第7話 備えと憂い【上】

「今日、行くんかーい!」


 歌うようにノリノリでそう言うと、葵は鼻息荒く興奮気味にぐっと身を寄せてきた。


「初デートでさっそく部屋だなんて……藤代くん、やる気満々じゃーん!」

「や……やる気とか言わないで! 幸祈はそんな――」


 言いかけ、はたりと口を噤む。

 ――て、ちょっと待って。初……デート? 初デートって……。


「今日、私、デートなの!?」

「そこに驚くの!?」

「え……だって……そんなつもりじゃ……ただ部屋に行くだけで……デートって言われてないし……」


 かあっと一気に熱くなる顔を両手で挟み、あわあわとしながら、思い返していた。昨日のこと――。

 帰り際、幸祈は玄関まで私を追いかけてきて、訊いてきたんだ。これから付き合うってことでいいんだよな、て。緊張が滲む真剣な顔で……。真っ直ぐに、焦がされるような熱い眼差しで私を見つめて……。それで、鍵を差し出しながら続けた。これからは俺の部屋で待っててくれ、て。

 そりゃあ、部屋、て言われて動揺した。キスをし損ねた直後だもん。当然、意識した。でも、待っててくれ――としか言われなかったから……。幸祈の家に押しかけて、勝手に幸祈の帰りを待つことは、私にとっての日常だったから……。それを『デートの誘いだ』と受け取るような発想は私には無かった。


「デートって言われてないし――てね」と葵が呆れたように言って、「恋人同士で部屋で二人きりなんて……私からしたら立派な『デート』だから」

「そっ……か」


 そう――なんだ、てふにゃりと頬が緩む。

 もう『デート』って言っていいんだ。何しに来たんだ、て訊かれるのを怖がる必要なんて無い。広幸さんに会いに来たんだ、て嘘吐いてごまかす必要なんて無い。堂々と幸祈を待っていいんだ。幸祈に会いに来た、て――幸祈とデートなんだ、て胸張って幸祈の家に行っていいんだ。

 へへへ、てだらしない笑みが今にも溢れそうで、必死に唇を引き結んで堪えていると、「それで――?」とねっとりとした口調で葵が隣で口火を切るのが聞こえて、


「どんなの着て行くの?」


 ハッとして振り返る。 


「どんなのって……」

「だからさ……お家デートなんでしょ、今日」と意味ありげに葵はにんまり笑って続けた。「ちゃんと準備しとかないと」

「あ……そう、だよね。デート……だもんね」

 

 まだ、デート、て言葉は口に馴染まなくて、それを言うだけで口許がむず痒くなる。ニヤケそうになっちゃって、それを葵に気付かれるのが恥ずかしくて、なんでも無いふりして俯いた。


 俯きながら――何着て行こう、て考える。


 今までは……ちょっとでも幸祈に意識して欲しくて――少しでも、ドキッてして欲しくて、スキだらけな格好で押しかけてた。いつも、ゆるいTシャツにショーパン姿。そういう無防備な部屋着姿に、男の子はグッと来る、てネットで見かけたから、その可能性に縋り付いて、わざとみっともない姿で会いに行ってた。

 今日もそんな格好で行くつもり……だった。

 まさか、『デート』だとは思ってなかったし、『幸祈の家に行くならTシャツショーパン』が当たり前になっていたから。学校に制服着て行くような感覚になっていたんだ。

 でも、『デート』なら――。

 本当は……ずっと、可愛い、て思われたかった。新しい洋服買うときは、いつも幸祈のこと考えた。幸祈はこういうワンピースは好きかな、とか、清楚なほうがいいのかな……て想像しながら選んでた。いつか、デートするなら――て妄想しながら、コーデも考えたことだってある。

 それがようやく――やっと、着れるんだ。デート服……。


「やっぱり……」と俯いたまま、ぽそっと言う。「ワンピース……かな? あんまり短いのは引かれちゃう? 膝丈……が妥当かな?」

「さあ。なんでもいいんじゃない?」

「なんでもいいって……!?」


 訊いてきたのに、なんで、そんな投げやり!?

 ぎょっとして顔を上げて振り返ると、


「帆波は何着ても可愛いから大丈夫! それよりも――下着よ!」

「下着なの!? って、な……なんで、下着!?」

「部屋で二人きりで、しかも恋人同士! そこまで揃ってたら、何が起きるか分からないでしょ」と得意げに笑って、葵は捲し立てるように言う。「藤代くんのことだから、いきなり襲いかかってくるとかは無いだろうけど……『幸祈』だって男なんだし、今まで何年もあんたに焦らされまくってきたんだから、誘ってこないとも限らないのよ!?」

「さ……誘われるって……」


 何にって……訊かなくても、さすがに分かる。そこまで、私も無知じゃないし……興味がないわけじゃない。だからこそ、きっと……幸祈と付き合いたいと――幸祈の彼女になりたいと――思うようになったんだと思う。ただの幼馴染以上の関係が……その先がある、て知ったから。いつからか、隣にいるだけじゃ物足りなくなって、もっと近づいて……触れてみたい、て思うようになっていたから。

 でも……いざ、『彼女』になって、もし誘われたら、て考えたら……。

 きゅうっと胸が締め付けられて、体の奥がじんと熱くなる。

 どうしよう。分からない――。誘われたら……私、どうしたらいいんだろう?

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