかり酔っぱらいのそれだった。
そのときから、嫌な予感はしていた……けど、まさか――だ。
まさか、広幸さんが酔っ払うとこんなに危なっかしくなるなんて。
別に……秘密にしよう、という気はない。悪いことをしているわけではないのだし。私と幸祈が付き合いだしたこと――堂々とおばちゃんたちにも言えばいいだろう、とは思う。
でも、まだ早いというか……心の準備が全然できてない。
少なくとも、こんなお酒の場でついでみたいに明かす気は甚だ無い。
「んー……確かに、そろそろ寝た方がいいかな。明日も実験あるし……」
広幸さんは眠たそうに眉間を揉んでから、おもむろに立ち上がり、「父さん、お先」とおじちゃんに告げた。
助かった、とホッとしたのも束の間、
「帆波ちゃんもおやすみ。あ――程々にね」
「ひやっ……!?」
何をですか!? ――て訊いたら、絶対ダメなやつ!
「は……はい!」と咄嗟に私も立ち上がり、「勉強も……程々に、夜更かししないで寝ます! また、寝坊しちゃったら大変だあ」
テヘ、と我ながら気味が悪いくらいにぶりっ子してしまった。
そんな私に、広幸さんは訝しげに顔を顰め、
「いや……勉強のことじゃなくてね」
なんで食いつくのよ、酔っぱらいー!
きゃあ、て内心慌てふためき、今にも広幸さんの口を塞ぎそうになった、そのときだった。
「母さん、運び終わったけど……」
噂をすれば、とでも言えばいいのか。
ガチャリとリビングの扉が開いて、――何をしていたのやら――しばらく席を外していた彼の……幸祈の声がした。
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