第4話 準備【下】
「本当に……大丈夫か?」
玄関で靴を履いていると、背後から訝しげな声がした。
「しつこいな」とため息交じりに吐き捨て、振り返る。「何をそんなに気にしてんだよ? 兄貴には関係ねぇだろ」
「いやぁ、関係あるよね?」
眼鏡の奥で訝しげに眼を細め、兄貴がジト目で見つめる先には、床に置かれた大きな紙袋が。
「――それ、俺のたこ焼き器だから」
ギクリとする。
確かに……この紙袋の中には、兄貴から借りた新品のたこ焼き器がまだ箱に梱包された状態で入っている。大学の先輩(卒業済み)の結婚式の二次会で行われたビンゴでうっかり当たってしまったらしい。へべれけになりながら、重そうに持ち帰って来て、『たこ焼きって……!』と玄関で一人でツッコンでいた姿は記憶に新しい……。
「なんだよ? こんなの当たっても仕方ねぇわ、て愚痴ってたじゃん」
「ああ……うん。別に、たこ焼き器が惜しくなったわけじゃないよ。好きに使ってくれていいんだけどさ」
「じゃあ、なんなんだよ?」
「帆波ちゃんだよ――」悩ましげに苦笑して、兄貴は腕を組んだ。「本当に、大丈夫なのか? ちゃんと『たこ焼きする』って伝えてあんの?」
「当たり前だろ。勝手にこんなの持って行かねぇよ。帰りの電車で、兄貴がビンゴでたこ焼き器当てた、て話になって、その流れで夕飯はたこ焼きやろう、てことになったんだよ」
まあ、帆波はずっとぼうっとしてて……『んー』とか『そうね』くらいしか返事しなかったけど。でも、さっき、別れ際に確認もしといたし、大丈夫……だよな。
「んー、でもなぁ……」と表情を曇らせ、兄貴は疑るように見つめてくる。「帆波ちゃんって海鮮類、全般ダメじゃなかった? タコなんて見せたら、フラれんじゃ無いの?」
「なんでだよ?」
タコでフラれてたまるか。
「ちゃんと確認したよ。生じゃなきゃいい、て言ってた。どうせ、入れるなら茹でダコだし、問題ないだろ」とわざとキツイ口調で返し、「それに……」と肩に提げた母親愛用のどデカイエコバッグをちらりと見る。「一応、タコ以外に入れられそうなものも適当に持って行くし。チーズとか、チョコとか……。俺のならなんでもいい――みたいなこと言ってたから、ウチにある食材かき集めて……」
「ふーん……」
どこか半信半疑な様子で「まあ、いいけど」と投げやりに呟き、兄貴は「で?」とへらっと気の抜けた笑みを浮かべた。
「ゴムもちゃんと持った?」
「ゴ……!?」
ぎょっとして、「何言い出すんだよ!?」と思わずがなり立てていた。
「だから……いちいち、照れるのやめてくれる? もう、俺もいい歳なのよ。そういうノリ、キツイんだから」
「照れてねぇって……!」
「じゃあ、持ってんだな?」
冷静に訊ねられ、うっ……とたじろぐ。
たまらず、目を逸らし、
「持ってねぇ……けど」
「――そんな気がしたわ」と兄貴は呆れたようにため息吐く。「俺の言葉、何一つ届いてなかったのな」
「いや、兄貴が言いたいことは分かったし、その通りだと思ってるけど……ただ、今夜はマジでそういうことにはならねぇから。持ってるのも後ろめたい、ていうか……」
「帆波ちゃんにその気は無い――んだっけ? 何を根拠にそんなこと言ってんだか」
「それは、帆波がはっきりそう言ってきたから……」
「俺からすると、帆波ちゃんにはその気しか無いように思えるんだけどね」
「は……?」
その気しか……無い?
「いつも、あんな格好して来て……こっちは目のやり場に困って大変だったのよ」
ぶつくさぼやくと、兄貴はポケットに手を突っ込み、
「お前に会うだけで、体も頭もめちゃくちゃになっちゃう――らしいから、お前にその気がないんだとしても、持ってっときなさい」
何を言ってんだ? と訝しげに見つめる先で、兄貴はポケットから出した『何か』を「ほい」とたこ焼き器が入った紙袋に放り投げた。
「な……何入れたんだよ!?」
「単品」
「何の……!?」
って、訊かなくても分かるけど!
「そんなとこに入れんなよ!?」と慌てて、紙袋を引っ張り寄せる。「てか、なんで兄貴はそんなに持ち歩いてんだよ!?」
歩く卑猥な四次元ポケットか!?
「失礼な。持ち歩いてるわけじゃないからね。こんなことだろうと思って、一応、気を利かせてポケットに忍ばせといたの。備えあればなんとやらだね、ほんと……」
どんだけお見通しなんだよ……? ってか、さすがにお節介すぎじゃね!?
紙袋の中から、その『単品』を何とか見つけて取り出し――まさか、玄関に置いて行くわけにもいかず――とりあえず、ジャージのポケットに突っ込み、
「てかさ……」と、ギロリと兄貴を睨みつける。「なんで、今日に限って、そんなに首突っ込んでくんだよ? 前に、帆波のことは自分でなんとかしろ、て言ってただろ」
「言った、言った。でも、それはそれ、これはこれ――な。こればっかりは、お前じゃなんとかできなさそうだから口出してんの。実際、何も用意してなかったんだろ」
「それは……」
言葉に詰まる。
情けない……が、ぐうの音も出ねぇ。
確かに、兄貴に渡されなかったら……いつ、手に入れていたことか、分かったもんじゃない。
「惚れた腫れたに関わる気はないけど……こればっかりは、帆波ちゃんの体に関わることだからね。放っとけないのよ」
悩ましげに苦笑して、「それに……」と兄貴は腕を組む。
「俺にとっては、二人ともまだ幼稚園生のままだからな。危なっかしいというか……ハラハラしちゃう」
「なんだよ、それ?」
幼稚園生って……どんだけだよ。
揶揄ってんだか、本気なんだか、分かんねぇけど。いちいち、余計なこと言うよな――とムッとしかけた、そのときだった。
ハッとふいに思い出す。
「あ……!」と思わず、大声を上げていた。「そういえば、兄貴……帆波に俺のことを『雑巾扱い』してる、て言っただろ!? なんで、そんな余計なこと、帆波に言ったんだよ!?」
「へ」と兄貴は惚けた声を出して、目を丸くした。「なに、それ……?」
「こっちのセリフだよ。『雑巾扱い』ってなんだよ!?」
「いや、それこそ、こっちのセリフなんだけど。『雑巾扱い』ってなに? そんな扱いされてたの?」
「さ……されてないけど……」
あれ……なんだ、この反応?
なんで、兄貴が訊き返してくんの? しかも、若干引き気味に……。
「兄貴……じゃねぇの?」
おずおずと訊ねると、兄貴は渋面浮かべて肩を竦めた。
「なんで、俺が帆波ちゃんにそんなこと言うの? 成り行きで、ちらっと忠告はしたことあるけど。お前の扱いについては何も言ってないし、そもそも『雑巾扱い』の意味も分からない」
「まじ……か」
ぽかんとして惚けてしまった。
てことは……どういうことだ?
兄貴じゃないなら、誰だ? 帆波はいったい、誰に俺を『雑巾扱い』してる、なんて言われたんだ?
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