第3話 預かりもの【上】

 いつからか、当たり前のことになってた。

 学校からまっすぐに幸祈の家に帰ること。そのまま、お夕飯をいただいて、お風呂もお借りして、両親が迎えに来るまで一階の和室で幸祈とうたた寝すること。

 そんなことを――頻度は段々と減っていったけど――私は中学に入るくらいまで続けていた。


 今思えば、厚顔無恥――と言わざるを得ない。私の両親も、よくもそこまでよそ様の……ただ、偶然、隣の家になっただけの赤の他人のご厚意に甘えられたものだ、と思う。


 でも、幸祈はもちろん、おじちゃんもおばちゃんも、そして広幸さんも嫌な顔一つすることなく、いつも私を温かく迎えてくれた。まるで親戚みたいに。

 それを居心地よく感じながらも、やっぱり引け目は感じていた。

 小さい頃は、なんとなく……だったけど。段々と歳を重ね、分別というものを身につけていくうち、はっきりとした『申し訳ない』という気持ちが生まれていった。

 だから、中学に入ってからは、幸祈の家にのはやめた。部活が忙しい、とかそれらしい理由をつけて……。ただ、まあ……その頃には幸祈のことをもう意識しまくっていたから、幸祈に会うために上り込むこともあったけど。それでも長居はしないように心がけた。少なくとも、おばちゃんがパートから帰って来る前には退散してた。おばちゃんの負担にならないように……。


 それなのに、今さら……また、幸祈の家に押しかけるなんてマネ、できるわけない。


「幸祈とは一緒にいたいけど……それとこれとは別」


 俯き、ぼそっと言う。


「高校生にもなって、おばちゃん達に迷惑かけたくない……」

「いや……迷惑とか思わねぇよ、うちの親。帆波に会いたい、て言ってたし」

「うん……」


 そうだろうな――とは思う。

 おばちゃん達は本当にいい人たちで。私にも良くしてくれて。いつでもおいで、て言葉に嘘偽りはないんだろうな、といつも感じていた。

 でも、だからといって……その言葉に遠慮なく甘えられるほど、私ももう子供じゃない。


「今度……また、おばちゃんの好きなフルーツサンド持って遊びに行く」


 そっと髪を耳にかけながらぽつりと言うと、「今度……ね」と幸祈がため息交じりに言うのが聞こえた。

 しばらく、何か考えるような間があってから、


「分かった」と優しく幸祈は私の頭を撫でてきた。「気が変わったらいつでも言えよ」


 気が変わることはないだろうな、と思いつつ、「ん……」と私は小さく頷いた。


「じゃあ、俺……一旦、帰るな」

「へ……?」


 帰る……? なに……いきなり!?

 ぎょっとして顔を上げれば、幸祈がちょうど腰を上げるところで。


「もう帰っちゃうの!?」


 咄嗟に、そんな言葉が口から転がり出ていた。

 ハッとしてこちらを見る幸祈とはたりと目が合って、さすがに――もう付き合ってて、キスもしたとはいえ――あまりに子供っぽいその言葉に、たちまち、かあっと顔が熱くなる。


「あ……えっと……」とあたふたと彷徨わせた視線の先にテレビが見えて、これだ、と閃く。「観たいテレビが……あって……。その……そろそろ始まるから、一緒に観て行ってくれてもいい……んだけど」

「観たいテレビ……?」

「そう……観たいテレビ」

「ああ……ハンペンマンか」

「は!?」


 ハンペンマン――!?

 ぱっと頭に浮かんだのは、すらりとしたモデル体型にまで成長した奴の姿で。


「バ……バッカじゃないの!? なんでハンペンマンなのよ!?」


 顔を上げ、わあっと勢いよく言い返すと、「何をムキになってんだよ」と幸祈はくつくつと笑った。


「ちょっと仕返ししただけだろ」

「し……仕返し?」


 なんの……?


「帰る、つっても……母さんに『タコ返せ』って言われただけだから」ケロリとして言って、幸祈は肩を竦めた。「また戻って来るよ」

「タコ……返せ?」

「たこ焼きに入れようと思って、茹でダコ持ってきただろ。あれ、父さんの今夜のつまみ用だったみたいで。タコわさにするんだと。まだ残ってるなら、父さんが風呂出るまでに持って来い、てさっき、電話で言われたんだ」

「タコわさ……」


 そういえば、おじちゃん、お酒好きだったっけ。

 そっか……私たち、もう少しでおじちゃんのおつまみ食べちゃうところだったんだ。

 しょんぼりするおじちゃんの姿が脳裏をよぎって、よかった、と心底思った。タコ無しにしておいて正解だったな。災い転じて……て、ちょっと違うか。


「まあ……そういうわけで。ついでに、たこ焼き器とかも置いて来るわ」


 少し面倒そうに頭を掻いて、幸祈はくるりと身を翻した。その背中に、思わず「あ――!」と声をかけていた。

 条件反射というか、なんというか。

 うまく言えないけど。後ろ姿って……なんか苦手。


 戻って来る、て分かってるのに。一瞬、行かないで――なんて言いそうになっちゃった。


「ん?」と幸祈はおもむろに振り返り、「どうした?」


 不思議そうにしながらも、見つめてくる眼差しはやっぱり優しくて。くすぐられるものがあって。胸の奥がざわめいて落ち着かなくて……宥めてほしいと思う。


 きっと、これが……甘えたい、て衝動なんだろう――。

 

「えっと……その……」と私は視線を泳がせながら、口を窄めて言う。「早く……帰って……来なさいよね」

「へ……」


 ここで……『へ』!?

 ぼっと頭から湯気が出るようだった。


「だ……だから……早く帰って来て、て言ってるの! ちゃんと聞いてなさいよね、バカ!」

「あ、いや……聞こえてはいたんだけど……」


 聞こえてたの!?


「聞こえてたんなら――」


 さっきの惚けた声はなんだったのよ!? と文句を言おうと、きっと睨めつけた瞬間、


来て……なんて言われるとは思わなかったから」と鼻を掻くようにして口許を隠しながら、幸祈は視線を逸らした。「なんか……すげぇ良いな、と思って……」


 刹那、ぶわあっと一気に自分の顔が真っ赤に染まるの分かった。

 は? はあ……?

 すごい良い、て……なによ? 何言ってんのよ? そんな真っ赤な顔で。そんな……照れまくっちゃって。

 やめてよ。そんなふうに、そんなこと……幸祈に言われたら、私まで――。

 きゅうんと凄まじく胸が締め付けられて。はうう……って変な声を上げそうになった。


 そのときだった。


 辺りにけたたましい電子音が鳴り響き、ぎくりとする。

 ハッとして振り返れば、ダイニングの隅に置かれた棚の上でチカチカと光るものが。ほとんど存在も忘れかけていた……もはやお飾り同然のウチの固定電話だ。いったい、いつぶりだろうか、というそれの鳴らす着信音を聞きながら、緩みきっていた顔が強張っていくのが自分で分かった。


「おばちゃん……だろうな」


 どこか気の毒そうにそう言う幸祈の声は、すっかり冷静さを取り戻していて。

 なんとも言えない歯がゆさを覚えて、私はひっそりとため息吐いた。



*幸祈の『仕返し』に関して。1章4話『ごまかし【下】』(ハンペンマン初登場回)となっています。気づけば、もう一年以上も前の話となってしまって……覚えていらっしゃる方はほぼおられないかな、と思いまして。注釈を入れさせていただきました。

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