第11話 おかえり【上】
え……うそでしょ。
まさか、そんな……無い無い! 大丈夫、大丈夫。 落ち着くんだ、私。ちょっと落ちただけなんだから。たった一回落としただけで、スマホが壊れるなんてこと絶対無いんだから。
カバーだってつけてるし。画面だって、ほら……ヒビ一つ入ってないのよ? 無傷じゃん。絶対大丈夫。絶対大丈夫……のはずなのに、なんで画面が真っ暗のままうんともすんとも言わないの!?
おかしい……な。どれだけ電源ボタンを長押ししても……全然起動しない。
「え……もしかして――」と隣から遠慮がちに言う声が聞こえて、「スマホ、壊れ……」
「言わないでえ!」
涙声みたいな悲鳴が飛び出していた。
きっと睨みつけた先には、「いや、でも……」と頰を引きつらせる尾田くんが。部活中なんだろうか――それにしては、なぜ、
「それ、壊れて――」
「なんのことか、私、さっぱり分からない!」
あはは、と調子の外れた笑い声を上げながら、私はそそくさとスマホをしまった。
「全然、壊れてないから!? 充電切れただけだから!」
大丈夫、大丈夫――と自分に言い聞かせ、呼吸を整える。
そうよ、絶対、タイミングよく充電切れただけ。尾田くんが声をかけてきた瞬間、偶然、充電が切れただけ。決して、落として壊れたわけじゃない。
だって、今、壊れてもらうわけはいかないんだ――。
「家に帰って充電したら、きっと元通りよ」
独り言みたいに言って、「それじゃあ、ゴキゲンヨウ」とくるりと身を翻すと、「いや、ちょっと待って!」と尾田くんが私の腕を掴んだ。
「あきらかに様子、変だから!?」
「全っ然、変じゃ無い! 充電切れたら画面は暗くなるの!」
「スマホの話じゃなくて……まあ、スマホもそうだけど――俺が心配してんのは、坂北さん!」
「へ……」
私……?
振り返ると、尾田くんは気を落ち着かせるようにふうっと一息吐いて、
「大丈夫?」
いつもはへらっと緊張感の無い笑み振り撒いて、軽口ばかり叩いてくるのに。そんな尾田くんだから、余計に……なのかな。落ち着いた声で放たれた優しい言葉が、やたらと胸を突いてきた。
今更、手が震え出す。
――ああ、大丈夫じゃないや、て……訊かれて気づいた。
「うちの親……」項垂れるように俯きながら、ぽつりと力無い声が漏れていた。「出張被って、昨夜から二人ともいなくて……」
「え……そうなんだ?」
「だから、スマホに万が一のことがあっても……すぐには修理できない、んだ」
「ああ……まじか。出張って……どれくらい?」
「母親は……たしか、
「明々後日!? じゃあ、五日も……どっちもいないの!? 羨ましい――じゃないか。坂北さん、兄弟とかいんの?」
兄弟……? なんで、そんな質問?
顔を上げ、「一人っ子だけど?」と答えると、尾田くんはぎょっと目を丸くして「ええ!?」と頓狂な声を上げた。
「じゃ……ずっと家で一人!? 大丈夫なの、それ!?」
「大丈夫、て……もう高校生だし。ホームセキュリティあるし」
「ホームセキュリティって……」まるで初めて聞く言葉みたいにぎこちなく鸚鵡返しして、尾田くんは訝しげに眉を顰めた。「いや……でも、それでも、女の子で一人って怖く
「別に。家で一人なの慣れてるから」
きっぱり答えると、「はえぇ……」と感心したような、驚いたような……間の抜けた相槌打って、尾田くんは目をぱちくり瞬かせた。
「しっかり……してんだな。俺なんて、五日も家で一人だったら飢える自信あるわ」
「ご飯くらい作ったら?」
ジト目で見つめてそう言うと、尾田くんはカラッと笑って、
「じゃあ、今から坂北さん家でお料理教室、てことで」
「帰る」
ふいっと背を向けると、「ああ、待って!」と尾田くんはまた私の腕を掴んで引き止めた。
「冗談は置いといて! 真面目な話……スマホ、マジで壊れてんの!?」
「だ……だから、やめて、て!」ぞっと背筋に悪寒が走って、慌てて振り返っていた。「そういうの……言うと本当になっちゃう気がする!」
「いやいや……そんなスピリチュアルな話してる場合じゃ無いでしょ。壊れてるなら、弁償したいんだけど」
「は……?」
べ……弁償……?
「な……なんで、尾田くんが弁償するの?」
「なんでって……俺が驚かせちゃったせいだしさ」と気まずそうに口元を歪め、尾田くんはくしゃりと茶色い髪を掻き上げた。「部活で外周してたら、坂北さん見かけて、それで……腹痛い、てことにして、抜け出して来たんだよね。ちょっと声かけたかっただけなんだけど……まさか、あんなびっくりさせちゃうとは」
「外周……」
ああ、だから、こんなところを、ジャージ姿で彷徨いてたんだ。そこは納得――したけど……。
「そういうことなら、なおさら早く戻ったら? 弁償とか、ほんといいから。サボってるのバレたら大変でしょ」
「いやいや……このまま、戻れないって! こう見えて、俺、結構こういうの気にするタイプ!」
自分を指差し、必死な形相で訴えかけてくる尾田くん。
『こう見えて』って、自分で言っちゃうんだ……と苦笑しつつも、確かに、と思ってしまっている自分もいた。正直、意外……だけど、尾田くんの顔色は悪いし、笑みも明らかにいつもと違っている。固くてぎこちなくて……無理しているようなそれだ。気にしているんだ、て見るからに分かる。責任感じてるのがひしひしと伝わってくるから……。
「ほんと、大丈夫」ゆっくりと諭すように言い、私はまっすぐに真剣な眼差しで尾田くんを見つめた。「尾田くんは関係ない。私が勝手に落としただけ。弁償とかしなくていい」
「落としただけ、て……俺が声かけなかったら、落とさなかったわけでしょ」
「それは結果論。声かけられただけで、スマホ落とすほどびっくりした私が悪い。ちょっと考え事してて……上の空だったの」
まあ、もちろん……
あ、思い出したら、また恥ずかしくなって来た。
「そういうわけで」と私は誤魔化すようにははっと笑って、一歩後退った。「ほんと気にしなくていいから。私、帰る」
すると、「あ、じゃあ……」と慌てたように尾田くんは声を上げ、
「せめて、何か奢らせて! お詫び……にはならないかもしれないけど。そこのコンビニとかで……」
「いいって! 私、もう行かなきゃいけないし」
っていうか、もう……早く行きたいんだ。
そういえば、スマホが壊れ――充電切れちゃったから、時間も分かんないんだよね。今、何時だろう? て時間が分からなくなった途端、やけに気になりだして……焦り出す。
だって、今日は月曜日なんだ。幸祈の部活がお休みの日。だから、幸祈はいつもよりずっと早く帰ってくる。きっと、もう電車に乗ってるはず。そう思うと、いても立ってもいられなくなってくる。
「ごめんね、尾田くん! スマホは大丈夫だから。それじゃあ」
何か言いたげな尾田くんの視線を振り切るようにして、私は踵を返し、足早に歩きだした。
ハンペンマンの呪いも、スマホも気がかりではある……けど、今日は幸祈との初デートなんだ。余計なことに囚われている場合じゃ無い。ずっと願ってた瞬間なんだから。早く帰って準備しよう。カノジョらしく着飾って、それで……おかえり――て幸祈に言うんだ。
幸祈、どんな顔するのかな、て想像するだけで胸が踊る。むにむにと口許がむず痒くなって、家への道をふふって含み笑いを漏らしながら歩いた。
ほんのちょっとでも照れてくれたら……嬉しい。
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