第6話 今夜は一人になりたくないの【下】

「ん……? 鍵、どこ入れたっけ?」


 玄関の前まで来て、ジャージのポケットにそれがないことに気づいた。

 いや……あるにはあるんだが。これは帆波から借りたあいつの家の鍵で。俺ん家のではない。

 ポケットじゃなくて、食材と一緒にエコバッグにでも入れたか?

 慌ただしく用意して家出たからな。どさくさ紛れに、兄貴にを渡され、動揺もしていたし……。

 そういえば、家出るとき、俺、鍵かけて行ったっけ?

 もしかして、鍵忘れたんじゃね? と不意によぎった、そのときだった。


「幸祈――!」

 

 夜の静けさを打ち破らん甲高い声が響き渡った。

 ぎくりとして振り返れば、ガシャンと門を開け、怒涛の勢いで駆けてくる人影が。

 何事だ? とぎょっとしつつ、


「どうした、帆波?」


 くるりと体を半転させ、とりあえず、事情を聞こうとした――のだが。

 目の前まで来ても帆波は立ち止まることもなく、その勢いのまま突っ込んできて、


「幸祈……!」

「うぐぉ……!?」


 思いっきり、タックルかますかの如く、俺に抱きついてきた。

 流石にぶつかってくるとは予想もしていなくて。油断しきっていた体はよろめき、背後の玄関の扉に背中を打ち付けた。

 え……なに? なんなんだ、この……いきなり一年ぶりの再会みたいなテンション……!?


「な……なんだ? どうした、いきなり? 何かあった……」

「いいの!」

「『いいの』……!? いや、何がいいんだ!?」

「いいから――とにかく、抱いて!」

「抱いっ……!?」


 ズガン、と一発、心臓に思いっきり、拳でも食らったようだった。

 『抱いて』って……? 『抱いて』って……!?

 いや――落ち着け。

 普通に考えて、の意味ではないだろう。こんなところで、こんな突然……急展開すぎる。

 ハグ的な意味だ。そうに違いない。それ以外はあり得ない。

 すうっと息を吸い込み、気を落ち着かせ、


「どうした?」とやんわり言い直し、その背中に腕を回す。「何かあったのか?」


 触れてみると分かった。わずかだが……その華奢な身体はカタカタと震えていた。

 少し夜風は肌寒い気はするものの、凍えるほどじゃない。となると、怯えてる……のか?

 電話する帆波を横目にリビングを出て――それから、向井さんに出会し、『お詫びの品』を託されたり……と、色々あったものの――まだ、十分も経っていないはず。その間に、一体、何があった? そんな短時間で、ここまで帆波を怯えさせるなんて……。


「まさか――」とハッとし、「泥棒でも入ってきたか!?」


 すると、帆波は俺の胸に顔を埋めたまま、ふるふると頭を振った。

 違う……のか、とホッとしながらも、「じゃあ……」と小首を傾げてしまう。


「なんだ? 何か……あったんだよな?」


 震えるその背を摩りつつ、尋問めいた口調にならないよう……努めて優しく訊ねた。

 しかし、帆波はやはり頭を振るだけ。俺の問いには答えず、


「やっぱり……幸祈の家、泊まっていい?」

「え……」

 

 思わぬ言葉に眼を丸くする。

 藪から棒……というか。予想外というか。


「あ……ああ、もちろん。それは全然構わねぇ――てか、俺もその方が安心するけど」


 どう……なってるんだ?

 ウチに泊まりたいって……さっきはあんなにも頑なに断ってきたのに。高校生にもなって、うちの親に迷惑かけたくない、とか言って……。

 意固地なほどに頑固なところのある帆波のことだ。あそこまで頑なだと、説得するのはまず不可能。心変わりすることはまずないだろう、と俺も諦めていた。

 それなのに……なんで、急に?

 ――もちろん、帆波の気が変わったのなら、それに越したことはない。

 いくらホームセキュリティがあるとはいえ、――その仕組みも俺はよく分かってねぇけど――すぐさまピンチにスーパーヒーローが飛んでくる、とかそういうものではないだろう。正直、俺はそこまで信用できない。今夜も隣の家に帆波が一人でいるのか、と思うと……それだけでゾッとする。しかも、スマホも無しで、だ。俺の方が生きた心地がしねぇ。


 だから、願ったり叶ったり……ではあるんだが――やっぱり、気になる。


 一体、何がここまで帆波を怯えさせているのか。

 こんなに震えて、必死に俺にしがみついて……。よっぽどのことがあったとしか思えない。

 思い当たることといえば……おばちゃんとの電話くらいだけど。何か……言われたのか? スマホのことでこっぴどく怒られた……とか?


「帆波……」帆波の肩を掴み、そっと引き剥がすようにして離れ、「何かあったんなら、教え――」

「……ないの」


 まだぎゅっと俺の服を掴みながら、帆波は俯き加減にぽつりと言った。

 うまく聞き取れず、「ないって……?」と訝しげに見つめる先で、帆波はおずおずと顔を上げた。

 玄関のライトがぼんやり照らす暗がりに、ようやく確認できたその表情は、やはり不安げで、縋るように見つめてくる瞳は心許無く揺れて見えて――。


「今夜は……一人になりたくないの」


 心細げにそんなことを言われたら、もう……終わりだ。

 頭の中で、ボン、と何か爆発したみたいな。細かい疑問など一気に吹っ飛び、理性までもが一緒に吹き飛びそうになるのを堪えるので精一杯で。

 それ以上、追及することなんてできようはずもなかった。

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