第2話 そんなつもりじゃ【下】

 マジか。

 まだ既読にもならねぇ――。

 昼休みを迎え、ガタガタと慌ただしくなった教室で、俺はガクリと項垂れた。

 授業もそっちのけで、机の下でいちいち確認していたスマホは相変わらず、大人しいまま。その画面には帆波とのLIMEのトーク画面が開きっぱなしになっている。

 『少し話せるか?』のメッセージには『既読』の表示も無く、そのあと、『応答なし』の履歴が何件も並び、まるでなんの反応もない。

 LIMEは諦め、普通に電話もしてみたが、まっすぐ留守電に繋がるだけ。一応、『話したいから、電話してくれ』と留守電に入れておいたものの、結局、そのあと、今の今まで帆波からの電話も無く……。

 そろそろ厭な予感が確信へと変わりつつあった。


 ――これって……もしかして、着拒されてね?


 ぞわっと胃が持ち上がるような感覚があって、うわあ……と机に肘をついて頭を抱えた。

 流石に初めてだぞ……着拒は? そこまで怒らせたのか!?


 昨日は、あのあと家族で刺身を食べに行くと言っていたし……そのまま、遅くまで家族で出かけているんだろう、くらいに思っていた。生簀があるようなかしこまったところみたいだし、何かお祝い事でもあったのかもしれない。たとえば、昇進した、とか……大きなプロジェクトが成功した……とか? まあ、仕事のことは俺はよく分かんねぇけど。

 だから、朝起きればコロッと『なによ?』ってメッセージでも電話でも来るかと思ってたんだ。

 それなのに、そんな気配は一切無く……。


 一応、登校前、ギリギリまで帆波の家の前で待ってみたけど。帆波の高校はすぐ近くで、徒歩十分そこら。電車で二十分はかかる俺とは、当然、登校時間がかぶるわけもない。

 帆波の両親も通勤の準備で忙しいだろうし、帆波だっていろいろと――俺の想像もつかないような――支度があるだろう。そんな朝の慌ただしいときにわざわざインターホンを鳴らして呼び出すのも憚られ……結局、何もせずに駅へと向かってしまった。

 しかし、今思えば……迷惑なんて考えずに、インターホン押しまくって上り込むんだった。遅刻してでも直接話してくれば良かった、とつくづく思う。


 心のどこかでまだ余裕があったんだろう――。


 今までなら、どんなに喧嘩したって、帆波は一晩寝たらケロッとしていたから。いつからか兄貴の『仲裁』も必要無くなって。たとえ喧嘩別れしても、次の日の朝には何事もなかったかのように一緒に登校して――の繰り返しだったから。


「まさか着拒されてるとは思わねぇよな……」


 後悔たっぷりに独りごちた、そのときだった。


「着拒?」


 不思議そうな声がして、ハッとして振り返る。


「今日もまた……随分と思いつめた顔してるのね? ほんと……付き合いたての彼氏くんとは思えないな」

「あ……佐田さん」


 相変わらずの長い黒髪をさらりと耳にかけ、佐田さんはメガネの奥で聡明そうな眼をふっと細め、


「話がある――て、昨夜くれたメッセージと何か関係ある?」


 ぎくりとして、勢いよく立ち上がっていた。


「ごめん、向こうで……話そう」


 声を低めて言って、ちらりと廊下の方を視線で示した。

 そそくさと席を離れ、佐田さんの気配を背後に感じながら廊下に出る。突き当たりの隅まで行ったところで、ここなら――と足を止めて振り返ると、

 

「なんだか……仰々しいのね? こそこそして……」


 不審がるわけでも無く。佐田さんはいたって落ち着いた様子で呟いた。

 こそこそ……と言われると、やましいことなど何もないのに、後ろめたい気分になってしまう。


「いや、一応……あんまクラスの奴には聞かれたくないから」

「他の人には聞かれたく無いって……もしかして、昨日の話? 初デート、誘ったのにうまくいかなかった?」

「えっ……!?」

 

 いきなり……!? 大当たり……だけど、やっぱ遠慮無いな!?


「図星……なんだ」きょとんとして言って、佐田さんは僅かながら眉を曇らせた。「私のセレクション、良く無かった? 坂北さんの趣味に合わなかったのかな?」

「あ、いや……」


 そういえば――とハッとする。

 佐田さんには相談に乗ってもらって、初デートの行き先だってオススメを教えてもらってたんだ。それでうまくいかなかった、なんて話になれば……佐田さんとしても責任感じるのか。

 確かに、帆波は『ぜーんぶ、厭!』とか言って、気に入っていない様子だったが。そんなことまで佐田さんに伝えるようなことでもないよな。そもそも、問題はじゃないんだし――多分、だけど。


「そういうことじゃないから。デート先のことで揉めたわけじゃない」気を取り直して言って、なんとか笑顔を作る。「どれも帆波は気に入ってた。ありがとう」


 って……嘘まで吐く必要は無かったか?

 一瞬、『はあ!?』とねめつけてくる帆波の顔が頭をよぎったが。「そう」と相槌打つ佐田さんの表情は和らいで、安堵した様子だし……いいか。噓も方便……てことで。

 それよりも――だ。早く本題に入らないと。購買に向かった遊佐が、いつ戻ってきて邪魔してくるとも限らない。


「話……ていうのは」と神妙な面持ちになって、声を潜めて切り出す。「昨日のラブホのLIMEのことなんだけど」

「ラブホ?」

「近くのラブホも調べておくよ――てやつ。あれ、帆波に見られて……ちょっと揉めてる」

「え――」


 普段はポーカーフェイスの印象があって、冷静沈着。落ち着いた雰囲気のある佐田さんだが。流石にこれにはぎょっと眼を丸くし、あからさまに動揺を見せた。


「ごめん、藤代くん! 私……そんなつもりじゃ……」

「いや、もちろん、それは分かってる!」

「もしかして……さっきの『着拒』って坂北さん? 坂北さんに着拒されちゃったの? 大丈夫?」


 鋭い――ていうか、まあ、フツーに分かるか。

 大丈夫? という優しい言葉が、今はグサリと胸にナイフの如く突き刺さる。


「そう……みたいなんだけど、まあ……大丈夫」


 我ながら声に張りが無いわ。顔も思いっきり引きつってる気がする。

 当然、説得力は無かったんだろう。佐田さんの表情は陰るのみ。


「本当に……ごめんなさい」


 すっかりしゅんと気落ちした様子で佐田さんは口許を押さえた。


「藤代くんを着拒するなんて。坂北さん……そんなに怒ってるんだ。これでもし別れるようなことになったら、私のせいね。つい、調子に乗って軽率なことを……」


 別れる……!?

 え……まじで? やっぱ……そんな危機的状況なの!? と訊きたくなってしまうが。その衝動はぐっと飲み込んで、


「俺のほうこそ、ごめん。別に、佐田さんを責めたくて呼び出したんじゃないんだ。佐田さんのLIMEより、そのあとの俺のフォローが悪かったんだと思うし……佐田さんが責任感じることは何も無いから」


 とはいえ。ちゃんと誤解の無いように説明したはずで。いったい、帆波が何をどう勘違いして怒ってしまったのか、さっぱり分かんねぇんだよな。

 ただ、あのLIMEが発端だったことだけは確かで。だからこそ、こうして佐田さんと話をしようと思ったんだ――。


「実は……さ」と頭を掻き、ぎこちなく切り出す。「佐田さんに相談というか、頼み……みたいなものがあって」


 刹那、すっかり昏く翳っていた佐田さんの瞳がキラリと輝くのが分かって、


「なんでも言って。私にできることがあれば、なんでもする」


 真剣な表情ですんなりとそんなことを申し出てくれる。そこまで話したこともなくて。俺らの喧嘩に巻き込んでしまっただけなのに。――そんな佐田さんを、やっぱ、いい人だよな、と思う。あのLIMEだってきっと親切心からだったんだろう。遊び心はあったかもしれないが……。それが分かればこそ、こんなことを頼むのは気が引ける。

 でも……。

 私、幸祈と別れたくない――そう縋るように俺を見つめて言った帆波の顔が脳裏に蘇る。余計な感情など何も無い、まるで無垢な表情だった。繊細な心をそのままそこに映し出しているかのような。純粋で、それでいて切実で。その我儘わがままは今までのどんな我儘よりも真っ直ぐに胸に届いた。

 思い出すだけで狂おしいほどの焦燥感がこみ上げてくる。佐田さんへの罪悪感も、自分のちっぽけな良心もどうでもいいと思えてしまうくらい、帆波が恋しくなるから……。


「佐田さん……」とぐっと拳を握り締め、力を込めて切り出す。「悪いんだけど

――」


 言いかけたときだった。


「あ、万由まゆ!」


 そんな弾んだ声が廊下に響き渡り、


「そんなとこで何してんの? お昼、早く食べよ〜」


 見やれば、俺らの教室から顔を覗かせ、パタパタと手を振るクラスメイトの姿が。

 あれは、同じクラスの並木さん……だっけ? とぼんやり名前を思い出していると、


「ちょっと、ユキ!」と別のクラスメイトの声がして、並木さんの顔が教室に引っ込んだ。「どう見ても、お取り込み中じゃん! 邪魔しないの!」

「え……あ、そういうこと!? 藤代くんと……?」


 そういうことって、どういうこと!?

 高校こっちでもあらぬ誤解が……!? と焦る俺に気づいたのか、「大丈夫よ」と静かに佐田さんが言うのが聞こえて、


「中学の同窓会の話……とでも言っておくから」

「あ……ごめん」

「いいの」フッと微笑を浮かべてから、佐田さんは考え込むように顔を顰め、「でも……続きはまた後で、でいいかな? ユキたちを待たせるのも悪いし……」

「ああ……そうだよな。じゃあ――」


 五時限目が終わってから、と言おうとしたとき、


「じゃあ、また一緒に帰りましょうか」

「え……?」


 一緒に……帰る?

 

「帰る駅も一緒なんだし、電車の中でなら二人きりで話してても自然でしょう。学校で込み入った話をしていたら、また変な勘繰りをされかねない。それはお互い、困るじゃない?」

「まあ……」


 それもそう……なのか?

 ちらりと周りを見れば、確かに教室を出入りするついでにこちらの様子を窺っていくクラスメイトの姿が。

 話す場所、間違えただろうか――なんて今更なことを考えていると、


「藤代くん、今日は部活よね? 終わったら連絡して。駅で待ち合わせにしましょう。どちらにしろ、私、放課後は自習室で勉強していく予定だったから」


 すらすらと淀みなくそんなことを言って、「それじゃあ」と佐田さんはさらりと長い黒髪をなびかせ、身を翻す。

 え……決定したの!?


「あ、佐田さん……」


 ちょっと待って――と引き止めようとした声は、しかし、ぷつりと途切れた。

 引き止めたところで、どうするんだ? と思ってしまった。

 また一緒に帰るつもりはさらさら無かった……けど。だからといって、他に良い案があるわけでも無い。佐田さんとは今日中に――帆波に会う前に――話をしておきたいし、佐田さんが部活が終わるまで待ってくれる、て言うなら……確かに、帰りの電車で話すのが得策な気がした。


 そうは言っても――だ。これで良いんだろうか、という気持ちが残る。

 気が重いというか。何とも言えない胸のを覚えつつ、俺はその場に立ち尽くて、佐田さんの背中を見送った。

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