第5話 助言【上】

 ま……間違えたぁああ!

 さ……さしみ……? さしみって……何!? なんで、さしみ……!?

 どうしよう? 早く……消さないと。幸祈に見られる前に、送信取消を――と、スマホの画面の上であたふたと指を彷徨わせているうちに、『さしみ』のメッセージの横にポンと『既読』の表示が。

 あ……と愕然とする。

 終わった。幸祈に見られた。彼女としての最初のメッセージが『さしみ』になっちゃった――。


「どうしたの、帆波?」と隣から訝しげな葵の声がして、「顔、真っ青よ? とてもじゃないけど、たった今、彼氏にラブラブメッセージを送った奴の顔じゃないんだけど……」


 そりゃそうよ――と泣きたくなりながら、がくりと項垂れる。


「打ち間違った……」

「『打ち間違った』って……なんて送ったの?」

「『さしみ』」


 ぼそっと言うと、まるで時が止まったかのような一瞬の静寂があってから、葵はぶっと盛大に噴き出した。


「なによ、それー!? いきなり『刺身』って……おっさんか!」

「わ……笑いすぎ!」


 ばっと振り返って責めるように言うと、葵は「いや、だって……」と涙が滲む目を擦りながら苦しげな声で答える。


「さしみって、ありえないでしょ! なんで、そうなるの? 『さみしい』って、たった四文字じゃん!」

「そんな……簡単に言わないでよ!」

「簡単でしょう」


 まるで当然かのように。さらっと言い返されて、ぐっと言葉に詰まった。

 確かに……簡単なのかもしれない。『さみしい』って一言、スマホに打ち込むことだけなら、きっと小学生だってできる。でも、それが私にはできないんだ。相手が幸祈だって思うと……大好きな人だって思うと……怯む。

 さっきも手が震えた。

 『さみしい』って幸祈に送るのを考えるだけで、心臓が焼けるように熱くなって、思うように指が動かなくて。何度も打ち間違っては消し――を繰り返しているうちに、うっかり送信ボタンを押してしまった。しまった、と思ったときには、『さしみ』の三文字がそこにあって、あっという間に既読がついてしまった……。

 我ながら呆れる。

 せっかく、『好き』って伝えられたのに。これからは素直になろう、て決めたのに。どうして、私はこんなに……。

 と、そのときだった。

 手の中でブーッとスマホが震えた。ハッとして見ると、そこには――。


「お、藤代くんから何か来た!? 『さしみ、てなんだよ!?』って?」


 おもしろがるような声で言って、葵がぐいっと身を寄せてきた。

 ご名答――確かに、幸祈からのメッセージの通知だった……けど。ロック画面にぽんと表示されたメッセージに、私はぱちくりと目を瞬かせて茫然としてしまった。

 私も葵と同じ。てっきり、『さしみ、てなんだよ?』とか、『は? なに?』とか、そんな返信が来るものとばかり思っていた……のに。


「『間違ってるぞ』って……」


 ぽつりと、幸祈からのメッセージを読み上げる。すると、「間違ってる、て……」と葵も隣で惚けた声で言ってから、きゃあ、と歓声のようなものを上げた。


「さすが藤代くん! やっぱ、あんたの彼氏になるだけあるわ。ひねくれ者のあんたのこともお見通し、てわけね!」

「お見通し……?」

「ちゃんと打ち間違った、て分かってるのよ〜!」

「へ……」

「たった三文字で気持ちが伝わるなんて……まさに以心伝心ね〜。幼馴染も伊達じゃないわ」


 頰に手を当てながら、ほうっと恍惚とした溜息吐いてそう呟く葵。

 以心伝心って……私と幸祈が? そう……なの? 幸祈に伝わったの? 『さしみ』で……? 私がさみしいんだ、て幸祈は分かったの?

 そんなこと……ある?

 いまいち、実感が湧かないというか、半信半疑で。もやっとしたものを胸の内に感じながら、スマホの画面に視線を落とし、『間違ってるぞ』という幸祈のメッセージを見つめていると、


「今度はちゃんと『さみしい』って送ってあげなよ」と葵が耳元で囁きかけてきた。「ハートマーク付きで」

「な……」


 『さみしい♡』――その文面が脳裏に浮かんで、かあっと顔が燃えるように熱くなった。


「む――無理ぃ!」

「なんで無理なのよ!? 今更何を恥ずかしがってんの!? 今まで散々、学校でイチャイチャしてたくせに!」

「い……イチャイチャ!? いつ、そんな……」

「毎日毎日、校舎のあちこちでイチャイチャしてたでしょうが!」

「そんなことしてないわよ!?」

「全くもう……『さみしい』の一言も送れないで、これからどうするわけ!? もう正式に付き合い始めたんだから、今までみたいにはいかないわよ。藤代くんだっていろいろ期待してるからね!?」

「いろいろ……きたい……なんのはなし」

「なんで、片言になる」と葵は眉間に皺を寄せ、呆れたように言ってから、「本当は……ちゃんと分かってるんでしょ?」

「な……何が……?」

「心が繋がったんだから、次は身体よ!」


 びしっと私を指差し、どーん、とばかりにドヤ顔で言い放った葵に、「変な言い方しないでよ!」と悲鳴じみた声で叫んでいた。


「そういうの……私たち、まだ、全然……ていうか、キスも未遂だけだし……」

「未遂したんだ!?」


 ああ、しまった……!


「も〜、ちゃんとやることやってんじゃない。藤代くんも意外と積極的〜!」ははは、と笑って、葵は私の肩をぽんぽんと叩いてくる。「そのペースなら、あっという間に最後までやっちゃいそうね〜。次に『幸祈』の家に行く時は覚悟して行きなよ」


 え……と心臓がどきんと飛び跳ねる。

 次に幸祈の家に行く時って――。

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