第5話 お願い【上】

 とにかく、幸祈に会いたくなった。今すぐ会いたくてたまらなくて。居てもたってもいられなかった。

 だから、尾田くんと別れると、真っ直ぐ家に帰ってすぐに着替えた。

 一応、学校をサボっている身だし、目立たない地味な格好に――だぼっとした紺のフード付きパーカーに、黒スキニー――に着替え、万が一、どこかでクラスの人に目撃されても大丈夫なよう、キャップを目深に被り、纏めた髪をそこにたくしこんで……もはや『男装』並みの変装を施した。

 それで……驚かすつもりだった。

 幸祈の学校に行って、校門で幸祈を待ち伏せして……出てきたところに『幸祈』て声をかける。驚いて振り返った彼に、『来ちゃった♡』みたいな――て想像しただけでも恥ずかしさに頭が沸騰しそうなことをするつもりだった。もうベッタベタよ。これ以上ないくらいに陳腐で薄っぺらいわよ。でも、もう……それくらいしか思いつかなかったんだもん。だって、今まで……全然、考えたことなかったんだ。どうしたら、幸祈を幸せにできるか、なんて――。

 

 本当に最低だ、と思った。

 思えば、私は待ってばかりだった。喧嘩すれば、赦されるのを当たり前のように待って。幸祈ん家に押しかけては幸祈の帰りを待って……幸祈に愛されるのを待ってた。彼女になってからも、そう――。

 そうやって、今までずっと幸祈に何かしてもらうことばかり考えていたんだ。

 幸祈はいくらでも私の我儘を受け入れてくれたから。そんな幸祈に甘えるだけ甘えて……何もしてあげてこなかった。

 雑巾扱い、なんて言われても仕方ないことを幸祈にしてきたんだ――て痛感した。


 だから、どれだけベタで小っ恥ずかしくて、滑ったら大事故間違いなしの羞恥プレイだろうと……ほんのちょっとでも幸祈が喜んでくれる可能性があるなら、やってみようと思った。

 それで謝るんだ。昨日のこと……。

 佐田さんとのことはもういい、て伝えて、ちゃんと仲直りして……一緒に帰ろう、て言おう。


 そのつもり――だったのに。は……なに?


 今日は幸祈は部活の日のはずだけど……念のために、授業が終わる時刻には駅に来ていた。あとは幸祈の学校まで行って、校門で待ち伏せを――と思ったところで、スマホが壊れて、地図アプリが使えないことに気づいた。こっちのほうに来るのは初めてで、土地勘ゼロ。日暮れも近いし、下手に動き回って迷子にでもなったらたまったもんじゃない。結局、交番で幸祈の迎えを羽目になったら……『来ちゃった♡』なんて言っている場合じゃなくなる。『どこに来てんだよ!』て怒られて終わりだ。

 だから、駅の隣にあるハンバーガー店に入って、二階の窓際に陣取り、張り込みすること約二時間。たまに上がってくるお店の人が、さすがに迷惑そうな視線を寄越してくるようになった頃だった。窓から見下ろす見慣れぬ景色の中に、その姿を見つけてハッと息を呑んだ。


 一瞬にして、心がぱあっと華やぐのを感じた。


 第六感……なんてものを信じそうになるくらい、すぐに分かった。ぱっと見た瞬間、ビビッと来た。

 ブレザーの制服を着た男子生徒を見つけては、幸祈かどうか目を皿にして確認してたものだけど……そんな必要も無かったんだ、て実感して、なんだか照れくさくなって笑ってしまった。

 当初の計画とはだいぶ違っちゃったけど。まだ、喜ばせることはできるはず。そう思って、意気揚々と立ち上がって一階に駆け下りた。こっそり後ろから忍び寄って『だーれだ?』――なんて恥ずかしさに悶絶しそうなことを企みながら店を出て、私はを目の当たりにして、凍りついたように固まった。


 ――そして、今に至る。


 視線の先には、確かに幸祈がいた。でも、その背中の向こうに、もう一人誰かいたのだ。幸祈と同じ学校の制服を着た女の子。艶やかな長い黒髪に、キラリと光る賢そうな縁なし眼鏡。すらりとした体つきの中で、これでもかと存在感を放つ豊かな胸元も。セーラー服姿に見慣れていたせいで、すぐには気付けなかったけど――間違いなく、それは佐田さんだった。


 なんで、二人きりで会ってるの? てぞわっと身の毛がよだつようなおぞましい感情がこみ上げて来て、ダメだ、てかぶりを振る。


 二人は同じ学校で、帰る方向だって一緒なんだ。昨日だって、偶然、帰りに一緒になった、て言ってた。偶然、出会しただけ……の可能性もある。きっとそうだ、と思い直して、気を落ち着かせるように一息吐く。

 余計なこと考えてないで、さっさと声をかけちゃおう。佐田さんとも挨拶してみたら、案外スッキリするものなのかも――なんて思って、一歩踏み出そうとしたときだった。

 くるりと身を翻した佐田さんの腕を幸祈が掴んで引き止め、ただならぬ雰囲気で話し始めたのだ――。


 胸に杭でも打ち込まれたような……そんな衝撃が胸を貫き、さあっと全身から血の気が引くのを感じた。


 しばらく二人は話し込んでから、やがて、佐田さんが幸祈にそっと近づいて何やら耳打ちし、幸祈の腕を掴んで歩き出した。そのまま、二人は寄り添うようにして、駅とは別の方向へと歩き出した。

 わけが分からなかった。

 頭が働かない。目の前の出来事に、思考が追いつかない。

 なんなの、これ? どうなってるの? 二人で……どこに行くの? 今、私……何を見ているの?


「ああ、そっか……」


 ふと、自嘲のようなものが漏れた。

 奴の仕業だ。これも呪いだ。悪夢だ。間違いない。今に奴が現れて、『ペンペンペンペン』言い出すに決まってる。無邪気な声でバカにしてくるんだ。そうに決まってる。もう分かってるんだから……お願いだから、早く出てきてよ――て懇願するように心の中で叫んでいた。

 なんで……? とぎゅっと震える拳を握り締める。なんで、出てこないの?

 いつもなら、すぐに出て来て小憎たらしいこと言って来るくせに。いつまでも現れる気配は無くて。うんともすんともペンとも言わない。ただただ、幸祈と佐田さんの後ろ姿が遠ざかっていくだけ。その光景はとても現実とは思えないのに。喉が焼かれるような焦燥感はあまりにリアルで……早まる鼓動を確かに胸の奥に感じて……ポロリと頬を流れ落ちる涙の感覚に、もう悟るしかなかった。

 これは現実だ、て。

 ここにハンペンマンはいない。これはあいつが作り出している悪夢じゃない。


 恋の相談をしていたら、いつのまにかバスローブ姿でベッドで抱き合っていた……なんてよくある話ペン――そんな奴の言葉が脳裏に響いて、背筋がぞっと凍りついた。


 どうしよう――て口許を押さえる。

 私が言ったから……? 私が幸祈に『佐田さんに相談すれば?』なんて言って突き放したから? だから、こんなことに……? このまま、本当に……幸祈は佐田さんの胸の中に埋まっちゃうの?

 涙で歪む視界の中、去っていく二人の後ろ姿がいつか見た悪夢と重なった。

 一緒だ、と思った。

 も……私は、今みたいに見つめることしかできなくて。何も言えずに、ただ立ち尽くした。お願い、行かないで――て祈りながら、お揃いのバスローブ姿で肩を寄せ合う二人の後ろ姿を見送ったんだ。ただ見送って、手遅れになったんだ。

 刹那、痺れるような戦慄が全身を駆け抜けて、


「幸祈――」


 気づいたときには駆け出していた。

 無我夢中で。がむしゃらに。逸る心に突き動かされるように、なりふり構わず追いかけて、


「行かないで……!」


 幸祈の背中に飛びつくように抱きついて、そう子供みたいに叫んでいた。

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