第8話 やる気満々【下】
我慢できない、て。まさか――帆波……そんなに、腹空かせてたのか!?
しかも、色々準備してた? ずっと待ってた? そんなにもやる気満々で、楽しみにしてたのか? 俺とのたこ焼きを……?
思ってもいなかった。
電車でたこ焼きの話をしてたとき、帆波は生返事しかしてなかったから……『別にやってもいいけど』くらいなものかと思い込んでいた。
だからこそ……俺はあっけなく、たこ焼きを放棄しようとしてしまったわけで。
ああ、最低だな。
俺は二重に……帆波の気持ちを裏切ってしまったんだ――。
そりゃあ、泣かせてしまって当然だ。
キスの続きなんてする気はない――てあそこまではっきり言い切っといて、こんなシチュエーションになった途端、あっさり下心に負けて、本能を丸出しにして……。その上、帆波がここまで楽しみにしていたたこ焼きをないがしろにしようとした。俺から『たこ焼きしようぜ』と言い出しといて……。散々期待させておきながら、『気分じゃなくなった』なんて。身勝手極まりねぇよな。
帆波の言う通りだ。ちゃんと責任を取るべきだ。言い出しっぺとして、うまいたこ焼きを腹一杯、帆波に食わせてやらねぇと……。
「ごめん……帆波」
いつのまにか力強く掴んでしまっていた手首をそっと離し、身を引こうとしたときだった。
帆波がぎゅっと俺の胸倉を掴んできて、
「いい……から」と真っ赤な顔をムキになったように強張らせ、潤んだ瞳で俺を見つめて言った。「なんでも……幸祈の好きにしていいから。何入れても……今日だけは、許してあげる。それくらいは、私も責任取るから。――だから……しよ?」
「え……」
あれ――なんだ、これ?
まずい、とごくりと生唾を飲み込む。
せっかく、鎮まりかけていたのに。ゾワゾワと下心が疼き始めるのを感じた。
ただ、たこ焼きの話をしているだけなのに。
甘い香りがふわりと漂ってくるような――まさに『色香』というにふさわしいものを、帆波から感じてしまった。
蠱惑的……とでも言えばいいのか。その表情といい、声色といい、妙にハラハラとさせられるものがあって。悪戯に焦燥感を掻き立てられ、どうしようもなく惹きつけられる。
危険だ。
きっと、これは……余波に違いない。
さっき、ちらっとでもやましいことを考えてしまったから……その影響で、頭の中がエロに全振りして、五感全てにエロフィルターがかかってしまっているんだ。だから、こんなにもそこはかとなく帆波に色気を感じてしまう。帆波は、ただ純粋にたこ焼きをしたいだけなのに……。
このままじゃ、元の木阿弥だ。また劣情に呑まれてたこ焼きどころじゃなくなってしまう。また帆波の期待を裏切ることに――。
「分かった」気を引き締めて言って、胸ぐらを掴むその手を取って外させる。「じゃあ、好きなだけ入れさせてもらうからな」
集中だ。たこ焼きに集中だ。頭の中をたこ焼きで埋め尽くすんだ。
俺だって……帆波とたこ焼きするのは楽しみにしてたんだ。そういえば、二人きりでたこ焼きなんてしたことも無かったし。それはそれで、恋人っぽい……気もする。
パクッと食べるや、『やだ〜、ちょっと何入れてるのよ〜?』みたいな――そんな帆波は想像できないけど……何入れても許してくれる、て言ってるし、ブチギレされることはないのだろう。散々変わり種入れて、いろんなリアクションをさせてやろう。普段見れないような顔も見てやる。
そうだ、いいじゃないか。たこ焼き。いいじゃないか。
徐々に浮ついた気分がたこ焼き気分に変わっていくのを感じて、ようやく、身体を起こせる状態に戻った。
ほっと安堵しながら、帆波から身を離して起き上がり、
「後悔すんなよ」冗談っぽく言って――その緊迫させてしまった空気を和らげたくて――ふっと笑って見せた。「吠え面かかせてやるからな」
「ほえ……!?」
『ほえ』……?
すでに吠え面になりそうな驚愕の表情を浮かべ、帆波はがばっと身を起こし、
「な……何を入れるつもりなのよ!?」
「何をって……さっき、お前、何を入れても許す、て……」
「い……言ったわよ! 悪い!?」
「なんで、逆ギレ……」
「――もういい!」と帆波は勢いよく立ち上がり、びしっと俺の荷物を指差した。「とにかく、あんたはしっかり準備しときなさいよね。私は……お風呂、入ってくるから!」
「風呂……?」
え……一緒に準備しないのか?
きょとんとする俺をよそに、帆波はふわりと髪を揺らして身を翻し、風呂場の方へと駆けて行ってしまった。
まるで嵐でも去った後かのような。玄関には、俺とたこ焼きセットと……やたら穏やかに思える静寂が残された。
てっきり、下準備から一緒にするのかと思っていたが。
まあ……さっさと風呂に入っといたほうが楽か。その方がゆっくり、たこ焼きも楽しめるだろうし。
よし、と気持ちを切り替えるように一息吐いて、
「じゃあ……準備するか」
おもむろに立ち上がり、たこ焼き器と具材の入ったエコバッグを手にリビングへの扉に向かう。もう二度と変な気は起こすまい、と覚悟を新たにしながら。俺が今夜、膨らませるのはたこ焼きだけだ――と自分に何度も言い聞かせて。
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