第9話 誤解【上】

 変質者って……私が? 私を……変質者だと思ったわけ? だから……二人で交番? あんなにくっつき合ってたのも、まさか変質者わたしに怯えていたから?


 そんなこと……ある?


 信じがたい――けど。言い訳にしてはお粗末すぎて。嘘にしてはオリジナリティに富みすぎている。

 つまり……真実ほんと


「全部誤解だ」と幸祈はなおも力強く言って、「別に、二人でやましいところに行こうとしていたわけじゃない」

「そう、誤解よ」と佐田さんも念を押すように続く。「坂北さんが心配するようなことは何も無いわ。あわよくば、二人が喧嘩している隙に藤代くんに近づこうかとも思ったけど、ついさっき、『もう連絡するな』ってにべもなくフラれてしまったし」


 ああ、そっか。なんだ、全部誤解――じゃないんだけど!?

 佐田さん……今、何て言ったの? 喧嘩している隙に幸祈に近づく? ついさっき、フラれた? それって、間違いなく……やっぱり、佐田さん、下心ありまくりじゃない!?

 しかも、フラれたってことは……告ったの? もう幸祈に告って、それですでにフラれた?

 脳裏をよぎったのは、さっきの光景で――駅前で何やら話し込んでいた二人の姿がまざまざと頭の中に浮かび上がってきた。向かい合って深刻そうに話してた。その場を離れようとする佐田さんの腕を掴んで引き止めてまで、幸祈は何かを佐田さんに話してた。

 まさか、あのとき……? あのとき、幸祈、佐田さんをフッてたの? 『もう連絡するな』なんて佐田さんに言ってたの? そんな冷たく突き放すようなことを、幸祈が――?

 胸が熱くなって、きゅうっと締め付けられた。

 居ても立ってもいられず、ばっと顔を上げれば、幸祈は佐田さんを見ていた。茫然として、ぽかんと口を開けて。「へ……」て惚けた声が聞こえてきそうな間抜け面。


 あれ――て息を呑む。


 見覚えがあった。

 その顔を私はよく知ってる。厭になる程、見てきた。いつも忌々しく睨みつけてきた。「え、何言ってんの?」とでも言いたげな小憎たらしい鈍感バカのそれ。

 視界の端では、どこか呆れたように幸祈を見つめる佐田さんがいて……厭な予感が確かなものへと変わっていく。


 幸祈、もしかして……と、疑るようにその横顔を見つめた。

 ――もしかして、気づいてなかった? 告られた、て気付かずフッたんじゃ……?


 あり得ないようなことだけど。幸祈ならあり得ると思えてしまう。

 だって、もう何年、私がこの人に片思いしてきたと思ってる? どれほど彼が鈍感なのか、私が誰よりも知っている。散々、味わって来た。中学時代なんて、私の気持ちはもはや『周知の事実』で『暗黙の了解』だったのに。そんなあからさまな好意にさえ、幸祈は微塵も気づくことも無くて、微動だにしなかったんだ。

 だから――。


「それじゃあ……私はお邪魔だろうし行くわ」


 ため息交じりに言って、佐田さんは「あとは二人でごゆっくり」と私にちらりと一瞥をくれて踵を返した。


「え……? いや、ちょっと……佐田さん……!?」


 ぱっと私の肩から手を離し、幸祈も慌てて身を翻す。


「フッた、てなんの話……」

「もし、気が変わるようなことがあれば連絡してね、藤代くん」


 困惑もあらわに訊ねる幸祈の声も虚しく、佐田さんは意味深な言葉だけ残し、駅へと去って行く。

 幸祈は言葉も出ない様子で茫然と佇み、しばらく佐田さんの背中を見送ってから、


「あ……帆波!」ハッと我に返ったように私に身体を向き直した。「違うからな!? 今のは……たぶん、誤解? いや……冗談? とにかく、佐田さんとそういう話になった覚えは無くて……」

「うん。――


 涙、止まったのに。まだ声が震える。舌足らずな感じになりつつも、ぽつりとそう言うと、「へ」と幸祈はをした。

 ああ、もう……。またか、て何度も呆れて見上げてたのに。早く気付け、バカ――ていつも心の中で怒鳴りつけてたのに。今はそんな顔も愛おしい。

 

「フッた覚えは無くても……『もう連絡するな』とは言ったんだよね?」

「あ……ああ」と幸祈は困惑気味に頭を掻いた。「なんで、お前のこと怒らせたか、分からなかったから……とにかく、佐田さんと連絡を取らないほうがいいのかと思って。さっき事情を話して、これからは連絡しないでほしい、て頼んだんだ」

「そっか……」


 顔が綻ぶ。口許が緩む。

 ああ、サイテイだ……。

 佐田さんだって、幸祈のことが好きだったのに。いつからかは知らないけど……そんなの関係ない。好きな人に『連絡しないでほしい』なんて言われたら、きっとつらい。それなのに……あからさまにホッとしてしまう。ホッとしながら自分が大嘘つきだ、て思い知る。

 無理だ。私には絶対に無理。三人で仲良く――なんて、私にできるはずもなかったんだ。

 どれだけ必死だったんだろう。できもしないことをあんな大声で泣き叫んで……。

 きゅっと唇を引き結ぶ。

 バカだ。ほんと……バカだな、私――。

 涙腺がおかしくなってしまったんだろうか。またじわりと視界が歪み始めて、幸祈が「げ!」とでも言いたげに顔を思いっきり引きつらせた。

 

「すまん、帆波!」と咄嗟に幸祈は頭を下げ、「そもそもは……俺の知識不足が元凶というか……初デートはどこがいいのか、とか……女の子はどこに連れて行けば喜ぶのか、とか……そういうのが全然分からなくて……それで、佐田さんに頼ったんだ。LIMEのやり取りもそこから始まって……だから、もっと俺が彼氏のなんたるかを分かっていれば……」

「そんなのいい」


 涙声になりながらもそう言うと、幸祈はおもむろに顔を上げ、訝しそうに私を見つめてきた。


「そんなのいいって……」

「そんなのいい。どうでもいい。どこでもいい。幸祈と一緒なら……私、どこでもいい」


 くいっと涙を拭う。

 相変わらず、惚けた顔を浮かべる彼をじっと上目遣いで見つめ、私は恥ずかしさを押し殺して、ぼそっと呟くように言う。


「別に……ラブホだって、喜んで行くわよ。幸祈を独り占めできるなら」

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