第15話 好きな人【上】

「な……なんでだ? なんで、また、佐田さんが出てくる? 嘘ってなんのことだ!?」


 あからさまに狼狽える幸祈に、胸がきゅうって軋んだ。

 やっぱり、分からない――。

 面と向かって、私は全部、ちゃんと曝け出したのに。ここまできて、幸祈はまだ嘘つくの? なんで、そんなに隠したがるの? 嘘ついてた、て……せめて、認めてよ。理由くらい聞かせてよ。

 せっかく、両思いだって分かったのに。前以上に、幸祈を遠く感じる。必死に近づこうとしてるのに、幸祈が離れていくようで。すぐ目の前にいるのに、幸祈の姿が見えなくなっていくようで。

 じわっと目頭が熱くなって、泣きそうになるのをぐっと堪えながら、


「聞いちゃったの」と無様に震えた声を必死に絞り出す。「GWの前に、幸祈が広幸さんと話してるの……盗み聞きしちゃったの。幸祈が『佐田さんのこと好きだ』って広幸さんに言ってるの――聞いちゃったの」

 

 幸祈はぽかんとしてから、ハッと目を見開いた。「聞いてた……のか」と愕然として漏らした言葉が、ぐさりと胸に突き刺さる。

 思い当たる節、あるんだ――て確信して、落胆した。

 どこかで、ちょっと期待していた……のかもしれない。あれは、私の聞き間違いか何かだったんじゃないか、なんて……。

 でも、違うんだ。本当に幸祈は言ったんだ。佐田さんを好きだ、て広幸さんに言ってたんだ。ほんの十日前に。

 こみ上げてくるものがあって、視界がどんどん歪んで、幸祈の姿がぼやけていく。息も苦しくなって、まるで水の中に独り、沈んでいくようで。せめて、教えて――て救いを求めるような思いで、「なんで……」と続けた。


「なんで、嘘つくの? ずっと私のこと好きだった、て……佐田さんがどんな子かもよく知らない、て……そんな嘘を平気でつく幸祈が怖い。なんでそんな嘘をつくのか、理解できなくて……幸祈が何考えてるのか、分からなくなって……広幸さんに訊きに来たの。広幸さんなら何か知ってるかも、て思った……けど、結局、本人に訊け、て追い返されちゃった。だから、幸祈を待ってたの。幸祈の『答え』を訊こうと思って……」


 じっと聞き入っていた幸祈の顔はみるみるうちに曇って、やがて、我慢ならなくなったように、「ちょっと……待て!」と動揺もあらわに裏返った声を上げた。


「聞いたの、て……そこだけ、か!?」

「そこだけ……?」


 なに、その質問?


「佐田さんが好きだ、てそこだけ聞いたのか? その前後は!?」


 ぐっと詰め寄って来る幸祈は、真剣を通り越して鬼気迫るものがあって……思わず、じりっと後退った。


「そこだけ……よ。鍵、取りに戻って来たら、佐田さんが好きだ、て幸祈が言うのが聞こえて、ショックで……すぐ出た」

「な……」と幸祈はぎょっと目を剥き、大口開けて、「なんで、お前はそんな器用な盗み聞きをするんだよ!?」

「は……はあ!? なんで、盗み聞きの仕方に文句つけられなきゃいけないわけ!?」

「お前は、ほんと……盗み聞きでも、俺の話、ちゃんと聞かねぇのか」


 急にがくりと項垂れ、幸祈は困り果てたようにそう漏らし、


「確かに、嘘ついた……けど――」言って、ため息吐きながら、顔を上げた。「俺が嘘ついたのは、兄貴に、だ」

「広幸……さん?」


 なんで、広幸さん……?

 きょとんとして見つめる先で、幸祈はふっと――安堵と疲労が混じったような――ぎこちない微苦笑を浮かべ、やんわりと言った。


「佐田さんを好きだ――て、兄貴に言ったのが嘘なんだ。

 帆波のことを好きだ、て兄貴にバレて、嘘ついた。俺はずっと、帆波は兄貴のことを好きだと思ってたから……邪魔になりたくなくて」

「じゃ……じゃま……?」

「いや、ほら……俺が帆波を好きだ、て兄貴が知ったら、兄貴はきっと帆波をそういう対象に見なくなるだろ。だから……」

「だから、佐田さんを好きだ、て嘘ついて……身を引こうと思った、てこと?」


 小首を傾げながら、呆然として訊ねると、幸祈は「そう」とどこかホッとしたように頷いた。

 その瞬間、プツッと何かが頭の中で切れたような……そんな音がした気がした。


「『そう』――じゃないわよ、バカ!」


 信じらんない――!

 かあっと体の中が焼けるように熱くなって、火でも吐かん勢いで怒鳴りつけていた。


「何を勝手に譲ってんのよ!? 私が嘘ついたのが原因だって分かってるけど……悪いとは思ってるけど……でも、それでも、なんで、そんな簡単に諦めちゃうのよ!? もう少しで、私も諦めるところだったんだから! 今朝まで、ずっと失恋覚悟してて……キャンプだって全然、楽しめなかったし、毎晩、バスローブ着てどっか行っちゃう幸祈の悪夢見て寝不足気味だし……」


 ああ、もう……バカじゃないの!

 私のこと好きで、だから、嘘ついた、てこと? 私が広幸さんのことが好きだから(誤解だけど)、そんな私のために、身を引こうとした、てわけ? なによ、それ――て、腹立てながらも、納得しちゃう自分がいる。

 ガサツで不器用。バカがつくほど真面目で、超がつくほどの鈍感な奴。そういう幸祈を私は好きになったから。幸祈らしいな、てホッとしちゃったんだ。


「男のくせに。奪ってやる、くらいの気概はないわけ?」


 じっと睨みつけて、ぼそっと言うと、幸祈は呆れたように微笑むんだ。仕方ないな、とでも言いたげに。胸の奥がくすぐったくなるような……とろんと甘く、優しげな眼差しで私を見つめて。

 ああ、幸祈だ。大丈夫。目の前にいる人は、私がずっと好きだった彼だ。間違いない――てどこからともなく、溢れてくるものが訴えかけてくる。

 人前で泣くの嫌いなのに。堰を切ったようにそれは次から次へと溢れ出てくる。幸祈の前で泣くの、今日だけでもう二度目だ。恥ずかしすぎ……だけど、なんだろ。不思議。そこまで厭な感じがしない。それより……ぽろぽろ涙が溢れ落ちるごとに、胸が軽くなっていく感じがする。息が楽になって、心が暖まっていく。

 そんな私に幸祈はそっと近づいてきて、


「これから、奪おうと思ったんだ」


 ぎゅっと優しく私を抱き締めながら、耳元で熱っぽくそう囁いた。

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