第5話 今夜は一人になりたくないの【上】

『――そう、スマホが壊れて……。大変だったね』

「全然、大丈夫。心配かけてごめん」 

『無事なら良いの。お父さんには、お母さんから伝えておくから』

「うん、ありがと。お父さんにも謝っておいて」

『ええ。――それで……幸祈くんが、来てくれてるの? 今、ウチで二人きり……?』

「ああ……うん。今、一旦、帰ってるけど。また、あとで来てくれる、て」

『……』


 うーん。なに、この沈黙……?

 顔が見えるわけでもないのに。愛想笑いを浮かべながら、私は壁を睨めつけ、受話器の向こうの気配を伺っていた。

 これが親子の会話か、と我ながら虚しくなるけど。

 決して仲が悪いわけじゃない。友達の愚痴とか聞いている限り、ウチは仲が良い方だとすら思う。ただ……何かが欠落している気がする。きっと、最も大事な……親子関係の根幹であるべき『信頼関係』のようなもの――。


 多分、両親は私に引け目があるんだろう。仕事を理由に、私をよその家に押し付け、放ったらかしにしてきた負い目。それがずっと、二人に纏わり付いているのだと思う。

 で――、私は私で、なんとなく……遠慮してしまう。きっと、幼い頃に染み付いた癖。ママたちの邪魔をしちゃいけない。困らせちゃいけない。――ずっと、そう自分に言い聞かせていたから。


 そんな私たちの会話は基本的に探り合い。お互いに遠慮して、建前ばかりを並べ続ける……薄っぺらい会話にしかならない。


『幸祈くん……なら、大丈夫……なんだよね?』


 大丈夫なんだよね――て、なんだろう?

 不自然極まりな言い回し。明らかに、何か言いたげだ。


「うん! 幸祈がいるから安心だよ。なーんにも心配いらないから」


 わざと……嫌味っぽいほどに、晴れやかに電話口に言い放っていた。

 だって……さすがに、なんか腹が立つ。今更、なんで幸祈を警戒するんだ。

 昨日今日知り合った得体の知れない男じゃない。お母さんだってよく知る幸祈だよ。幸祈よ? 何を心配することがあるの?


『そう……』と上擦るお母さんの声に、電話の向こうで苦笑する顔が目に浮かぶようだった。『帆波がそう言うなら……いいんだけど。幸祈くんに……よろしくね?』

「うん、よろしく言っとく。おやすみ、お母さん」


 さらりと言って、私はガチャリと電話を切った。

 受話器を置きながらふうっと一息吐く。

 まだ、ちょっと幸祈の件でモヤモヤは残ってるけど。ひとまず、ひと段落……よね。


 事情を話せば――スマホが壊れたことや、寝坊して学校をサボってしまったことを正直に明かせば――分かってもらえるだろう、と思ってはいた。何か言われるとしても、スマホは大事にしてね、て釘を刺されるくらいだろう。そう分かってはいたけど……緊張はするものだ。


 ようやく肩の力を抜くと、どっと疲労感が押し寄せてくる。


 こういうとき……やっぱり、恋しくなるのは幸祈で。幸祈のぬくもりが欲しくなる。

 抱きしめて欲しいな、とか思っちゃう自分がいて。ついでに頭も撫でてくれたら……なんて欲張りなことまで考える。

 帰って来たら、思いっきり、甘えてみよう……かな。寂しいなら寂しい、て言えって幸祈だって言ってたし。帰って来るなり、寂しかった〜、て縋り付いちゃっていい……のかな? いや、さすがに……それはウザい?

 そういえば、つい、観たいテレビがある、とか言っちゃったんだよね――と思い出しながら、テレビの方を見やる。

 本当は何も観たいテレビなんて無いんだけど……。

 適当に何か流して、ソファでさりげなくくっついてみる……とか? そしたら、幸祈、応えてくれるかな? 甘えたい、て気持ち、気づいてくれる? また、さっきみたいに押し倒されて、帆波――てあの優しい声で熱っぽく囁かれたら……なんて考えて、うわあ、と自分で恥ずかしさに悶絶しそうになる。


 な……何を一人で想像してるんだ!?

 わあ、わあ……と身体中がパニックになる。今にも全身から湯気でも出そうで。

 機関車にでもなっちゃった気分で、熱くなる顔をぱたぱたと手で煽ぎながら、部屋の中を右往左往していた。

 そのときだった。


「……!」


 何か……物音がした気がした。

 玄関のほうから……。


「幸祈……?」


 もう帰って来た? でも、まだ……五分も経ってないけど。

 いくら隣の家だとはいえ、そんなに早く荷物を置いて帰って来れるとは思えない。家に着くなり、玄関で荷物放り投げて、急いで戻って来れば、あるいは……だけど。幸祈がそんな粗暴なことをするとは思えない。しっかりとおばちゃんに事情説明と謝罪をした上で、茹で蛸の返納をするだろう。そういう律儀な奴だから……。

 じゃあ、もしかして……忘れ物? それにしては、全然リビングに入って来る気配も無いけど……。


 なんだか……嫌な予感というか。妙な胸騒ぎを覚えつつ、私はそろりとリビングの扉を開け、玄関にひょっこりと顔を覗かせる。


「幸祈? いるの?」


 おずおずと訊ねてみるが、そこはしんと静まり返った暗がりがあるだけ。なんの人影もない。

 ただ――気になるものが一つ。


「なに……あれ?」


 玄関マットの上にぽつんと紙袋が置かれていた。無地の大きな白い紙袋だ。

 リビングから顔を覗かせたまま、目を薄め、まじまじとそれを見つめてしまう。

 見覚えがある……ような、無いような?

 確か、幸祈がたこ焼き器をこんな紙袋に入れていた気がする……けど。こんな大きかったっけ?

 何か……違うような気もするけど、それ以外に紙袋に思い当たる節もない。


「忘れて行っちゃった……のかな?」


 しっくりとこないものを感じながらも、リビングから出て紙袋に歩み寄る。

 忘れたのが、たこ焼き器だけならいい。でも、万が一、茹で蛸が入ってたら届けてあげないと――と、紙袋の傍にしゃがみこみ、念のため、中身を確認しようと覗き込んだ。

 その瞬間、


「ひいやっ……!?」


 紙袋の昏い闇の中、ばちりと、思わず、私は悲鳴を上げて飛び退いていた。


 心臓が一気に焼け切らん勢いで駆け始める。

 バクバクと早まるその鼓動を感じながら、私は愕然として固まっていた。


 え……? え……? なんで……? なんで……!? どういうこと? どうなってるの? 見間違い? 幻覚? だって、そんなはずは――と目を見開いて見つめる先で、紙袋がふいにドサッと倒れる。

 

 横たわった紙袋の中から……ずるりとそれが顔を出した。


 三角形の真っ白な顔に浮かぶ、無垢なようで不気味な無機質な笑み。その昏い豆粒みたいなつぶらな瞳が、静かに私を見つめていた。


 間違いなく、だ――。


 ゾッと背筋に悪寒が走り、全身が粟立つのを感じた。

 悲鳴さえも上げられず、私は硬直してそれを見つめることしかできなかった。

 

 私の部屋の……クローゼットの奥深くに封じ込めたはずなのに。なんで、こんなところに……幸祈の紙袋の中に……しかも、になって――!?


 そのとき、脳裏をよぎったのは今朝の夢。

 ほんとバカだペン、ほなみちゃん――とポップコーン片手に現れた、今朝の……七頭身に成長したハンペンマンの姿が脳裏に蘇って、私は無我夢中で玄関から飛び出していた。

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