第18話 確認【下】

「だ……大丈夫……?」


 おずおずと隣から遠慮がちな声がした。

 振り返れば、ソファの上で膝を抱えて座る帆波が。沈痛な面持ちで、こちらをじいっと見ている。まるで、捨てられた猫……みたいな。

 つい、苦笑が漏れる。


「大丈夫だ、て。もう気にすんなよ」


 まだ、上顎の辺りがザラザラとして……違和感は残っているが。直後のような痛みはもう無い。


「あ……アイスでも食べる? 口の中、冷やしたほうが……」

「いや、いい、て。座ってろよ」


 しばらくはヒリヒリと痛みを覚えつつも、タコ無しの変わり種ばかり詰め込んだたこ焼きを「あーではない、こーではない」と二人で品評しながら食べ続けた。その間も、帆波は何度も「大丈夫?」と訊いてきて、やたらと氷水を注いでくれて……片付けも終え、リビングに移動してからもまだこの調子。

 よっぽど、責任を感じているんだろう。


 少し、冷めてからにしてください――と俺が一言言えばいいだけの話だったのに。


 危険を承知で『あーん』に挑んだんだ。俺が悪い。

 厭ならいい、と口では言いながらも、寂しそうにしゅんとする帆波を見ていたら、奮い立つものを感じてしまった。使命感、てやつだろうか。ここで口を開けねば、彼氏オトコじゃない、と……そんな心境になっていた。

 アホだと思うが不思議と悔いは無い。


 悔いがあるとすれば……で――。


「それより、さ」じわりと顔が熱くなるのを感じつつ、俺はぼそりと切り出す。「ずっと気になってることがあるんだけど……」

「え……なに?」


 そう――容赦無く口の中にアツアツのたこ焼きをブチ込まれ、それどころじゃなくなって、すっかり訊くタイミングを逃してしまったが。あれからずっと気になっていたんだ。たこ焼きをやっている間も、常に頭の片隅にあった。あのときのこと……。あのとき、帆波が何をしようとしていたのか……。


「落ち着いてから訊きたくて、待ってたんだよな」


 改めて訊こうと思うと、なかなか気恥ずかしいものがある。

 頭を掻きながら、つい、歯切れの悪い口調になっていた。

 そんな俺に帆波は不審そうに眉を曇らせ、


「なんなのよ、もったいぶって……? はっきり言いなさいよ」


 ごもっとも……だな。

 

「じゃあ、はっきり言うわ」と意を決して言って、きっと睨めつけるように帆波を見る。「お前、さっき、キスしようとしてたのか?」

「……っ!?」


 目を剥き、声も出ない様子で固まる帆波。あんぐりと口を開け、唖然とすること数秒。その顔はみるみるうちに赤く染まっていき、まさに茹で蛸状態に。おお、今にも頭から湯気でも出るんじゃないか、というとき、


「な……なに言ってんの!? ば……バッカじゃないの!?」

 

 動揺もあらわに裏返った声を上げ、帆波はあたふたとし出した。


「いつ、私がキスなんて……!?」

「だから……さっき。『あーん』の前に……ほら、顔がすごい近くに……」

「それは……ただ、狙いを定めてただけよ! どこに口があるかをちゃんと確認しなきゃと思って……」

「俺は福笑いか何かか」

「そんなわけないでしょ!?」

「いや、知ってるよ!」


 ああ、パニクってんな。これは完璧に……クロだろう。

 ――てか、それ以外に考えられないしな。あの状況は。


 大人しく目を瞑り、『爆弾投下あーん』のときを待っていた俺だったが。いくら待ってもカウントダウンは始まらず。それどころか物音一つしなくて、さすがに不審に思った。

 どうしたんだろうか、と目を開けるや、そこにあったのは帆波の顔で。上気した顔を切なげに歪ませ、とろんとした眼差しで俺を見つめる帆波の顔がすぐ目の前にあって。その瞳に、呆気に取られる自分の顔が映りこむのが見えるようだった。


 『近い』と認識するよりも先に、まず、その光景に驚いてしまった。


 気づいたときには、「は!?」なんて声が飛び出していて……もしかして――と察したときには時すでに遅し。口の中には高熱の物体がブチ込まれていた。


 もし、あのとき……目を開けていなければ。大人しく目を瞑って待っていたら。帆波のほうから俺に――と思うと、悔しさに腹わたが煮えくり返るようだった。

 

 悔やんでも悔やみきれん。


 あのときの俺をタコ殴りしてやりたい気持ちだが。過ぎてしまったことは仕方ない。

 それよりも、今は……。


「つまり……」と照れ臭いのを誤魔化すように咳払いして、俺はちろりと帆波を横目に見ながら確認する。「キスしてもいい、てことなんだな?」

「ん……?」


 強張った表情のまま、帆波はぱちくりと眼を瞬かせた。


*すみません。サブタイトルを変更しました。

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