第8話 本音【下】

 意味が分からない。


「何の話って……だから……だって……」


 言葉もままならない様子で嗚咽を繰り返し、ポロポロと零れ落ちてくる涙をパーカーの袖で何度も拭う帆波。まるで子供のよう――いや……子供のときでさえ、帆波は泣くことは無かった。目に溜め込むだけ。それが溢れ落ちることを決して赦さず、俺にも誰にも『涙』を見せることは無かった。成長してからも、そう。ときたま、ウチで映画を見ているとき、こっそり泣く姿を視界の端に捉えることもあったが、それくらい。何かあっても眼を潤ませて終わり。口を開けば毒ばかり吐く奴だったが、『女の武器』を使うことは無かった。だからこそ、一昨日も――俺がバスローブを着て出かける夢を見た、と泣きつかれたときも――驚いたものだが。今日のはまた違う。感情をあらわにしてガン泣きするその様は、まるで駄々っ子というか……初めて帆波の『子供姿』を見たような気さえした。


 いったい、どうしたっていうんだ?


 俺は帆波を怒らせて、着拒されてたはず。連絡してほしい、とLIMEやら留守電やらで縋り付いていたのは俺のほうで、それを拒絶していたのは帆波だ。それなのに、行かないで――てなんだ? しかも、またバスローブ? 三人で仲良く、てどういうことだ? 俺と帆波と……まさか、佐田さん!? この三人でラブホ行ってバスローブ着て仲良くしよう、て言ってんのか? そんなの、まるで3――と、一瞬、とんでもなくいかがわしい画が浮かびそうになって、いや、とすぐにそれを頭から消し去る。


 おかしいだろう……!?


 そりゃあ、帆波とはそういうところに行きたいという気持ちが無いと言ったら嘘になるけども。帆波が行きたいと言うなら……『まだ早い』だなんだと御託を並べつつも連れ立って行っちゃいそうだけど。なんで、佐田さん!? サプライズゲストすぎだろ!? 『今日はクラスメイトも交えて……』なんてノリで行くような場所か!?

 帆波は何を考えてんだ? なんで今から佐田さんと皆でラブホなんて突拍子もない話を……? 俺たちはただ、帆波を危ない奴だと勘違いして、交番に行こうとしていただけで――。


 って……待てよ?


 、帆波は知る由もないよな? 遠目から(なぜかは知らないが)見ていただけで。まさか、俺たちが身の危険を感じて、交番に行こうとしてるなんて分かるはずもない。そこまで、女の勘も万能じゃない……はず。つまり、帆波からしたら、俺たちが二人きりで会って、どこかへ行こうとしているのが見えただけで……。


 その瞬間、閃き――というやつなのか、バチリと脳裏で火花が散ったかのようだった。

 まさか……とハッと目を見開く。

 

 思い返してみれば、さっきまで――いつのまにか解けていたけど――佐田さんは俺の腕にひしとしがみついていた。すっかり怯えきった様子だったし、俺はその手に違和感も抵抗も覚えることもなく、それどころか……そんな佐田さんを安心させたい一心で、すぐ傍に寄り添って歩いていた。


 ああ、端から見れば――と想像するだけでぞっとした。

 そんな光景を帆波はどんな気持ちで――と考えるだけで胸が切り裂かれるようだった。

 それも、あんなLIMEが来た次の日に……。

 

 ようやく、全てが繋がった気がした。

 行かないで――という言葉にも合点がいってしまった。

 

 改めて、帆波を真っ直ぐに見つめる。か細い肩を震わせながら苦しげに泣く帆波は、もう俺のことを見てもいなかった。『はあ!?』て凄みたっぷりに睨みつけてくることも無く、『バカじゃ無いの!?』て理不尽に責め立ててくることも無い。俯き、キャップのツバの下で両手で顔を覆い、くぐもった嗚咽を漏らすのみ。

 罪悪感に打ちのめされるようだった。抱き締めたくてたまらなくなって……でも、もはや、俺に抱きしめる資格もない気がして。


「ごめん、帆波」せめてもの思いでその肩を優しく摩りながら、俺は語調を強めて言う。「俺は……俺らは、ただ、お前のことを変質者だと思ったんだ」

「え……?」


 ふいに嗚咽がぴたりと止んで、ビクン、と帆波の身体が震えた。


「へん……しつしゃ?」

「そうよ、坂北さん」とすかさず佐田さんが口を挟んで、帆波に一歩歩み寄る。「そんな格好でただならぬ気配を発して私たちのことを見ていたから、てっきり、危ない中学生だと思ったの。だから、今から二人で交番に向かおうとしていたのよ」

「そうなんだ、帆波。まさか、お前だと思わなかったから……追いかけられて、一瞬身の危険を感じたくらいで。だから、全部誤解だ。別に、二人でやましいところに行こうとしていたわけじゃない」

「そう、誤解よ。坂北さんが心配するようなことは何も無いわ。あわよくば、二人が喧嘩している隙に藤代くんに近づこうかとも思ったけど、ついさっき、『もう連絡するな』ってにべもなくフラれてしまったし」

「そう――」


 勢い込んで合いの手をいれようとして、はたりと言葉を切る。

 ん……? 今……佐田さんは、なんて?

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