第19話 教訓【上】
びっくり……どころじゃない。心臓が一瞬にして凍りついたようだった。
幸祈のスマホの画面に表示されたLIMEのメッセージ。つい、見てしまったそこには、『さだまゆこ』って名前があって。メッセージには『ラブホ』とか『コスプレ』なんてただならない単語が並んでて。
気づいたときには、幸祈のスマホを手に取って、取り憑かれたようにそのメッセージを見つめていた。
念の為、てなに? ラブホが必要になりそうな予定があるの? なんで、急にコスプレ? そもそも、なんで佐田さんからLIMEが来るの? ろくに話したことも無いんじゃなかった? いつのまに、そんなに親しくなってたの?
分からないことばかり。どんどんと胸の奥にどす黒いものが渦巻いていくようだった。
そんなわけ無い、て思いながらも、幸祈のことを疑ってしまう自分がいて――。
やっぱり、佐田さんとやましい関係だったんじゃない! って怒鳴りつけてしまいそうになる。バカ、て捨て台詞みたいに吐き捨てて、逃げ出したくなる。
でも、ダメだ――て、きゅっと唇を引き結び、必死にその衝動を抑え込んでいた。ダメなんだ。そんなことしたら、また、同じことの繰り返し。私は一度、そうやって……勝手に早とちりして、拗ねて、逃げて、幸祈を失いそうになったから――。もうあんな想いは厭だ、て思うから――。
「帆波……」
緊張に強張った声で幸祈が口火を切って、すぐ傍に座り込んだ。
「今、どう思ってるのか、想像に難く無いと言うか……我ながら、如何わしいLIMEだと思うし、疑われて当然だと思う。ただ、これには深――くも無い、ものすごく浅い事情があって……とにかく、話だけでも聞いてくれ」
捲し立てるように言う幸祈の声は、必死で真剣で。視界の端では、正座した膝の上で力強く握り締める彼の拳が見えて。俯いたままでも、幸祈がどんな顔しているのか容易に想像ついた。
私はすうっと息を吸い、「うん……」と頷く。
彼の拳に手を伸ばし、そっと触れる。もうすっかり逞しくなった手は……でも、やっぱり、昔みたいに暖かくて。ぎゅっと握り締めると、それだけで心が安らぐ感じがした。
「聞く」と私はゆっくりと顔を上げ、幸祈をまっすぐに見つめる。「幸祈の話、ちゃんと聞く」
そっか、よかった――と話し始めるわけでもなく。幸祈はぽかんとして、「へ……?」と呆気に取られた様子で固まってしまった。
きっと、私のそれはあまりにも予想外の反応だったんだろう。
今までの私の態度を考えれば当然……だよね。
私はずっと、逃げることしかしてこなかったから。いつも怖くて、逃げてきたんだ。幸祈に気持ちがバレるのが怖くて、わざと冷たい態度を取って。幸祈に拒絶されるのが怖くて、『広幸さんに会いに来ただけだ』なんて嘘吐いて。佐田さんを好きなくせに私にまで告ってきた――て、平気で嘘を吐くような奴だったのか――て、そう誤解したときは、幸祈のことが怖くなって、広幸さんのところに逃げ込んで『答え』を求めた。でも、結局、そうやって最後の最後に得られた『答え』は単純なもので……。
「昨日、広幸さんに……言われたの。何考えてるの、て素直に面と向かって訊けないような人とは付き合うべきじゃない、て。そんな相手と付き合ってもすぐに別れるだけだ、て」
幸祈はハッと目を見開いた。
「私、幸祈と……別れたくない」と祈るような想いで続け、より一層強く彼の手を握り締める。「だから、ちゃんと聞く。幸祈の口から……ちゃんと聞きたい」
「帆波……」
じんわりと幸祈の眼差しに熱が帯びるのが分かった。
「俺もだ、帆波」と幸祈は噛み締めるように言って、私の手を握り返してきた。「俺も帆波と別れたくない」
まだ、ちょっとだけ……疑ってるけど。疑わざるを得ないメッセージだったけど。でも、ホッとしたように頰を緩めて、切なくなるほどに愛おしそうに私を見つめる彼の眼差しに……やっぱり胸が疼いてしまうから。こんなときでも、好きだな、て実感してしまって。ほんと……どうしようもない。
このまま見つめられてたら、丸め込まれてしまいそうで。このまま『好きだ、帆波』って言われて……キスでもされたら、満足しちゃいそうで。
私は咄嗟に視線を逸らし、
「か……勘違いしないでよね!」と自分に喝でも入れるような気持ちで言う。「疑ってはいるんだから。そんなメッセ見たら、世のカノジョは全員、疑うから!」
「あ……いや、それは分かってる。話、聞いてもらえるだけでもありがたい……と思ってる」
居心地悪そうなため息吐いて、満を辞した様子で「あのな――」と幸祈は口火を切った。
「マジで……佐田さんとは何も無い。連絡先も、今日の帰りに偶然、電車で一緒になって交換しただけで、今日までLIMEのやり取りもしたこと無い」
「別に……連絡取り合うくらいはいいけど」
本当は厭――だけど。幸祈のスマホに私以外の女の子の連絡先なんて……考えるだけでも、『全部、消してー!』て泣きつきたくなるけど。さすがに、『私以外の女の子と連絡取らないで』なんて強制するのは無理があるのは分かるし……幸祈だってそこまで縛られるのは鬱陶しいだろう。
佐田さんとは同じクラスなんだし、LIMEのやり取りくらいはいい。仕方ないと思う。ただ、問題なのは……。
「それより……内容の話……」ぼそっと言って、ちろりと幸祈を伏せ目がちに睨む。「また、変な勘違いしたくないから……この際、はっきり訊く……けど。メッセだけ読んだら……まるで、佐田さん、幸祈とラブホに行くこと、期待してるみたいなんだけど。しかも、コスプレして……」
「いや……うん。まあ、そう……だよな」
苦々しく顔を歪め、幸祈は「そう……思うよな」と頭を抱えた。
「コスプレは俺もよく分かって無いけど……違うから。佐田さんは別に、俺とラブホに行こうとか考えてるわけじゃなくて……もし、俺が帆波とそういうことになったら――てときのことを考えてるだけで……」
「え……」
はたりとして、目を丸くする。
なんて……? 幸祈、今、なんて……言ったの? 幸祈と私がそういうことになったら……?
そういうことって……つまり、ラブホが必要になるような――そういうこと!?
かあって顔が真っ赤に染まるのが分かった。
「な……なんで……佐田さんがそんなこと考えるのよ!?」
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