お泊まり編

五章

第1話 幸祈のがいい【上】

「とりあえず……ウチで風呂入って、いろいろ準備してくるから」


 そろそろ、ウチが見えてきた頃。街灯が照らす暗い路地を、二人で手を繋いで歩きながら、幸祈はおもむろにそう切り出した。

 お風呂……? 準備……!?

 あまりに生々しい単語に、あからさまにぎくりとして振り返ると、


「なんだよ、その顔?」と幸祈はふっと苦笑する。「ほんと様子変だぞ。やっぱ、疲れてんのか? いろいろあったし……」


 はあ!? 何言ってんのよ!? ――て言葉が飛び出しそうになる。

 様子が変で当然でしょ。いろいろあるんだから、……!


「べ、別に……」


 唇を尖らせ、ぼそっと言ってそっぽを向く。


 腹立たしいというか、もどかしいというか……!


 逆だから! なんで、そんなにいつも通りなのよ!?

 公園からの道のりも、電車の中でも、駅からここまでも……ずっと落ち着き払って、私だけ緊張してて。

 今から……するんでしょ? 私の気が済むまで突いててやる、てあんなにはっきり宣言して――。

 思い出すだけで、顔がかあっと熱くなって、きゃあ、て悲鳴を上げそうになる。

 まさかのまさかだった。まさか……幸祈がそんなにもやる気満々になるなんて。


 そんなこと、これっぽっちも期待してねぇよ――とか偉そうに言ってたくせに。

 なによ……て、口許が勝手に緩む。幸祈だって、私に……私の身体に興味あったんじゃない。


 どんな顔するのかな、なんて考えちゃう。さすがにその時になったら、こんな平然としてない……よね? 恥ずかしそうにするのかな? それとも、珍しく必死になったりしちゃう? 

 あの……いつも呆れ顔で、冷たいくらいに理性的だった幸祈が。どれほど私がだらしない格好しようと、鼻の下を一ミリたりとも伸ばすこと無く、眉間に皺ばかり刻んでいた幸祈が。どんな顔で私のこと――て想像するだけで胸の奥が疼く。

 こっそり盗み見るように隣に視線をやれば、


「お前……俺の話、聞いてんの?」

「ひや……!?」


 がっつり幸祈と目が合った――。

 え? え……!? いつから? いつから、こっち見てたの!? まさか、ニヤけてるのも見られてた!?


「は……はあ!? なによ? ちゃんと聞いてるわよ!?」

「ほんとかよ?」と見慣れた呆れ顔を浮かべ、幸祈はジト目で見てくる。「お前、ずっと上の空だぞ。電車の中でもぼうっとしてて、何言っても生返事だし……なんも聞いてなかっただろ」

「そんなことないわよ!?」

 

 そんなことあるに決まってるでしょ――!

 だって……だって……電車の中、混んでたし。自然と距離が近くなって……『もっとこっち寄れ』とか言って、さりげなく腰に手を回してくるから。人混みに揉まれているうちに、だんだん、身体も密着しちゃって。そんな状態で――耳元に囁くようにして――試験のこととか、広幸さんが先輩の結婚式の二次会でビンゴ当てたとか……そんな世間話されても、内容なんてそっちのけになっちゃうわよ。全然、違うこと考えちゃってたわよ! 生返事できただけでも褒めて!


「そんなこと……なかったんだな? なら、いいけど」


 何やら含みを持たせて言って、幸祈は立ち止まった。私もつられたように立ち止まる。

 ちょうど、ウチの門の前に着いたところだった。


「じゃ、またあとでな」

「う……うん。また……ね」


 いつもの挨拶――なのに。それさえも、今夜は思わせぶりな感じがして、緊張がこみ上げてくる。つい、視線を逸らしてしまった。


 するりと手を離すと、その手だけやけに肌寒く感じて、たちまち、心細くなる。


 私、本当に幸祈に触るの好きなんだな、て思い知るようで。

 こんなんで……身体まで繋がって、その感覚を知っちゃったら、私、どうなっちゃうんだろう? 怖いような……待ちきれないような……言い知れない昂りを鳩尾の奥に覚えた。

 そのときだった。


「ああ、そういえば」と二、三歩進んでから、幸祈が思い出したように振り返った。「結局、お前、生じゃなきゃ入れてもいいんだよな?」

「へ……?」


 ハッと目を見開き、私は固まった。

 な……なに? なんの質問? いきなり、なんの確認してきたの!?


 いや――考えるまでも無く。

 もしかしなくても……話!?


 え……待って。ちょっと……待って!? 結局――て、どういうこと? まさか……その話、もうすでにしたの? 私、ぼうってしている間に……そんな話にまで生返事で返してた!?

 嘘でしょ。そんなこと……ある? いつ? いつ、したの!?

 どうしよう? そりゃあ……いい、けど……そのつもりだったけど……直接、こんな風に訊かれちゃうと……。


「え……あ……それは……」


 どぎまぎとして、視線を泳がせていると、


「無理しなくていいからな」と気遣うように優しく言う声が聞こえて、「何か別の入れてもいいし」


 別の……!?


「は!? 別のって……他に、何があるのよ!?」

「まあ、いろいろあるけど……」


 いろいろあるの!?

 知らない。そんなの、私、葵からも聞いてない……!


「へ……変なの入れないでよね!?」と動揺のままに声を荒らげ、「私は幸祈のがいい――って、何言わせるのよ、バカ!」

「バカ!?」

「もうなんでもいい! 幸祈に全部任せる! 幸祈のこと信じてるから……好きにすれば!?」


 わあっと一気に言い切って、ふいっと顔を背ける。

 ああ、もお……無理。

 なんてことを言っちゃってるんだ。家の前で。こんな大声で。

 顔、熱い。頭、爆発しそう。


「ああ……そう。じゃあ、そうするわ」


 どこか困惑気味に答えてから、幸祈は一つ間を置いて、


「俺も初めてだから、うまくいくか分かんねぇけど。ま、二人で楽しめればいいよな」


 はうにゃあああ……!? と声にならない叫びが上がる。

 なんなのよ、これ? どうしろっていうのよ!? もう耐えられない! これ以上は、ほんと無理! まさか、これが……葵の言ってた『言葉責め』ってやつ――!?


 恥ずかしさに悶絶寸前で。全身から湯気が出そうになりながら、私はそっぽを向きつつ「そう……ね」となんとか声を絞り出した。

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