第8話 備えと憂い【下】
『初デートはやっぱり、映画! そのあと、オシャレなカフェで一休みして、手を繋いで夜景を見に行こう』って……マジか。初デートってそこまですんの? オシャレなカフェってなに? 夜景ってどこで見んの?
まずい……分からん。
うーん、と眉根を寄せて、スマホをブレザーのポケットにしまう。顔を上げれば、ちょうど、電車がホームに入ってくるところだった。キイッと耳障りな鉄が擦れる音が辺りに響き渡る。
あれから――遊佐との会話で『初デート』を意識しだしてから、時間が空けば、スマホで『初デート』を検索し、記事を読み漁っていた。しかし、調べれば調べるほど、ドツボにはまっていく気がする。
『初デートの定番』は――『定番』のくせに――ネット中に溢れ返っているし、あるサイトでオススメだった場所が、また別のサイトでは『NGスポット』にされているし……。なんだかんだとデートスポットを紹介しておいて、『結局のところ、カノジョ次第だ』と遠回しに言って結論づけてる記事だってある。
確かに、カノジョ次第――それが真理というか……一番的を射ているんだろう、とは思うが。
それが分からないから、検索してんだろ! と泣き言じみたことを叫びたくなってくる。
せっかく、今から帆波と会うっていうのに――なんで、俺はこんな悶々としてんだ。
今までは……と思い返しながら、目の前でプシューッと音を立てて開く扉に誘われるように電車に乗り込む。
今日も帆波はウチで兄貴を待っているんだろうか――今までは、そんなことを考えながら、帆波に会える嬉しさと、兄貴のおこぼれにでもあやかっているような情けさの間を彷徨い、複雑な想いを抱えて電車に揺られていたもんだ。思い出すだけでも気が重くなってくるような日々だった。それが今や、彼氏だ。今日からは、正真正銘、帆波は俺に会いに来る。しかも、彼女として。おおげさじゃなく、『夢のよう』で、遊佐の言う通り、スキップで帰ってもいいくらいだ。
それなのに、今度はしくじりたくないという思いに押しつぶされそうになっている。
情けねぇ――。
『彼氏』になった自分がこんなんになるとは思ってもいなかった。
ホームと反対側の扉の前でぴたりと足を止めると、はあっと重いため息を吐く。
そのときだった。
「藤代くん?」
背後から穏やかな声がして、ハッとして振り返る。
「今、帰り? 電車で会うの珍しい。今日、部活無いの?」
さらりと長い黒髪をなびかせ、乗り込んできたのは、俺と同じブレザーの制服を着た女子だった。縁なし眼鏡がよく似合う利発そうな顔立ちに、うっすらと笑みを浮かべる薄い唇。同い年とは思えない落ち着きで、所作一つ一つに品が漂い、彼女の周りだけ、静謐――なんて言葉を思わせる雰囲気に包まれる感じがする。そして、すらりとした身体の中、ぐっと膨らむ胸元もまた、同い年とは思えない存在感を放って――つい、ちらりと視線がそちらに行っては、ハッと我に返る。
いや、何見てんだ!? 彼女いんのに……って、いなくてもダメだよな。しかも、相手が相手だし――。
「あ、佐田さん」と誤魔化すように慌てて微笑む。「そう……月曜は休みで……。佐田さんは帰宅部だっけ」
我ながら不自然になりながらもそう返すと、佐田さんは俺の隣まで来て「うん、そう――」と髪を耳にかけながらおっとりと微笑んだ。
そして、沈黙。
眼鏡の奥から冷静な眼差しで俺を見据え、佐田さんは微笑を浮かべたまま黙り込んでしまった。
やがて、アナウンスが響き渡って、電車が動き出し、なんとも言えない居心地の悪さの中、向かい合っていると、
「よかった」ふいに、佐田さんはため息交じりに呟いた。「気のせいだったみたい……」
「気のせい……? 何が?」
「なんだか……今日はずっと藤代くんに避けられてる気がしてたの」
「避け……」
思わず、ぎくりとしてしまった。
「いや、なんで……」
はは、と浮かべた笑みが思いっきりひきつっているのが、自分でもはっきり分かった。
避けていた……つもりはないが、思い当たる節が無いわけでは無い。
佐田さんを見かけるたび、昨日の帆波を思い出してしまって――、瞳を潤ませ、『なんで、嘘つくの?』って縋るように訊いてきた帆波の切なげな表情が脳裏をよぎってしまって――、罪悪感に襲われた。
兄貴の追及を逃れるために『好きな子がいる』と嘘を吐き、その場凌ぎで出した名前が『佐田万由子』だった。
兄貴を誤魔化せれば良い――それだけの些細な嘘……のつもりだったのに。まさかそれを帆波に聞かれて、帆波をあんなにも追い詰めることになるなんて思ってもいなかった。
心底反省してるし、もう二度と帆波に同じ思いをさせたく無いと思うから……余計な誤解は招きたく無い、と思えばこそ、自然と佐田さんから距離を置くようになっていた。
――いや、もちろん……佐田さんは何も悪く無いし、それどころか、勝手に名前を使って、俺たちの喧嘩に巻き込んでしまった佐田さんには心から申し訳ないと思っている。その上、勝手に気まずくなって避けるなんて最低だと分かってはいるんだが……。
「もしかして……」しばらく、俺を値踏みでもするかのようにじいっと見つめていたかと思えば、佐田さんはクスリと笑って、「坂北さんにお願いでもされたのかな、なんて思ったんだけど」
「へ……? 帆波に?」
「私以外の女の子と話しちゃダメ! とか、坂北さん、言いそうだな、て思って」
帆波が……? 『私以外の女の子と話しちゃダメ!』って……お願い? そんなの、言われてみたい――じゃなくて!
「な……なに言ってんの、佐田さん!? 帆波がそんなお願いしてくるわけねぇから!?」
「え、そう? 付き合いだしたら束縛しそうなタイプかな、て思ってたけど」
「そ……束縛って……」
「もう小学生のときからかなぁ? 学校で藤代くんにちょっと話しかけただけで、ものすごく心配そうにチラチラ見てきたし、藤代くんが他の女の子と二人きりでいようものなら、あからさまにあたふたしてたから……」
懐かしむように言って、クスクスと笑う佐田さん……に、俺はぽかんとしてしまった。
心配そうにチラチラ……? あからさまに慌ててた? 帆波が……? 俺が女子と話してただけで?
うわあっと胸の奥から熱がこみ上げてきて、顔まで熱くなった。
意外――というか、全然知らなかった。学校での帆波といえば、氷のような冷たい目で睨みつけてきて、話しかければ「はあ!?」と邪険に返されていた記憶しかない。だからこそ、脈無しだと思い込んでいたわけで……。
「そう……だったんだ」
照れ臭くなって、鼻を掻きながら、ついと視線を逸らしていた。すると、ふふ、と佐田さんが笑うのが聞こえて、
「彼氏くんでも知らないことあるんだね」
「いや……そりゃ、まあ。てか、俺のこと好きだ、てことも知らなかったくらいで……」
自嘲気味に笑って、そんなことをぽろりと零し――ハッとする。
え……『彼氏くん』?
あれ……ちょっと、待てよ……。フツーに話進めちゃってたけど……さっきも、佐田さんは『付き合いだしたら束縛しそう』とか言ってて……。
「な……なんで……」今更ながらにぎょっとして、佐田さんに視線を戻し、「なんで……知ってんの? 俺らが付き合いだしたって……!?」
「勘」
「勘……!?」
「ってのは、冗談で」クスッと笑って、佐田さんは髪を耳にかける。「本当は……今朝、遊佐くんと話してるの聞こえちゃったの。というか……クラス中に響き渡ってたから。特に、遊佐くんの心の叫びが」
「あ……」
まあ、そりゃそうか――とすんなりと納得してしまった。
言いがかりに近い妬み嫉みをぶつけてくる遊佐に、俺もムキになって言い返し、朝からぎゃあぎゃあと二人で騒いでいたもんな。同じクラスの佐田さんに聞こえてないほうがおかしいくらい……か。
って、いや……すげぇ恥ずかしいんだけど――!?
「それで……?」
突然の羞恥に悶える俺をよそに、佐田さんはにんまりと微笑み、
「部活もお休みの今日は……今からデート?」
興味津々と言った様子で、声を潜めながらそう訊ねてきた。
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