第7話 やる気満々【上】

 なに? なに、この状況? なんで、急にこんなことに?

 右手は頭の上で幸祈に押さえつけられ、まるで組み敷かれるような体勢で、私は幸祈の下敷きになっていた。

 きっかけは、この……絆創膏。なぜかは知らないけど、幸祈がやたらとムキになって、これを奪い返そうと飛びかかってきて……あれよという間に、こんな体勢に。


 ただの事故……だったはず。


 それなのに、幸祈はいつまでも退こうとしなくて。慌てふためくわけでもなく、私に覆いかぶさったまま身動き一つ取らない。呆気に取られているだけか、と思えば、その表情はゾクリとするほど真剣で。私を見下ろす眼には、どんどんと熱っぽいものが宿っていくのが分かって――。

 かあっと顔が熱くなって、たまらず、視線を逸らしていた。


 なに、この空気? 幸祈、どうしちゃったの?

 何か言ってよ。黙り込まないでよ。

 こんな格好でそんなに見つめられたら……。


 じわじわと全身に熱が染み渡っていくのを感じる。心臓が激しく波打ち、荒々しくなる自分の息遣いがやたらと耳について……恥ずかしくてたまらない。


 まさか……なんて思い始めていた。

 まさか、幸祈……このまま、つもりじゃ――?


 こんな始まり方ある!?

 『その場の勢い』ってやつ? でも、勢い良すぎない!?

 玄関入って数分よ? そんなすぐに、始まっちゃうものなの? いくら、他に誰もいないとはいえ……こんなのいいの? 玄関だよ? 床だよ? せめて、部屋に入ろうよ!? そもそも、私、まだお風呂も入ってない……!


「ごめん、帆波……」


 ふいに、苦しげな声が落ちてきて、ハッとする。


「やっぱ、俺……ダメだ」


 ダメ……? ダメって……何が?

 おずおずと視線を戻せば、さっきよりもずっと熱っぽい眼差しで幸祈が私を見下ろしていた。

 はぐううう……と胸を突き刺されるような衝撃に悶える。


 私の方こそ、もうダメぇ……!

 

 このただならない雰囲気。緊張の滲んだ顔つき。今にも爆ぜそうな……揺らめく炎をその奥に宿したような瞳。

 確信した。幸祈は本気だ。本気で、ここでこのまま……。

 ええいままよ。

 どうせ、お互い、するつもりでいたんだ。予定通り……でしょ。どこだって一緒……じゃ無い気もするけど。もう限界だ。これ以上、このままでいたら……私、どうにかなっちゃいそう。体の奥に火種でも植えつけられてしまったみたい。そこがウズウズとして仕方ない。いっそのこと、早くトドメでもなんでも刺して――て胸の中で叫んだ、そのときだった。


「我ながら情けねぇわ。こんなあっさり、気が変わるなんて……」と幸祈は自嘲じみた笑みを浮かべ、ぼそりと低い声で言った。「でも――こんなお前、見てたら……無理だわ」

「へ……」

 

 情けない? 気が……変わった? 無理?

 なに? 急に、幸祈は何を言い出したの?

 『こんなお前』って、どんな私――と眉根を寄せ……すぐに、ハッとする。


 もしかして……と息を呑んだ。

 もしかして、私……また!?


 そういえば、私、ずっとあたふたしちゃってた。虚勢を張る努力すら忘れ、動揺のままに取り乱してた。だから……? だから、怖がってる、て思われた……!?

 幸祈……またする気――!?


「な……なに……言ってんのよ。気が変わった、て……そんないきなり……」しどろもどろになりながらも慌てて言って、ちらりと彼の大荷物を見やる。「だって、幸祈……あんなにたくさん……用意してきた……んじゃない。せっかく、持ってきたのに……いいの? やる気……満々……だったんじゃ……」

「ああ……」と幸祈も『本格的なオトナのオモチャ』を一瞥し、「さっきまでは、そう……だったけど。今はもう、そういう気分になれそうに無ぇわ」


 そんな……と言葉を失くした。

 こんな格好で……人に覆いかぶさって、手まで押さえつけといて言うセリフ? こんなにこっちをその気にさせといて……散々、焦らしといて……やっぱり気が変わった、て……そんなのアリ!?

 緊張やら不安やら……必死に抑え込んでいたものがぶわっと溢れ出てくるようだった。

 徐々に幸祈の顔がうるうると歪んでいって、ひっぐ、と思いっきり嗚咽が漏れた。


「こ……幸祈の……バカぁ」

「え……!?」

「私だって……やる気満々だったんだから!」とその惚け顔をきっと睨みつけ、ヤケになったように言い放った。「イロイロ、私も準備してたの! ずっと……ずっと、待ってたの。私がもう我慢できないの! ここまで期待させといて――ちゃんと……責任取りなさいよ!」

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