第12話 茹でてもタコ【下】

 バカって……なぜ、いきなり罵る!?


「何を怒ってんだ?」

「別に怒ってないわよ!」

「怒ってんだろ」

「怒ってないったら!」


 かあっと顔を真っ赤にして、ふいっとそっぽを向く帆波。

 明らかに怒っている。

 なんだ? なぜ、急に怒り出した? 髪を撫でてたときは、微睡む子猫みたいにおとなしかったのに。何がきっかけで――と思い返して、「そういえば……」と俺はぼんやりと切り出す。


「お前は、俺がなんの話をしていると思ってたんだ?」

「へ……!?」


 飛び跳ねん勢いで帆波はぎくりとして振り返った。


「な……なに……が!?」

「さっき、訊いてきただろ。『なんで、たこ焼きの話!?』って……」


 たしか、帆波が態度を急変さえたのは、その辺りからだったはず……。


「つまり、たこ焼きの話じゃない、と思ってた、てことだよな?」

「さ……さあ? なんのこと、あなた言ってるか、私、分からない」

「片言になってんぞ」

「もう……いいの! なんでもないの!」とヤケクソ気味に吐き捨て、帆波は調理台に顔を向けた。「そんなことより、さっさとやるわよ、たこ焼き! このタコ、残り全部、切ればいいの?」


 ああ――と言いそうになる……が、どうなんだ?


 


 帆波の様子は明らかになんでもなくない。

 本人はごまかしてる(つもりなのだろう)けど、何か勘違いしていたのは確実。どんな勘違いだったのかまでは分からねぇけど、俺がたこ焼きの話をしている、と思い込んでいたのは間違いない。


 ――てことは、だ。

 そもそもの『見栄』の話から、帆波は勘違いしていた、と考えるべきだよな。


 茹で蛸を見た帆波は尋常ない驚きようだったからな。俺に全部任せる、なんて言っといて、やっぱりタコを入れるのは厭だったのか、と思った。生じゃなければ大丈夫――なんてのもいつもの強がりで、俺に気を遣わせまい、と見栄を張ったのだろう、と……。

 だから、そんな必要はないのだ、と伝えただった。『タコが入っていようがいまいが、たこ焼きはたこ焼きだ』ということで落ち着いただった。しかし、もし、帆波が最初からずっと話の内容を勘違いしていたのなら……。


「結局、お前……タコ、大丈夫なのか? 苦手なら、無理して入れること無ぇからな?」


 電車の中で一度。別れ際に一度。そして……これが三度目の正直だ。

 念押しするように語調を強めて訊ねると、


「平気よ」と帆波は苦笑まじりにため息吐いて、「好き……ではないけど食べれる。生じゃなければ大丈夫――」


 その瞬間、はたりと言葉を切ったかと思いきや、帆波はハッと目を見開き、見たこともないような驚愕の表情を浮かべた。やがて、みるみるうちにその横顔はまさに茹で蛸の如く真っ赤に染まっていき、


「生って……タコのこと!?」


 突然、帆波は耳をつんざくような甲高い声を上げ、あたふたと慌て出した。


「そういうこと……!? だから……それで……」


 おろおろとしながら、ただならぬ様子でぶつくさ呟く帆波。


「帆波……? 生……がどうかしたのか? それもまさか、何か勘違い……」

「は……はあ!? してないわよ! 何言ってんの!? バッカじゃないの!?」


 ばっと振り返ると、帆波は血相変えて捲し立ててきて、


「何も勘違いしてない! 他の……ナマもののことなんて、私、何も考えてないから!」

「あ、ああ……そう、か」

 

 その鬼気迫る勢いに圧されるようにして後退る俺に、「そう!」と帆波はぐいっと詰め寄ってくる。


「勘違いしないでよね! 勘違いしてないんだから!」

「ああ……分かった、分かった」


 正直、よく分からねぇ……けど。全く、納得してねぇけど。きっと何か勘違いしてたんだろうな、と俄然、疑ってるけど。

 とりあえず、落ち着かせようと宥めつつ……ちらりと目が行ってしまうのは、帆波の胸元で。そこにぎゅっと詰まった二つのが、帆波が必死になって声を上げるたび、ぷるんぷるんと弾むのが見えてしまって……。


 会話どころじゃなくなってきてしまう――。


 今まで、緩んだ襟からその存在をチラリと垣間見ることしかなかったのに。それだけでも、俺は内心――平静を装いながらも――興奮と背徳感の荒波に揉まれ、悶え苦しんでいたというのに。今、それはまるで見せつけんばかりに露わになっていて……。その細い肩紐さえ外せば、あっけなくが目の前に曝け出されるのか、と思うと……。


 ハラハラするというか……ムラムラするというか――。


 ああ、だめだ……! と視線をそこから慌てて引き剥がす。


「とにかく……タコはもういい! 別の入れる用意しよう」


 両手を挙げ、あたふたとしてそう言ったときだった。


「幸祈……」


 ふいに帆波が顔を顰め、俺の左手をまじまじと見つめてきて、


「それ、どうしたの? 血が出てる」

「血……?」

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