第15話 誰もいないんだけど【上】
公園から駅前の大通りへと抜ける狭い路地。つい一時間ほど前に幸祈と手を繋いで歩いたその路は人気も無く、静まり返って、どことなく怪談めいた不気味な雰囲気が漂っている。いつもなら、通るのに物怖じしていたところだっただろうけど。でも、今はそれどころじゃなくて。私は逃げるように、その暗がりを足早に突き進んでいた。
心臓がまだ激しい鼓動を打ち鳴らしている。
まざまざと何度となく脳裏に浮かび上がってくるのは、幸祈の先輩たちの呆気に取られた顔で……。
――続きは、これからちゃんと家でします!
その言葉を思い出すだけで、顔がぼっと燃え上がりそうになって、きゃあああ……て悲鳴を上げそうになる。
もうイヤ……もうムリ……!
別れ際、二人とも「よかったら、練習見に来てね」なんて全く気にしていないふうに言ってくれたけど。
絶対、ふしだらなカノジョだって思われてる――!
きっと、今頃、公園で『藤代くんのカノジョ、やる気満々だったね』とか言われてる。
違うのに。違うのに……!
ただ、私は……二度と公共の場で淫らなことはしない、て――、所構わずイチャついたりしない、て――、今後はちゃんと気をつけます、て――、そう伝えたかっただけなのに。あれじゃあ、まるで……今から家でキスの続きをします、てあけっぴろげに宣言したみたいじゃない!?
ああ……ほんと、あり得ない……! 私、全然、そんなつもりじゃないんだからぁ……!
『これから』っていうのは、今すぐってわけじゃなくて。もっと長いスパンでの話であって。将来的な……ずっと先を見据えた話で。ただの言葉の綾。私は別に、やる気満々ってわけじゃ――。
ふと、思考が止まり、さっきの出来事が脳裏をよぎる。
幸祈との……二度目のキス。ゆっくりがいい――ておねだりして貰った、熱っぽいキス。激しく急くようなその口付けに、求められてる、て実感がした。自分の中の何かが溶かされていくようで。頭がぼうってして、一瞬、我を忘れそうになって……もっと――て何か言いかけた。
いったい、何を――て思い出そうとすると、身体の奥で疼くものがあって……。
「――おい、帆波!」
突然、そんな鋭い声が背後から飛んできて、ハッと我に返る。
振り返ろうとする間もなく、ぐっと腕を後ろから掴まれて、思いっきり引っ張られた。
「え……きゃ……!?」
その勢いに足がもつれ、そのまま、私は引っ張られたほうに――幸祈の胸の中に倒れかかるようにして飛び込んでいた。
ドクン、て心臓が馬鹿正直に飛び跳ねる。
固い胸板を頰に感じた。いつのまに、こんなに逞しくなっていたんだろう。私と全然違う。男の子の体なんだ――なんて……ぼうっと考えてる場合じゃなくて!
「な……何、急に……!?」
慌てて離れようとすると、幸祈は私の背中をぎゅっと抱き締めてきて、
「――じっとしてろ」
じ……じっとしてろ!?
何? なんなの? どういうつもり!? さっき、先輩たちに注意されたばっかりだっていうのに……。なんで、いきなり、こんな路中で? しかも、そんな強引に……。ダメ……。本当に……困る。だって、私、多分……こういうの、厭じゃない――。
きゅうって鳩尾の奥が切なくなるほどに締め付けられて、
「や……やっぱり、ダメ……幸祈! こんなところで、こんなことされたら、私、また……」
ぐっとその胸板に手を押し当て、幸祈を引き剥がそうとしたときだった。
シャーッと勢いよく何かが通り過ぎるのを背中に感じた。まるで疾風でも掠めていったかのようだった。
ぎょっとして振り返れば、チリリン、と音を鳴らして暗がりの中に消えていく無灯火の自転車の姿が。
「え……」
「『え』じゃねぇよ」とようやく私の身体を離して、幸祈がペンと私の頭をキャップの上から優しく叩いた。「こんなところで……てな、こっちのセリフなんだよ。
「は……はあ!? なによ、偉そうに! 誰が路の真ん中なんて――」
振り返って、威勢良く言い返そうとした言葉がはたりと途切れる。
私だ。
ついさっきまで、私、確かに……ど真ん中を歩いていた。
恥ずかしさのあまり、とにかく公園から――先輩たちから離れたくて。私は脇目も振らず、夢中で駅へと向かっていた。それこそ、路の真ん中を歩いていたことにも、後ろから自転車が近づいてくることにも気づかないほどに……。
この狭い路地だ。相手は無灯火だったし。幸祈が道端に私を
そっか、助けて……くれたんだ。勢い余って――というか、私が勝手にバランスを崩したせいで――抱き合う格好になってしまっただけで……。それなのに、私は一人で変な想像を……。
かあっと顔が熱くなって、たまらず、ふいっとそっぽを向いていた。
「れ……礼を言うわ」
ぼそっと言うと、「いや、言ってねぇけどな」と幸祈が呆れ気味に呟いて、
「ったく……。ズカズカ一人で勝手に先、行っちまうし、何度呼んでもガン無視だし……よっぽど、気にしてんのか? さっきのアレ」
アレって、何のことかしら――!?
「な……なに言ってんの!? バッカじゃないの!?」と私は勢いよく振り返り、「勘違いしないでよね!? アレは……ただの言葉の綾だから! 別に、今すぐあんたと家でさっきの続きをしたい、なんて、これっぽっちも思ってないから!?」
必死に捲し立てるように訴える私を、まるであざ笑うかのように、幸祈はいたって冷静に「はいはい」と軽くあしらい、
「分かってるよ。先輩たちも本気にしてねぇだろうし……俺もそんなこと、これっぽっちも期待してねぇよ」
え……そうなの?
「だから」と幸祈は私に手を差し伸べてきて、見たこともないような……はにかんだ笑みを浮かべた。「手ぐらい……繋ごうぜ」
「な……」
ぎゅっと心臓が鷲掴みにされる。
鶴の一声……とはちょっと違うか。会心の……一撃? とにかく、もう……いちころだ。
なによ――て、負け惜しみみたいな言葉が口から溢れそうになる。
なによ、そのぎこちない言い方。そんなに照れて言われたら……こっちまで照れるじゃない。
「か……勝手にすれば……?」
俯き、ぼそっと言いながら……ちょんと指先でその手に触れるようにする。すると、「じゃあ、そうするわ」と幸祈はやっぱり照れ臭そうに言って、私の手に自分のそれを――固くて骨ばった、その逞しい手を――絡め合わせてきた。
それだけで、わあ……って慌てふためく自分がいる。
キスもしたのに。もう二回もしたのに。ぎゅっと繋がるその手に、未だにきゃあきゃあと子供みたいにはしゃいでしまいそうになる。もし……心の声が聞こえてしまったら、幸祈は呆れるかな。さすがに、『うるさい』って思われちゃうかな。
静まり返った路地を幸祈と手を繋いで歩きながら、ちらりとその横顔を盗み見る。
さっきまでは、確かに照れてたはずなのに。今や、すっかり落ち着いた面持ち。そうやって、当然のように私の手を繋いでくれるから……。
ああ、幸せだ――て唐突に感じる。
私、幸祈の『カノジョ』になれたんだ――なんて実感が、今さらじんわりこみ上げてきて。たまらなく嬉しくて、幸せで……。もっと味わいたい、なんてワガママな気持ちが芽生えてくる。
手も繋いで、ハグもして、キスまでして。こんなにも幸祈を独り占めできて……それでもまだ物足りないなんて。自分でも戸惑う……けど。
俺もそんなこと、これっぽっちも期待してねぇよ――さらりとそう言い放った幸祈の言葉が脳裏をよぎり、ずきりと胸が痛む。ずきりと胸が痛むから……自覚せざるを得なかった。
私は期待してるんだ。本当は、幸祈と続きを……キスの先までしてみたい、て心のどこかで思ってる。今すぐにでも、て……。
思わず、幸祈の手を握る手にぎゅっと力が入った。
「ん――?」と幸祈のその横顔がぴくりとして、「どうかしたのか?」
視線が交わるだけで……体の中に熱が灯る。
もっと――て、あのとき言いかけた言葉が、また胸の奥から湧き上がってくる。
「あの……さ」気づけば、私はおずおずと口を開いていた。「ウチ……明後日まで、誰もいないんだけど」
「は……?」
幸祈は惚けた表情を浮かべ、ぴたりと足を止めた。
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