第21話 誘い【上】
「ん……」
まただ。
公園のときと一緒。変な声、出ちゃう。
鼻にかかった……妙に媚びるような声。
それが自分のものだと思うと、また一段と恥ずかしさが増して。きゅうっと鳩尾の奥が締め付けられる。
そういえば、電気も点けっぱなし。無粋なほどに煌々と照らす照明の下、幸祈は何度も唇を重ねてきた。私のリクエスト通り、強引なくらいグイグイと……。
分かってる――。
私がふっかけたようなものだ、て。幸祈を煽った自覚はある。こうなるように仕向けたのは、他ならぬ私だ。
それなのに……実際、こうしてグイグイ来られると、私はどうやらかなり弱い。何度となく繰り返されるキスに、わあわあ、と翻弄されるばかり。何をどうしたらいいのか、とか……全然、分からなくて。頭は全然働かないし、体は動かないし。ただ、ぎゅっとひたすらに瞼を閉じて、幸祈のされるがままになっていた。
そうしているうちに、ふわりとソファに押し倒され、心臓がどくんと飛び跳ねる。
たちまち、緊張と高揚感で胸が張り裂けそうになって。キスで唇を塞がれながら「〜〜〜っ!」と声にならない叫びを上げた。
なんだかんだで……待ち侘びていた瞬間――だったと思う。
幸祈ん家に上がり込み、ソファに並んで座りながら、いっそのこと……と何度も密かに思っていたから。隣に座る彼をちらりと見ながら、いっそのこと、押し倒してくれてもいいんだけど――なんて心の中で語りかけてた。そんな声は、当然、今まで一度も届いたことはなかったけど。
でも、もう……そんな日々も終わりなんだ。
全身に痺れるような悦びが駆け抜けるようだった。
怖いくらいに……激しく昂ぶるものを胸の奥に感じながら、覆いかぶさる彼の背中にそっと手を伸ばそうとした――そのときだった。
優しく啄ばむようだったキスが、ふと、ぴたりと止んだ。
え……と思った瞬間、「帆波」と熱っぽく囁く声が降ってきて、
「少し……口開けて」
口……開けて……?
ハッとして目を開ければ、私を見下ろす幸祈の顔が。そこには見慣れない表情が浮かんでいた。真剣なようで、どこか苦しげなその面持ちに、いつもの余裕は無くて……切羽詰まっているようにも見えて。「え……」とたじろいでしまった。
なに、急に……?
どうして、いきなり……口開けて?
「な……なに……?」と身じろぎしながら、おずおずと訊ねる。「口開けてって……なんで?」
「『なんで』……!?」
大仰にぎょっとしてから、幸祈は見慣れた間抜け顔に戻ってぽかんとしてしまった。
なんなの、その反応……?
訝しげに見上げていると、「あー……いや、なんで、と言われると……」と赤ら顔でもごもご言って、幸祈は居心地悪そうに視線を逸らす。
「……やっぱ、いいわ。なんでもない」
「なによ、それ? なんでもなくないでしょ」
「な……なんでもねぇよ」
「はあ? 何、隠してんの? なんで、急に口開けて、なんて……」
――って、待って。口を開けろだなんだの、てこんな会話、さっきもしたような……。
その瞬間、脳裏に蘇ってきたのは、カンフーの達人のような幸祈の雄叫びで。
そういうことか――とハッとする。
なんで、このタイミングなのかは全くもって謎だけど。そういえば、冷蔵庫には変わり種入りのたこ焼きがまだ残ってるし。さっきの仕返しに、そのどれかを『あーん』しようと……?
「や……やっぱり、ちょっと怒ってるんじゃない!」
「何がだ!?」
「もお……いいわよ! それで幸祈の気が済むなら。いくらでも口開けるわよ。でも……あんまり、大きいのは入れないでよね!」
「大きいの……!? お前は、何を入れる話を――」
血相変えて声を荒らげるや、幸祈はふいにハッとして口を噤んだ。
「どうした……の?」
「あ、いや……」
私に覆いかぶさっていたその身を起こすと、幸祈はおもむろにポケットに手を伸ばす。そうして取り出したのはスマホで。ブーブーと震えるそれを見つめて、幸祈は「……母さんだ」と訝しげに呟いた。
「おばちゃん……?」と私も身体を起こす。
「なんで、わざわざ電話……」
「そういえば、ちゃんとウチに来ること伝えてあるの?」
「ああ。連絡しといたはず……だけど」
その間も、ブーブーと震え続けるスマホ。それを幸祈はなんとも言えない渋い表情でしばらく見つめ、やがて、観念したようにため息吐いた。
「悪い」と私に一瞥をくれて、幸祈は私の体から退き、「ちょっと……出てもいいか?」
「う……うん」
何事もなければいいけど――なんて思いながら見守る先で、幸祈は隣に座り直し、スマホを耳にかざした。「もしもし……なに?」なんて話し始めて、しばらくスマホに耳を傾けていた幸祈のその横顔は徐々に曇っていき、
「いや、帆波は……」となぜか怪訝そうに私を見て言った。「無事……だけど」
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