第3話 メッセージ【上】
「やっとか!」
ベランダに、そんな呆れ返った声が響き渡った。
ちろりと見れば、長い前髪をくしゃりと搔き上げ、悩ましげな表情を浮かべるセーラー服姿の女の子が。小学校からずっと同じ学校で、中学の頃から仲良くなった向井葵だ。肩まである髪は、中学まではストンとまっすぐだったのに、今はきついウェーブがかって、ほんの少しだけど明るく茶色がかっている。化粧もうっすらしているようで、やや吊ったキリッとした目が一段と際立って――垢抜けた、というやつだろうか――幼さはすっかり消えて今やクールな印象。それに加えて、中学時代は紺一色でスカートは膝下まであったセーラー服は――赤いリボンはほぼ一緒だけど――爽やかな白とグレイのミニスカートに変わり、ガラリと雰囲気が変わって見える。
「やっと、て……なによ」
手すりによりかかりながら、ぶつくさ言うと、「分かってんでしょ!」とむぎゅっと横から頰をつねられた。
「にゃにす……!?」
「まったくもう……いったい、何年かかってんのよ!」すごい剣幕でぴしゃりと言ってから、葵はぱっと私の頰から手を離した。「『幸祈と付き合うことになった』って言われてもね、こっちは延々と八百長試合に付き合わされてた気分だっての。ここまであんたを甘やかした藤代くんも藤代くんだけど……あんたがさっさと素直に『大好き、幸祈♡』って言ってれば、もう十年前には付き合えてたんだからね!?」
「十年前って……私たち、五歳――」
「細かいことはいい!」ふいっと顔を背け、葵は不満たっぷりに鼻を鳴らして腕を組んだ。「朝、学校来てみたら、そこら中で『誰だ? 誰だ?』てまるで推理ドラマ状態。コソ泥でも出たのかと思えば、あんたの彼氏探しで……しかも、結局、『幸祈』かい!」
コソ泥って……と頬を引きつらせつつも、まあ確かに、とも思ってしまった。そう思われても仕方ないのかもしれない……。
背にした窓の向こう側――クラスの中では、きっと、今もわいわいと皆で騒いでいるんだろう。特に、尾田くんを中心とした男子が見当違いな推理を続けているに違いない……と、振り返らずとも想像がついた。
まさか、こんな騒ぎになるなんて思ってもいなかった――。
ただ、尾田くんに諦めてほしくて、『彼氏がいる』って伝えただけだったのに。尾田くんは諦めるどころか、『誰? 誰?』と詰め寄ってきて、次から次へと良く知らない名前をぶつけてきた。その中に、当然、幸祈の名前が出てくるわけなんてなくて……でも、幸祈のことを尾田くんにどう説明すればいいかも分からなかったし、そもそも話すべきかも分からなくて、ただ、首を横に振り続けていた。そうしているうちに、いつの間にか周りはやけに静まり返って、コソコソ囁く声だけが響いていて……そのときになって気づいたんだ。尾田くんとのやりとりを、クラスの皆に聞かれていたことに……。
しばらくして、葵が血相変えてクラスにやってきて、有無を言わさず私をベランダに引っ張り出して――今に至る。
「幸祈で……悪いわけ?」
三階からだと、グラウンドが一望できる。そろそろ朝練も終わりの時間なんだろう、運動部が続々と片付けを始めるのを見下ろしながら、私はぼそっと呟くように言った。
すると、隣でため息吐くのが聞こえて、
「悪いじゃなくて、遅い、て言ってんの。今まで散々一緒にいた、てのに。なんで今になってから、付き合いだすかなぁ? ――学校、離れちゃったじゃん」
急にしんみりとした口調になって葵が放ったその言葉に、胸がきりっと締め付けられて、手すりを掴む手に力がこもった。
そう……だ。ようやく、念願の幸祈のカノジョになれた――けど、幸祈がここにいない事実は変わらない。見下ろすグラウンドにその姿を見つけることはなくて、私の彼氏と聞いて皆が挙げる名前に『幸祈』が出てくることもない。
そんな環境に――『幸祈』が居ない環境に――慣れてきたはずだったのに。
幸祈と離れ離れになることに、もう何年も前から……幸祈の志望校を聞いたときから、心の準備はできてたはずなのに。
今更、心の片隅で後悔がぽんと芽生える。――もっと、ちゃんと勉強しとけばよかったな、なんて……。
バカだよね。ほんと今更だってのに。そもそも、ちょっとやそっと勉強していたところで、幸祈と同じ高校に入れていた保証なんて無い。実際、模試で幸祈と同じ志望校をこっそり書いてみたこともあったけど、軒並みE判定だったし……だからこそ、同じ学校に行くのは早々に諦めて、中学卒業してから幸祈の家に通いつめたんだ。とにかく、幸祈と一緒にいたくて……幸祈の傍にいたくて……開いてしまったその距離をなんとか埋めようと必死だった。そうして、ようやくカノジョになれた。
これで、もう何も怖く無い。離れ離れだろうと平気。だって、恋人同士だし。――そんな風に思えるのかと思ってた。
でも……なんなんだろう。幸せの絶頂にいるはずなのに、胸にぽつりと小さな穴が開いているような虚しさがある。カノジョになれたのに。カノジョになれた途端、幸祈と一緒にいたい、て気持ちが、より一層募ってしまって――、
「寂しい?」
まだ春らしさを残した柔らかな風に紛れて流れてきたその声に、ハッとする。ドクンと心臓が飛び跳ね、弾かれたように振り返ると、
「図星だ」と葵が手すりに頬杖つきながら、にんまり笑んでこちらを見ていた。「ほんと……藤代くんのこととなると分かり易いよね、帆波は」
「そ……ソンナコトナイシ!」
「いや、すごい片言。てか、もうごまかす必要もないでしょ。付き合ってんだから。堂々と惚気なさいよ」
「のろけ……」
「あ、そうだ」と葵はキラリと目を鋭く光らせ、ぐっと私に身を寄せてきた。「さみし〜よ、て藤代くんにメッセージ送ってみなよ!」
「へ……」
『さみしい』って……メッセージ? 私が? 幸祈に!?
*『寂しい』の常用漢字としての読み方は『さびしい』で、『さみしい』は誤りなのですが、個人的に『さみしい』のほうが好きというか、可愛い感じがするもので……ここでは『さみしい』を使用しております。小説の書き方としては誤用になるかと思うのですが、私の表現上の個人的なこだわりということで、ご了承いただければ幸いです。
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