第20話 正直に【下】

 強引なくらいに……グイグイ来られるほうがいいの?


 え――?


 なんだ、それ……? 何を言い出したんだ、帆波は? キスしていいのか、ていう話をしていて……それで、そんなこと言われたら――。

 ごくりと生唾を飲み込み、「今のって……」と問いかけようとしたとき、帆波は我に返ったようにハッとして、


「あ……ちが……」とかあっと顔を赤らめ、見るからに慌てだした。「今のは、呪いで……」

「呪い……!?」

「きゃあ!? なんでもない!」

「なんでもない……のか!? 今、明らかに『呪い』って……」

「言ってないわよ、バカ! の……ノロい、て言ったのよ。あんたの反応が……ノロいって……!」


 本当……か?

 確かに、思わぬ言葉が飛び出して、一瞬、反応が遅れてしまった。ノロかった、と言われたらノロかっただろうけども。さっきの発音は間違いなく『呪い』のほうだった……よな?

 疑るように見つめる先で、すっかり赤面しながら、帆波は「ああ、もう……」と困り果てた様子で俯いた。ふにゅう……と形容しがたい気の抜けた声を漏らしたかと思えば、両手で顔を覆い、


「か……勘違い……しないでよね」ともごもごと言う。「さっきの……違う……から」

「さっきのって……」


 ――いや、訊くまでもなく、だよな。

 私、本当は強引なくらいにグイグイ来られるほうがいいの――その言葉が脳裏に蘇り……それだけで胸がざわめく。ソワソワと落ち着かなくなって、期待を抱きそうになる。身体まで……期待しそうになってしまって。たまらず、帆波から視線を逸らしていた。


「ああ、まあ……分かってるよ」


 何が分かってるんだ、と自分で言いたくなる。

 さっきの言葉の真意なんて――帆波がどういうつもりであんなことを口にしたのか、なんてさっぱり分からん。

 ただ……少なくとも、『言葉の綾』で『語弊の塊』だろうということくらいは想像がつく。続きは、これからちゃんと家でします――と公園で先輩たちに口走ってしまったときみたいに。


「心配しなくても……勘違いとかしてねぇ――」


 ごまかすように頭を掻いて、言いかけたときだった。


「幸祈だけ……だから」


 妙に冷静な声が聞こえた。

 へ……と視線を戻せば、帆波が膝を抱えながら俺を見ていた。伏せ目がちに。真っ赤な顔に緊張を滲ませて……。


「さっきの……誰にでも、てわけじゃないから。幸祈なら、ていう意味だから。――私、別に……変な趣味があるとかじゃないから。ただの……ドMだとか、思わないでよね」

「へ……」


 変な……趣味? ただのドM……?

 そんなことはこれっぽっちも思わなかった……けど。

 まさか、そこ――だったのか? 帆波が『勘違いするな』と言ってきたのは、そんなこと? じゃあ、つまり……強引なくらいにグイグイ来られるほうがいい――て言葉はそのままの意味で。で受け取っていいのか? しかも、俺限定、て……んなもん、余計に――。


「いや、お前な……」と身体の芯が熱くなるのを感じつつ、必死に平静を装って苦笑を漏らす。「そういうこと、軽はずみに言うなよな。さすがに、俺も我慢できなくなる……」

「うん。――だから……我慢しないで、て言ってる」


 まるで帆波のものではないような……遠慮がちで、それでいて、子供みたいに素直な声だった。

 心臓に疼くような痛みが走る。

 ぽんと頭から言葉が飛んだ。

 何も言えなくなって、しんと静まり返った部屋の中、帆波と見つめ合った。

 帆波は『何ジロジロ見てんのよ』とか文句を言ってくるわけでもなく、どこか不安げに揺れる瞳で俺の視線を受け止めていた。その様が甲斐甲斐しいというか、いじらしいというか。


 ああ、もうダメだ、と思った。


 そのとき、脳裏をよぎったのは兄貴の言葉で。どんな流れで何が起こるか分かったもんじゃ無い――と分かったような口で言った兄貴の声が蘇ってきて。「こういうことか……」と観念したように呟いていた。


「こういうこと、て……?」

「いや……」


 訝しげに訊ねてきた帆波に、それ以上、何か応えるわけでもなく――もう言葉を紡ぐ余裕も無くて――俺は帆波のほうへ身を乗り出した。ソファが軋む音がする。ハッとして顔を強張らせながらも、静かに瞼を閉じる帆波に、愛おしさと共に激しく掻き立てられるものを覚えつつ……俺は帆波の唇に自分のそれを重ねた。

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