第11話 茹でてもタコ【上】
「何を切ってんのよ!?」
思わず叫んだそのとき、幸祈も何か言ったような気がしたけど……全く、頭に入ってこなかった。
頭の中は大パニックで、それどころじゃなくて――。
なんで……なんで、タコ? なんで、タコ切ってんの!?
え……どういうこと? これ、どういう状況なの?
幸祈、準備しているはずじゃ……。今からするから……その準備を私の部屋でしていたんじゃ?
それなのに……いったい、幸祈は台所で何をしてるの?
均等にタコの足切って……ちゃっかり、ダイニングテーブルにたこ焼き器用意して。まるで、今からたこ焼きでもやるみたいな……。
まさか、これが『前戯』とかいうやつ――?
する前に、何か……二人で遊ぶものなの? それで、幸祈が選んだのが……たこ焼き作りってこと?
「大丈夫か、帆波?」
ふと、心配そうな声がしてハッとして振り返ると、
「顔色……悪いぞ」
「え……」
ぎくりとする。
さっきまで、確かに手応えを――私のこの一張羅に、小気味良いほどに幸祈がたじろぐ気配を――感じていたのに。顔を真っ赤にして、あたふたとしていたはずの幸祈は……もうすっかり落ち着いていた。いたって冷静――どころか、同情さえ伺えるような沈痛な面持ちで私を見つめている。
「もしかして――やっぱ、苦手……だったか?」
は? 苦手……?
「茹でてもタコ……か」
「何の……話……?」
なんで、突然、『腐っても鯛』――みたいなこと……?
「ったく……正直に言えばいいのに」呆れたようなため息吐いて、幸祈は私の頭にそっと手を置いた。「お前はなんで、いつも余計な見栄を張るんだよ」
「見栄……?」
「俺には気を遣わなくていい。カノジョなんだから。甘えてくれたら嬉しい、て言っただろ」
「ん……んん……?」
ちょっとぎこちなく、慣れない手つきで、ヨシヨシと頭を撫でてくる幸祈。心までくすぐられるようで。きゅうん……と心臓が鳴く声が聞こえてきそう。今にも舞い上がりそうなほど嬉しい――のに。何だろう……素直に喜べない。
全く腑に落ちない。
なに、これ? いったい、私は何を諭されてるの?
余計な見栄? 幸祈に……気を遣う? 甘えてくれたら嬉しい?
何のこと……? 私、いつ、見栄張った?
思い当たることといえば、この格好で。背伸びした自覚はある。パッドも……せっかく付いてたし、と思ってカップに入れちゃってるけど。でも、余計じゃない……はず。そりゃあ、パッド一枚じゃフカフカFカップには到底届かないけど、多少は何かしら埋められるくらいにはなったと思うし。幸祈に気を遣ったわけじゃなくて、カノジョとして、幸祈に喜んで欲しくてしたことで。私だって、あとでたっぷり幸祈に甘えるつもりで……これはその先行投資みたいなものであって。
とにかく――。
「か……勘違いしないでよね!」もっと撫でて、なんて思いながらも、きっと幸祈を睨め付け、「別に、見栄なんかじゃないんだから! す……少しでも、幸祈好みに、て思って……その……物足りない、と思われたら厭、だし……」
ああ……私、何言ってるんだ!? なんで、こんなこと直接本人に言わなきゃいけないのよ……!?
恥ずかしいなんてもんじゃない。ちょっと……惨めですらある。
ぼわんと顔が熱くなって、赤面していくのが自分でも分かった。そんな私を、相変わらず、愛おしそうに幸祈は見つめてくるから……たまらず、顔を隠すように俯いていた。
「帆波――」と、ふいに幸祈は呆れたようにため息吐いて、「物足りないなんて思うかよ。俺は……中身なんて気にしない。俺は帆波と一緒にやれたら、それで満足だ」
腹立たしいほど平然と……そんな甘いことを囁きながら、その手が再び、頭を撫でてくる。今度は指先に髪を絡めるようにして、するりと優しく髪を梳くように……。
それだけで、触れられてもいない背筋がぞわりと疼く。
たまらなく心地よい……のに、落ち着かない。変な感じがする。なんとも言えないもどかしさに、全身がムズムズとしてきて。身悶えしそうになるのを必死に堪えながら、「あ……そう。幸祈がそう言うなら、別に……いいけど……」とぶつくさ言うと、
「ああ。タコが入っていようがいまいが、たこ焼きはたこ焼きだよ」
冗談っぽくそう言った幸祈に、「そう……よね」と苦笑しかけ――ハッとする。
え……たこ焼き……?
「な……なんで、たこ焼き!?」
ぎょっとして顔を上げれば、「は?」と幸祈は目を丸くして、
「なんでって……たこ焼きの話だろ」
「たこ焼きの……話なの!?」
「たこ焼き以外に……なんの話があるんだ?」
「なんの話って……」
きょとんとする幸祈は、あの惚けた顔を浮かべていて。それは、『何言ってんの?』とでも言いたげな間抜け面で……。
とてつもなく、厭な予感がした。
「幸祈……」ごくりと生唾を飲み込み、おずおずと訊ねる。「たこ焼きのあとって……どうするつもり……なの?」
「たこ焼きのあと?」
すると幸祈は「ああ……」と困ったように頭を掻いた。
「そういや、何も考えてないな……」
何も……考えてない――!?
「たこ焼きのことしか頭に無かったから……その後のことまで考えてなかったわ」
参ったな、とでもいったふうにぎこちなく笑って、幸祈は実に無垢な眼差しで私を見つめ、
「帆波は……何かしたいことあるのか?」
まるで他意も含みも感じられない――その問いこそが、何よりの『答え』になった。
確信した。
なぜなのかは分からない。いつからだったのかも分からない。
でも、私の勘違いだったんだ。
本当に、幸祈の頭にはたこ焼きしかないんだ。その先は何も無い。たこ焼き食べて……今夜は終わり。幸祈に……その気なんて微塵も無い。
私だけ。私だけ、一人で先走って、こんな格好までして――。
「帆波? どうしたんだ? 他に何かしたいことあるなら言えよ」
気遣うようにそんなことを訊ねられ、いやあああ、て声にならない叫びが上がる。
「何も無いわよ、バカ!」
気づけば、泣き叫ぶようにそう声を張り上げていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます