第15話 恋人らしいこと【上】

 体張って、とんだ恥を晒しただけだった……。

 何をやってるんだろう。

 いったい、どこから何を勘違いしてしまったのやら。さっぱり分からない。いつからだったんだろう? いつ、何をどう私は勘違いして……今夜、と思い込んじゃったの?

 恥ずかしい。とにかく、恥ずかしい。

 一人で舞い上がって、あんな格好までしちゃって……。


 思い返してみれば、幸祈……本当にすごい驚いてたな。

 

 お風呂上がりに葵特選キャミワンピを着て現れた私に、幸祈は顔を赤くしてあからさまにたじろいだ。

 いつもとは比にならないほどの露出度だったし、多少は驚かれるとは思っていたから予想の範囲内。あたふたとする彼に『手応え』さえ感じてしまったくらいだけど。

 あのときの驚きって……『なんて大人っぽい格好なんだ!』とかじゃなくて、『そんな格好でたこ焼きするする気か、こいつ!?』てことだったのよね――。


 かあっと顔が熱くなる。


 熱したプレートの上で、流し込んだ生地が徐々に固まり始めていた。それを穴の間隔に合わせて竹串で区切り、端から順にひっくり返しながら……自然とため息が漏れる。

 なんだろう。延々とたこ焼きを焼き、ひっくり返す――という単純作業が、今はやたらと堪える。淡々と続けているうちに、段々、虚しくなってくる。

 あまりに思い描いていた夜と違いすぎて……。

 てっきり、今頃、ベッドの上で、あのキャミワンピを幸祈の手で脱がされ、いろいろと恋人らしいことをするものと思っていた。期待と緊張と不安でどうにかなっちゃいそうで、鼓動だって一生分打ち鳴らす勢いだったのに。それが今や、Tシャツにパーカー羽織って、下はジャージという色気ゼロな出立ちで、幸祈と向き合いながらたこ焼きを焼いている。


 狐につままれたような……て、きっとこういうことを言うんだろうな。

 今日、初めて身を以てその意味を知った気がする。


 鼓動を無駄にした気分だ。

 八つ当たりだとは重々分かっていても、鼓動を返せ、と幸祈に文句を言ってやりたいくらいで――。


「手慣れてんな」


 出来上がったたこ焼きを皿に乗せていたときだった。ふいに幸祈が口を開いて、ハッとする。


「え……そう?」


 そういえば、ずっと会話無かったな――と応えながら気づいた。


「まあ、前に……葵ん家でしたことあるから。たこ焼きパーティ……みたいなの」


 葵のお姉さんがたこ焼きチェーン店でバイトしていたらしく、中二の夏休みだったか、葵ん家に遊びに行ったときに作ってもらったことがある。そのときにいろいろ教わったのだ。――といっても、(さすがにお姉さんには言わなかったけど)たこ焼きは特別好きというわけでも無い。自分で作る機会ももう無いだろうな、と思っていた。それがまさか、こんな形で役立つ日が来るなんて……。

 葵のお姉さんに感謝だな。葵に伝えてもらおう。もちろん、たこ焼きを始める前のは綺麗さっぱり省いて……!


「ああ、そう……だったのか。初めてじゃなかったんだな」


 たこ焼きを乗せた皿を私から受け取りながら、幸祈はぽつりと呟き、


「ごめんな――」


 さあ、次の生地……と、ボールに添えた手がはたりと止まる。

 『ごめんな』……?


「え……なんで……謝るの?」

「いや……お互いに初めてだから、楽しめるかな、とか思ってたんだけど……結局、お前に飯作らせる感じになってんな、と思って」


 生地の入ったボールを手に、私は固まった。

 あ、そういえば――と思い出していた。

 別れ際、幸祈、言ってた。自分も初めてだから、うまくいくか分からないけど……二人で楽しめればいいか、て。

 あのときは、もう勘違いしてたから。てっきり、かと思い込んでたけど……そっか、たこ焼きのことだったんだ。

 きょとんとして見つめる先で、幸祈はたこ焼きに鰹節をパラパラと乗せていた。どこかバツが悪そうな、自嘲じみた笑みを浮かべて……。


「やっぱ、俺、よく分かってないみたいだ。こういうのも……『恋人』らしくていいかな、なんて一人で盛り上がってたわ。思いつき……はダメだな。今度はちゃんとお前が楽しめるようなこと、時間かけて考えるから」


 その瞬間、かあっと熱が胸の奥からこみ上げてくるようだった。

 全然……これっぽっちも、気づいていなかった。そんな風に幸祈が思っていてくれたなんて。そんな想いのこもった『たこ焼き』だったなんて。


 恥ずかしい――と思った。


 さっきとは違う。

 あられもない姿を晒してしまったから、とか……勘違いして、赤っ恥かいたから、とか……そんなんじゃなくて。そんなくだらない理由じゃなくて。

 自分の浅はかさがとてつもなく恥ずかしくなった。


 バカだ。

 いつのまにか、私……手段と目的を履き違えてた。


 幸祈とことばかり考えてた。別に、そういう行為が全てじゃないのに。それだけが『恋人』のすることじゃないのに。

 私はただ、幸祈とずっと一緒にいたくて『恋人』になったんだ。幸祈と一緒にいられたら、それだけで私は幸せだから。こうして、幸祈と二人きりでいたくて――、こういう時間が欲しくて――、だから『恋人』になったのに。

 それなのに、私……。


 たまらず、ガタンと大きな音を立てて立ち上がっていた。


「え……どうした!?」


 ぎょっとする幸祈の問いにも答えず、私は無言でテーブルをくるりと周り、幸祈の隣の席にどかっと座ると、


「幸祈――」と幸祈に身体を向けて気合いを入れて言う。「目瞑って、口開けて!」

「は……? なんでだ……!?」

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