第3話 準備【上】

 どうしよう――。

 手が震える。ドキドキと早まる鼓動が収まらない。

 とうとう……来てしまった。この夜が。

 思ってたよりずっと早い……けど。でも、ようやく――とも感じる。


 ベッドの端に座りながら、瞼を閉じてすうっと息を吸い込む。 


 ここまで来たら、あとはもう流れに……幸祈に身を任せるだけだ。

 正直、何をすればいいのかはよく分からない。保健の授業で習ったのは、ざっくりとした『仕組み』だけ。葵の『報告』というか……『体験談』というか……そういう話を聞くことはあっても、恥ずかしくて詳しいことまでは訊けなかった。

 訊いておけば良かった、とも思うけど。あとの祭り……だよね。

 今、私が分かっているのは、最後に何をされるのか――てことくらいで……。


 結局、お前、生じゃなきゃ入れてもいいんだよな――そんな落ち着き払った幸祈の声が脳裏に蘇って、ハッと目を見開く。


 心臓がたちまち、焼けるように熱くなって、かあっと顔が赤くなるのが分かった。

 もう……本当に……なんなのよ!? ――て、胸の中で悪態づいて、ぎゅっと膝の上で拳を握り締める。

 

「なんで……あんな……冷静なわけ……?」


 幸祈だって、初めてなんでしょ? どうして、平然としていられるの? こっちはもう……既に恥ずかしすぎて、頭も身体もおかしくなりそうなのに! 男の子ってそういうもんなの!? 、てなったら腹括れちゃうの? 保健の授業でそういう訓練も受けてたの?


「ああ、もお……どうしよう!?」


 両手で顔を覆って、ゴロンと仰向けにベッドに倒れる。

 私だけ、あたふたしちゃいそう……。変なこと……言わないといいけど。


 私、ちゃんとできるかな――。


 やっぱり、不安は不安だ。考えるだけで緊張で全身が強張る。

 でも……。

 あれだけ、幸祈は落ち着いているんだ。腹立たしいくらい……だけど、やっぱり頼もしい。任せよう、て思える。任せて大丈夫、て思える。


 第一、相手は幸祈なんだから。

 幸祈ならいい、て……ずっと思ってきたんだから。

 何も怖いことなんてない。


 両手を顔から離し、じっと天井を見上げる。もう何度目とも知れない深呼吸をして、ゆっくりと身体を起こす。


 私もいい加減、腹を括らなきゃ。

 いつ、幸祈が準備を済ませて戻って来るか分からないんだし。

 私は私で準備しておかないと。きっと、ここで……するんだろうから――。


 まずは……ときりっと顔を引き締め、枕元に振り返る。睨みつける先には、なんとも緊張感のない笑みを浮かべるが。三角形の輪郭に、丸みを帯びた身体。白いマントにカラシ色のコスチュームを着た、正義の味方……で、今や私の天敵。


「もう……邪魔しないでよね」


 ジト目で睨め付けつつ、私はそれを手に取った。

 昔はよく抱き締めて寝ていた。幸祈の家で、このハンペンマンを抱き締めて……幸祈と一緒に布団に潜って寝た。ハンペンマンのぬくもりを胸に感じ、幸祈と手だけ繋がって――それだけで、落ち着いた。


 でも、それも……子供の頃の話で。

 

 幸祈とお手手繋いでねんね――なんて歳じゃ無い。もうそういう関係じゃんだ。

 そんなときに――幸祈とこれから、てときに――この子が枕元に居たんじゃ、落ち着かないったら無い。


「だから……大人しく隠れてて」


 小面憎くも、哀愁を覚えるその顔に苦笑を漏らしつつ、私はハンペンマンをクローゼットの奥深くに封じ込めた。

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