第4話 預かりもの【下】
どうやら……というか、まあ、当然ながら、電話はおばちゃんからだったようで。
電話に出るや、帆波は気まずそうに、スマホが壊れたことや寝坊したこと……学校をサボるに至った経緯を電話口で報告し始めた。
傍にいてやりたい気持ちもあったが……俺が居たら居たで話しづらいこともあるだろう。俺は俺で早い所タコを返しに行かないと、母親が直々に『タコ返せ!』と帆波ん家まで殴り込みに来る可能性も無きにしも非ずだし。
帆波から預かった鍵を手に、後ろ髪を引かれる思いで、俺はたこ焼き器やその他諸々を紙袋とエコバッグに詰め込み、そうっとリビングを後にした。
玄関を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
しんと静まり返った夜陰に、ひんやりとした風が音も無く通り過ぎていく。
すうっと息を吸い、その涼やかな静寂に一人佇み、思い返していた。さっきの帆波の言葉……。
――早く……帰って……来なさいよね。
たちまち、胸が締め付けられて。くあああ……! と変な声を上げそうになる。
たった一言。おそらく……なんの深い意味も、他意もない、何とはなしの一言だったのだろう、とは思う。それでも、思いっきり、胸が揺すぶられてしまった。
早く帰って来なさい――なんて。
母親に目くじら立てられながら、ガミガミと言われた覚えしかない言葉が、まさか、こんなにも甘美に聞こえるとは。
嬉しい……とか通り越して、感動すらある。
まるで同棲でもしているような気分になって。思い出すだけでもニヤケてしまう。
気が早い……というか。舞い上がりすぎだ、と我ながら思うけど。仕方ねぇよな。今まで邪険にされてる……とずっと思い込んできたんだ。高校に上がってからなんて、家に帰れば『おかえり』代わりに『広幸さんに会いに来ただけだから!』と帆波に言われる日々。勘違いすらさせてもらえず、失恋の傷にいつまでも塩を塗り込まれるようだった。それが今や、『早く帰って来て』だなんて……。
夜のせいか。感慨に耽ってしまいそうになる。
気恥ずかしくなって「たはは……」と妙な笑い声が漏れた。
そのときだった。
「あれ? 藤代くん……?」
ふと聞こえたその声にハッと我に返って見やれば、
「なに……そんなとこで突っ立って、ニヤニヤしてんの?」
門の向こうに人影があった。
ぼんやりとした門灯が照らし出すその姿は、見覚えのあるもので。
え……と目を見開く。
ストレートだった短い髪は、うねうねとパーマがかったシルエットに変わっているが。ほっそりとした顎に、キリッと凛々しい目許は相変わらず。すらりと背が高く、帆波とは対照的に大人っぽい雰囲気で。一緒に並ぶ姿は、仲の良い姉妹(もちろん、帆波が妹)に見えたものだ。
「向井……さん?」と久しぶりにその名を口にした。「なんで、ここに……?」
「帆波に渡すものがあって」
ニッと笑って、その人は持っていた大きな紙袋をひょいっと持ち上げて見せてきた。
向井葵――帆波の中学からの親友だ。
同じ高校でクラスも一緒。実は、家も近いのだ、と聞いていたが。
「渡すものって……こんな時間に?」
戸惑いつつも訊ねながら、門に歩み寄る。
そういえば、帆波は今日、学校サボったからな。課題か何かのプリントとか……か?
「あー……ちょっとね。部活帰りに皆でカラオケ行ってたら、こんな時間になっちゃって」
「カラオケ……」
確かに。門を出て、改めて向かい合って見てみれば……向井さんは制服姿のまま。まだ家にも帰っていない、てことか。
「大丈夫、大丈夫」とふいに向井さんはニヤリと怪しい笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込んできて、「帆波を誘うこともあるだろうけど。さすがに、こんな時間まで連れ回したりはしないであげるから」
「は!? いや、そんな心配は……」
そんな心配はしてなかった……けども、だ。
つい、口ごもってしまった。
図星というか。先手を取られたというか。
確かに……こんな時間まで帆波が遊び歩くようになったら、俺は気が気じゃないかもしれない。心配で何も手がつかなくなる自信がある……。
自然と渋面になって黙り込む俺に、向井さんは意味ありげにクスクス笑い、
「両思いになったらなったで、心労も増えるよね。ま、それも楽しさの一つでもあるんだけどさ」
「……」
そう……なのか?
なにぶん、帆波が初恋で、初めての恋人だ。カレシ経験まだ三日の俺には未知の話だ。
「で?」と向井さんはふわりと髪を弾ませ、小首を傾げた。「藤代くんは、今、帰るとこ?」
「ああ……いや、ウチに荷物を置いて来るところで。また戻って来るつもり……だけど」
「ふ〜ん……」
ニマニマとしながら、なぜか、値踏みでもするようにジロジロと見て来る向井さん。
「な……なに……?」
「んーん。なんでもない」と向井さんは不気味なほどに満面の笑みを浮かべ、「帆波ん家、今、親がいないっていうから、ちょっと上がらせてもらおうかな、とか思ってたけど。お邪魔しちゃ悪いから、やっぱ、このまま帰るわ」
「このまま……?」
寄らずに、てことか?
正直、そうしてもらえるとありがたい――とか思ってしまうが。
「今、帆波……親と電話してるけど、それが終わったら暇だろうから。俺のことは気にしないで……」
「無理しちゃって〜。顔、引きつってるよ」
「え!?」
まじか!? 顔に出てた……!?
「いや、そんなことは……!」
「冗談、冗談。やっぱ真面目だな〜、藤代くん」
すっかり、遊ばれてるな……とひきつり笑顔を浮かべていると、
「私は帆波といつでも学校で会えるしさ。今は藤代くんのほうが、帆波と一緒に居られる時間、貴重でしょ」
どこか諭すように言われ、胸がチクリとした。
「もうカレシなんだし。もっと欲張りなよ。あの帆波がカノジョなんだから。がっつくくらいで丁度いいでしょ」
「がっつく……!?」
「ま、そういうわけで」と向井さんはあっけらかんと言って、俺に紙袋を差し出してきた。「これ、託していい? 大荷物のとこ、悪いんだけどさ。持ち帰って、明日渡すのも面倒くさいし」
「あ、ああ……」
そっか。帆波に渡すものがあるから来た……んだったんな。
帆波はまだ、きっと電話中……だろうから、ひとまず、玄関に置いて来るか。そういえば、鍵も閉め忘れた気がするし。
両手に抱えていた荷物は、とりあえず、その場に置いて、向井さんから紙袋を受け取る。
その大きさに反して、肩透かしくらいに軽かった。
いったい、なんなんだ? と中身を見たくなるのをぐっとこらえていると、
「帆波には話は通してある、て言ってたけど。こんなの、帆波が欲しがるか怪しかったからさ。実は、渡すの躊躇ってたんだよね。藤代くんが渡してくれたら安心だわ。もし、帆波が嫌がるようなら、藤代くんが処分してあげてよ」
「へ……?」
どういう……意味だ?
「ごめん……話がよく分からないんだけど……」
「それ、預かりものなんだよね」と向井さんは呆れ顔で肩を竦めた。「うちのクラスのやつがさ、帆波のスマホ壊しちゃったらしくて。そのお詫びなんだって」
「帆波の……スマホ……」
確かに、壊れたって言ってたけど……壊されたのか――!?
「クラスのやつって……男か? 何があったんだ!?」
思わず、詰め寄って訊ねると、「わあ、ちょっと落ち着いて!」と向井さんは両手を挙げ、
「事故……らしい! 話しかけたら、帆波がびっくりして手を滑らせたんだ、て」
「事故……」
「そ。だから、帆波も弁償とかはしないでいい、て言ったらしくて。せめてもの気持ちでそれにしたんだと。帆波が独り言で何か言ってたらしくて……きっと、好きに違いない、て自信満々に息巻いてたわ。
本当は今日、学校で直接、渡したかったみたいだけど、帆波、学校休んだし。私んとこ来て、家に届けたいから帆波ん家の住所教えて、とかバカなこと言い出したから、それなら私が持って行くから寄越せ、て言ったの」
「帆波の家に……?」
やれやれ……といった具合に、呆れた様子で向井さんは語っていたが。その話は俺にはとてもじゃないが穏やかには聞こえなくて。
シコリのような……スッキリとしないものを胸に感じていた。
ただのクラスメイトの話で。ただのお詫びの品だ。
そりゃあ、俺も……たとえば、クラスの女子のスマホが壊れるきっかけを作ったら、ものすごい気にする。弁償させてもらえないなら、何か他の形で、と考えるだろう。
でも、家まで届けに来ようとした……と考えると――、顔も名前も知らないような男が帆波の家に来ようとした……なんて考えるだけで――、どす黒いものが腹の中で渦巻くのを感じる。怒りとか、苛立ちとはまた違う。気に食わない……て子供みたいな感情が湧いて来る。
正直、渡したくない、なんて気持ちにもなったが。
あくまで、お詫びの品だし……向井さんから託されたものだ。
よろしくね〜と去って行く向井さんを見送ってから――気は進まなかったものの――とりあえず、帆波の電話の邪魔にならないよう、それをそうっと玄関に置き、俺は再び帆波ん家を後にした。
*すみません。また古い話を持ち出しまして(^^;)脳トレかよ!? という感じですが、終章ということでご了承くださいませ〜。
尾田とのスマホのいざこざは、三章九話『恋と事故【上】』。お詫びの品の件は、四章三話『幸せ【上】』となっています。
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