恋人編

三章

第1話 坂北さんのカレシ【上】

 中学までは良かった。


「ずっと、好きだった。坂北さん、俺と付き合ってくれないかな?」


 そんなことを言ってくる奴は、たんまりと居たけど、


「ごめん。付き合えない」


 それだけ言えば、皆、「ああ、やっぱり」と言った顔であっさり退いていったから。

 だって、中学までは周知の事実だったんだもん。私に好きな人がいる、なんてこと。小学生のときから……ううん、きっと、もっと前から、私は隣に住む男の子にずっと片思いしてて、周りの皆はそんな私の気持ちに気づいてた。ただ一人、超がつくほどの鈍感バカな本人を除いて……。

 でも、高校に入って、そいつとも離れ離れになって、同中メンバーも一握り――なんて環境になると、そんな『暗黙の了解』も通じなくなって、


「坂北さん。今度の週末、暇?」


 朝、登校して席に着くなり、隣からそんな声がするりと滑り込んできた。

 ハッとして振り返ると、


「映画行かない? カラオケでもいいけど。あ、それとも、ショッピングとか? 俺、なんでもいいよ」


 机に腰掛け、人懐っこい笑みを浮かべながら、そう誘ってきたのは、少し長めの茶髪が印象的な隣の席の尾田くん。緊張も躊躇いも感じさせない滑らかな口調に、朝の挨拶でもするかのような晴れやかな声色。どこか猫を思わせる愛嬌ある顔立ちも合間って、全くもってを感じさせない。ただ、クラスメイトが遊びに誘っているだけ――のようだけど……。


「行かない……」


 ぼそっと答え、鞄の中身を机に入れ始める。


「えー、なんで」


 すかさず、残念そうに言って、尾田くんは私の机に詰め寄ってきた。いつもみたいに……。


「いいじゃん。ちょっと遊びに行ってみよう、て。二人きりになってみないと分からないことだってあるしさ」

「無い」

「つれないなぁ」

 

 悲しげに言いつつも、まるで堪える様子もなく、尾田くんはカカッと笑う。


「まあ、そういうとこもたまんないんだけど」


 クラスの喧騒に紛れ込ませるようにさらりと呟かれたその言葉に、かあっと顔が熱くなる。机の中に教科書を入れる手がぴたりと止まって、わなわなと震え出していた。

 あー、もう……なんで!? たまんないって……こっちのセリフなんだけど!?

 入学してすぐ、下駄箱で目が合うなり、いきなり『超タイプ!』って言われて……その日のうちに告られた。まさか、入学初日に告られるとは思ってもいなくて驚いたけど、それまで通り、「ごめん。付き合えない」て断って『終わり』――と思いきや。尾田くんは諦める様子もなく、こうしてことあるごとに遊びに誘ってくるようになった。

 ――初めての経験だった。

 中学までは、断れば『終わり』だったんだもん。皆、知ってたから。私には好きな人がいる、て分かってたから。ただ、答え合わせをしていくみたいに、私の返事を聞いて納得して去っていった。

 だから、尾田くんは私にとって『洗礼』のような存在だった。これからは、中学までとは違う。高校ここに、中学までの『常識』は――『幸祈』という存在はいないんだ、て思い知らされたようだった。

 最初の頃は、どう誘いを断っていいのかも分からなくて、曖昧にごまかすことしかできなかったけど、中学からの友達で同じクラスの向井葵むかいあおいのアドバイスもあって、最近は冷たく返すようにしていた。

 それなのに……尾田くんは萎えるどころか、余計に勢いが増している気がして。逆効果というか火に油というか。どうしたものか、と困り果て、中学までは良かったな、て懐古の念に取り憑かれるばかり……だったけど、それももうの話――。

 すうっと息を吸い、私は尾田くんをきっと射るような眼差しで見上げ、


「尾田くん。私、か……彼氏、いるの」


 そう口にした途端、きゃあ、て心の中で悲鳴が上がる。たったそれだけ――カレシ、て単語を口にしただけで、子供みたいにはしゃいでしまう自分がいる。


 一夜明けても、まだ、浮かれてるんだ。だって、もう何年越しの恋だったか自分でも分からないくらいなんだから。

 ようやく……、だよ。――ようやく、私、幸祈のこと、彼氏、て呼べるんだ。

 ただの『幼馴染』じゃない。ただの『好きな人』じゃない。ちゃんと『恋人』として、その名前を言える。告られても、今日からは……彼氏こうきがいるから、て断れる。

 だって、もう私は幸祈のカノジョなんだ。昨日から、幸祈のカノジョになったんだから。


 ああ、だめだ。我慢できない。呆気に取られる尾田くんを真剣な面持ちで見つめている――はずなのに。幸せすぎて……勝手に顔が綻ぶ。フフ、てニヤケちゃいそうになる。

 咄嗟に逃げるように顔を逸らし、「そういうことだから」とわざとぶっきらぼうに続けた。

 そのときだった。


「まじで!?」急に目が覚めたように尾田くんは大声を上げ、「坂北さん、カレシいんの!?」

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